聖女と向き合う決意
なのに、また、あの朝が来た。
まだ、先だと思っていたのに。
何故。
せっかくリリア様と話そうとしていたのに。
出鼻をくじかれた思いだ。
けど。
ゆっくりと首を振る。
大丈夫。
だって、リリア様は覚えているから。
そう思ったら、心の奥が軽くなった気がした。
控えめなノックの音、メイドの声。
また、あの朝が、始まる。
大きく息を吐いた。
うん、私は、大丈夫。
やっぱりそれでもリリア様は、何を考えているのか分からなくて怖い。
だけど、私以外にも覚えている人がいる、というだけで、こんなにも心が軽くなるなんて思わなかった。
孤独は、こんなにも人を追い詰めるものなのだ。
それは、多分リリア様も一緒のはず。
だって、リリア様も探していた、自分以外の記憶保持者を。
だから、あんなに必死な瞳で、でも全て諦めたような、投げ出しているような雰囲気だったのだ。
人を寄せ付けない、誰かがそう言っていた。
私も、そう思っていた。
だけど、本当に?
思い出せ、私。
一番最初に思い出した時の聖女様を。
一生懸命思い出してはみたけれど、やっぱり、私は一人でいる孤高の存在のリリア様以外覚えていなかった。
多分、私が記憶を思い出す前から、きっとずっと一人で戦い続けていた人なのだ。
学園で、私は一人になるとさり気なく周囲を見回した。
いた。
やはり、彼女は目立つ。
聖女、リリア様。
ふ、とリリア様も目を上げて私を視認した。
私も頷くと、彼女は静かに目を伏せた。
それだけで、彼女には伝わったような気がした。
「それで。
覚悟は、決まったのかしら?」
相変わらず閑散としたお昼の食堂で、リリア様は変わらず真直ぐに質問をしてきた。
私は、多分リリア様を嫌いになれない。
怖かった。
それは事実だ。
だけど、今は違う。
「えぇ。決まりました。
認めます、時間を繰り返している事を。
怖くても認めてしまえば、気持ちが軽くなりました」
私の言葉に、逆にリリア様が面食らった顔をした。
「やだ、エルシー様って意外に肝が据わっていらっしゃるのね。
あと2、3回はこのままかと思っていたのよ」
そう言って笑うリリア様の笑顔は、本当に晴れやかで、嬉しそうだったように見えるのは、私の気のせいかしら。
「……だって。
覚えているのは私だけじゃない。
そう思ったら、もう前に進むしかないと思ったの」
リリア様の目が続きを促す。
「それに、私もこの先に。
ううん、未来を歩きたいの」
その瞬間のリリア様の顔を、私は何と表現していいのか分からない。
彼女は、まるで何かを必死に堪えるように顔を顰め、そして、俯いた。
肩が、わずかに震える。
声を殺して、そして。
リリア様は、静かに泣いていた。
何が切掛けで泣き出したのかが分からず、何と声をかけていいのか思わず思案するが、リリア様に寄り添うような言葉が咄嗟に浮かぶこともなく。
私はただ無言で、ハンカチを差し出すしかなかった。
リリア様は、素直にハンカチを受け取り涙を拭いた。
涙を拭き終え、顔を上げたリリア様は目元こそ赤いものの、それでもやはり綺麗だった。
神に愛されしもの。
聖女を指す言葉だ。
その名に相応しい、静かな気高さ。
「ごめんなさい、ハンカチをお借りしてしまうわ」
そう言ったリリア様が、ふと手元に視線を落とす。
「……あら、クローバー」
小さく刺繍されたそれに気づいた瞬間、彼女の表情が、ふっとほどけた。
先ほどまでの神々しさが嘘のように、どこか幼い、柔らかな笑顔。
まるで無垢な子供のような。
クローバーをなぞる指先も、驚くほど優しくて。
「私も、クローバーのモチーフが大好きなの」
まるで、それだけが、この世界で唯一信じられるものだと言うみたいに。
誰にも聞かせない秘密を打ち明けるみたいな、小さな、小さな声だった。
初めてリリア様の内面に触れたような気がした。
少しの間。
その時間は、リリア様が冷静さを取り戻すには十分だったのだろう。
「……あら、いやだ、私ったら。
ごめんなさいね」
そう言って笑うリリア様の雰囲気は一変し、まるで何事もなかったかのように、いつもの聖女の微笑みに戻っていた。
あまりにも自然で、
先ほどまで泣いていた事実のほうが、夢だったのではないかと思えてしまうほどに。
「そうね。
率直に伺うなら、エルシー様が何度、繰り返したのか、とか」
静かな声だった。
確信に切り込む話を聞いているはずなのに、まるで確認作業のような淡々とした話し方。
「それと、貴方がどれくらい覚えているのか、
いつから、どこまでなのか……とか、かしらね」
人差し指を唇に当て、「内緒よ」と言うように、彼女は微笑んだ。
その仕草は可憐で、優雅で、完璧な聖女そのもの。
けれど。
その微笑みの奥にあるものを、私はもう、知らないふりができなかった。
あぁ。
リリア様は、やはり底が知れない。
だって、リリア様のその視線は私を見ているはずなのに、どこか「私ではない何か」を見ているようでうすら寒かった。




