聖女のお願い
ウェイターが昼食を運んでくるのを横目で見ながら、リリア様は何事もなかったかのように口を開く。
「次の時間は、教会史なのよ。
エルシー様は、何の時間かしら?」
「私は、次の時間は刺繍です」
「あら、そうなの。
私、刺繍は得意なのよ」
誰に聞かれても問題のない、たわいのない会話。
意味がない、上滑りする言葉たち。
このまま、何も深入りせずにいたい。
そう思う自分が、とても滑稽な存在のように思えた。
ウェイターが去ると、どちらからともなく食事を始める。
緊張のせいか、味がしない。
「最初はね、祝福だと思ったわ。
神様が、やり直す機会をくださったのだと」
リリア様は、視線を落とした。
「でもね……違ったわ」
言葉を選ぶように、一拍置いてから、彼女は続ける。
「何度繰り返しても、駄目なの。
どうにもならないのよ」
その声音は、静かで、ひどく疲れていた。
私は、何も言えなかった。
詳細をぼかしたまま、語られる言葉をただ、聞いているしかできなかった。
「聖女なんて……
私は、こんなの、望んでいなかったのに」
それはとても小さな声で、真正面にいる私ですら、聞き取れるか聞き取れないか、ギリギリの音量。
その言葉が耳に入った瞬間、彼女もこの巻き戻りを恐れているのだと思った。
逃げ場のない、この迷路のような時間を繰り返している、と。
「エルシー様」
顔を上げると、リリア様はまっすぐこちらを見ていた。
「あなたが覚えているのなら……
私に教えて欲しい。
いつから覚えているか、とか些細な事でもいいの。
そうね、少しでいいのよ。
少しだけ、貴方の力を貸してほしいの」
その言葉は、懇願だった。
聖女としてではなく、ただの一人の少女としての。
私は、唇を噛んだ。
何と答えるべきなのか、分からなかった。
けれど。
彼女の必死さを、拒絶することはできそうになかった。
知らないふりも、意味がないことを悟ってしまった。
「……考えさせてください」
かろうじて口から出たのは、ありきたりな言葉だった。
「そう……
ええ、そうよね、分かるわ。
今すぐに決めることじゃ、ないもの。
でしょう?」
そう言いながら、リリア様は微笑んだ。
その笑みは優しくて、引き止めようともしない。
だからこそ、私に逃げ道がない気がした。
正解が、分からない。
力を貸して欲しいと言われても、単なる伯爵令嬢である私に出来ることなんてあるのだろうか?
それに……
胸を張って、チカラになります!なんて、言えない。
だって、怖い。
よく分からない。
そして何より、本当に時間を繰り返している事を認めてしまうのが、怖かった。
「私はただ、貴女の話を聞かせて、と聖女としてお願いしているだけよ」
そう言ってリリア様は、聖女として完璧な微笑みを浮かべた。
リリア様は詳細を語らなかった。
私はリリア様の瞳を直視できなかった。
リリア様、貴方は一体何を考えているの?
どうして巻き戻るの?
そして、それはなぜ?
聞きたいことは山のようにある。
だけど、本人を前にしたら、何も出てこなかった。
食べた気がしない昼食を終え、リリア様と別れた私は、一人考えながら教室へと向かう。
何とも言えない後味の悪い時間を思い出しながら。
その思考を破るように、明るい声が私を現実に戻す。
「あ、ねぇねえ、エルシー」
後ろから声をかけられ、振り向くと、友人のアネッタやアンマリー、ソフィーが私を小走りに追いかけてきた。
好奇心と、ほんの少しの遠慮が混じった視線。
「ねぇ、さっき……聖女様と一緒に食事をしていなかった?」
そう問われて、咄嗟に曖昧に笑みを浮かべた。
何となく、言えなかったのだ、リリア様と食事をする、と。
そう言い出せない何か、をリリア様はお持ちだから。
だから、今日は「ちょっと」と言葉を濁して、いつもの友人たちとランチを共にしなかった。
「あ、えぇ、そうなの、昨日、偶然ぶつかっちゃって、そのお詫びに……」
言葉を選びながら答えると、皆が一斉に顔を見合わせた。
「え?それでどうして食事に?」
「だって、二人きりだったでしょう?」
「珍しいわよね」
「聖女様って、あまり誰とも深く関わらないって聞くし……」
「…で、聖女様って…どんな方なの?」
アネッタが小さく聞いた。
どんな方、と言われても。
言葉に詰まってしまう。
どんな方、とは何を指すのだろう。
昨日まで、話したこともなかった相手だ。
「お詫びに何かをと思ったら、食事でと言われただけなのよ。
そんな会話らしい会話をしたわけでは……」
そう答えると、皆どこか納得しきれない顔をしながらも、それ以上は踏み込まなかった。
聖女様、という存在は、それだけで距離を生む。
話題はすぐに別のことへ移り、私はその輪の中で、ただ曖昧に相槌を打っていた。
その後の授業は、いつも通りだった。
問題を出されれば分かる。
けれど、分かりすぎないように、少しだけ考えるふりをする。
前ほど完璧に答えることはしなくなった。
上位ではあるけれど、飛び抜けない位置。
ミズ・イネスも、特に何も言わない。
優秀だけれど、目立ちすぎない。
それが、今の私にはちょうどいい。
周囲の令嬢たちも、私を見る目を少し変えただけで、それ以上は何もない。
先生方も、「最近のエルシー嬢は意欲的で、とても真面目に勉学に取り組んでいますね」とお褒めの言葉を頂くほどだ。
そう、飛び抜けていない成績だからこそ、努力しているように見えるのだろう。




