聖女リリアの想い人
リリア様の視線はブローチから動かない。
「エルシー様
……このブローチは、ダンガル工房の者の手によるのでは?」
正直言えば、リリア様がそんな宝飾品に詳しいとは思わずに驚いてしまった。
「え、えぇ、その通りです。
購入したのは父なのですが、婚約者のハロルド様が調べてくれたみたいで。
若手の作品だと聞いています」
「えぇ、そうでしょうね。
だって、これは彼の初の商業作品ですもの」
そう言ってリリア様の目が潤む。
泣くのか、と思ったが、リリア様は涙をこぼさなかった。
言葉の中に、ふと、違和感があった。
「…彼…?
リリア様は、これを作った方をご存じなのですか?」
リリア様は、肯定とも否定とも取れる曖昧な頷きを見せるだけ。
その視線は、手元のブローチに吸い寄せられるようで、まるでそこにしか心がないかのようだった。
私は、何を言うべきか分からず、ただリリア様をみつめた。
「勿論、知っているわ。
だって、私が巻き戻る理由だもの」
あっさりと、今まで手持ちカードの一枚も見せなかったリリア様が淡々と答えを出した。
その答えに、一瞬思考が止まった。
私が、巻き戻る理由だもの。
そう、彼女は確かに言った。
その言葉の意味を理解しようとして、何度も瞬きを繰り返して、リリア様を見る。
彼女は私の態度にさほど気にも留めずにただ、ブローチを見ている。
「え?……あの……」
どういう意味なの?
どうして?
問いかける言葉が、喉の奥で詰まる。
「ふぅん、そっかぁ。
なんていうか、そうなんだぁって感じだわ」
今までの神々しい、完璧で整ったリリア様はどこへ行ったのか。
声も表情も、言葉遣いも、ずいぶんとざっくばらんで、どこか人間味のある雰囲気に変わっていた。
私は戸惑うばかりで、彼女の変化に理解が追い付かない。
「チャールズっていうの、これ作った人」
リリア様は、指先でブローチを優しくなぞる。
クローバーの縁から縁へ、滑らかな流線を確かめるように。
「丁寧な仕事だよね、本当にチャールズらしい」
胸が締め付けられるような程、優しい声音。
思わず息を呑む。
私はただ、しばらくそうやってブローチを触っていたリリア様をみているしかなかった。
ふい、とリリア様が顔を上げて私を見る。
その目は、先ほどの愛おしいものを見る目ではなく、平坦で、何も映していなかった。
「これさ、チャールズの初の商業作品で、そして、ね」
リリア様は身を乗り出して私の耳元に口を近づけた。
彼女の息が耳にかかる。
「遺作、なんだ」
内緒話をするように、そう言った。
「…え?
遺作…?」
その言葉を脳内で処理するより前に、リリア様は歌うように言葉を繋げる。
「そう、死んじゃったの、彼」
リリア様は私に、ブローチを押し付けるようにして返した。
「あ、まだね。
まだ、死んでいないけど。
でも。」
先ほどの丁寧な手つきとは違う、どこか雑な渡し方。
手の中に、リリア様の体温で暖かくなったブローチ。
それを見つめながら、彼女は言った。
「死んじゃうのよ、彼。
私のせいで、ね」
時間が止まった気がした。
そこへ、予鈴の鐘が鳴った。
「では、また、エルシー様」
リリア様は立ち上がると、完璧な礼で私の前から静かに去った。
「え、あ、はい、また」
私は、取り残された子供のように立ち尽くした。
ブローチを握りしめた手に、かすかに残るリリア様の体温と、彼女の言葉の重さが伝わる。
「死んじゃうのよ、彼。
私のせいで、ね」
その一言だけが、いえ、その一言は私の胸に突き刺さった。
心臓を鷲掴みされたような痛みに思わず顔を顰める。
ブローチの裏の刻印はCに見える。
チャールズの頭文字、だ。
ダンガル工房の工房印とはまた違うもの。
その刻印にチャールズという人の存在が重なる。
彼が何者なのかは、私には分からない。
ただ、このブローチを作った人で、そして。
きっとリリア様の大切な、人。
あの表情が、動作が言葉にせずともすべてを物語っていた。
何も言わず抱えていた彼女の想い。
その想いに気が付いてしまったといったら、烏滸がましいのかもしれない。
だけど、これはきっと思い過ごしではない、というのも、私には分かる。
何度も同じ時間を過ごしているといっても、その都度その都度で、見える景色が変わった。
多分、今の私だからこそ分かった事なのだろう。
私は改めてブローチを見つめる。
その小さな四つ葉に、彼はどんな思いを込めたのだろう。
そして、リリア様はそれにどんな思いを重ねたのだろう。
幸福も、悲しみも。
きっと時間が巻き戻るのは。
彼を救えなかった時間すら、この小さな四つ葉に詰まっているのかもしれない。
小さく息を吐いた。
強張った表情が少しだけ緩むような気がした。




