切っ掛けは、ブローチ
いつものお茶会、ハロルド様との安らぎの時間
近況などを話し終え、ゆっくりと紅茶に口をつけた。
「最近、聖女様と仲が良いと聞いたよ。
彼女、そこまで親しくする人がいないと聞いていたけれど」
そういえば思い出した、という気軽な感じで、ハロルド様が私に聞いた。
一体どこから聞いたのだろう。
リリア様とは学園内でしか話していない、というのに。
それとも、彼は単に情報を掴むのが早いだけなのか。
「え、と。
はい、最近聖女様とクローバーのモチーフがお互い好きだという事で、お話が合いまして」
その答えを聞いたハロルド様はニッコリと笑う。
「エルシーの話し方は、人をホッとさせるからね。
きっと聖女様もエルシーといると、安心できるんだろうね」
そんなことを言ってニコニコ笑う人の好いハロルド様。
「エルシーの刺繍のクローバー、僕も好きだよ」
そのセリフに、紅茶を飲もうと伸ばした手が止まる。
彼は、あのやり取りを覚えていない。
だって、あのやり取りは私だけの宝物だ。
前回のハロルド様との思い出、だ。
だから、だからあのブローチは、今回は父にねだって購入した。
あの1回があれば、それで私は良いと思っていた。
大切な、大切な思い出だから。
そう思っていた。
なのに、ハロルド様は、今回は違う方向でクローバーを褒めてくれた。
きっと彼は知らない。
私が今、とても嬉しくて涙が出そうなことも。
そんなことを知らずハロルド様は、ハンカチーフを広げた。
私が刺したクローバーが目に入る。
ハロルド様の何も知らない指先が、ただ私の刺繍をなぞるだけ。
それだけの仕草、だけど、私にとってはそれが彼の愛の告白に見えた。
どうしようもないほどに、彼が愛おしくてたまらなかった。
ふと、以前聖女様が優しい手つきでクローバーを撫でていたのを思い出す。
「クローバーのモチーフが好きなら、あのブローチを見せてあげたらどうかな?
あのブローチは、ダンガル工房の若手の新作だって聞いたよ。
エルシーが良くつけているから、さ。
僕も調べちゃったよ。
リリア様も注文したら、きっとその若手の子の名もあがるし、そのブローチにも付加価値が付くかもよ」
冗談めかして仰っていたけど、確かにあのブローチは素敵な作品で、これからもその彼に色々作ってもらいたい、と、そう思わせる品だ。
そう、ただ、それだけの思いで持って行ったのだ。
それ以外に他意は、なかった。
次の授業まで時間のある自習時間、生徒は好きな科目や苦手な科目、刺繍など思い思いの時間を過ごす。
私とリリア様は、刺繍を刺しながら他愛ないおしゃべりをしている、ように見えるだろう。
「そういえば、リリア様はクローバーのモチーフがお好きと聞いて。
私のお気に入りのブローチなのですが、とても素敵な出来なのです。
お見せしたくて、持ってきてしまいました」
そう言って差し出したブローチに、リリア様は一瞬目を見開いて凝視した。
「…あ、ね、ねぇそれ、手に取って、見せていただいても?」
「どうぞ?」
リリア様が震える指でそのブローチを手に取る。
光にかざして後ろの紋を確認する。
その瞬間、微かに肩が揺れ、呼吸が止まったように見える。
彼女は放心したように固まったまま、しばらく言葉を発せず、ただブローチを見つめ続ける。
私は彼女の変化に驚いて、何と声をかけていいか分からずにいた。
きっとほんの数秒の時間。
だけど、とても長く感じられたその時間は、リリア様の小さな、小さな呟きで終わる。
それは、本当に小さな、小さな呟き。
うっかり聞き逃してしまいそうなほどの。
「チャーリィ…」
リリア様の声は小さく、だけど、私の耳にはきちんと聞こえた。
その声は、本当に愛しい人の名前を呼ぶ声だった。
愛しいものを見るような瞳で、ブローチを見るリリア様は聖女という名前に負けない美しさだ。




