第60話:アスカ学院長?と不穏な話
「暇だろ。ついて来い」
寮の窓の下で足を止めて、アスカは上に向かって言った。そこはちょうどルシアの部屋がある場所で、開いた窓の枠にルシアが顎を乗せていた。片手に齧りかけの林檎を持って、ぼんやりと外を眺めている。
「ごめんアスカ、俺すっげぇ忙しいの」
「どこがだ」
「見てわかんないか?」
「わからんな。何してた」
「外見てた」
「それは暇と同義だ」
「仕方ないなぁ……まったく、アスカくんは寂しがり屋さんなんだから」
「……やっぱり来なくていい」
「冗談だって!着いてく着いてく!」
ルシアは林檎の残りを齧りきると、芯をゴミ箱に投げ捨ててから窓の奥へ引っ込んだ。少しして、上着を肩に引っかけたルシアが、寮の入口から慌てて出てきた。
「どこ行くんだよ」
「市場」
「何買うの」
アスカは腰に提げていた水筒を外して、ルシアの目の前に突き出した。口のところが空いている。蓋がない。
「落としたのか?」
「割れた」
「何したら蓋だけが割れんだよ」
アスカは答えずに水筒を腰に戻し、寮の門を出た。ルシアは欠伸を噛み殺しながら、ひと足遅れてついてくる。
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午後の大通りは人でごった返していた。両脇の店先には、野菜の詰まった木箱や口を縛った穀物の袋、干し魚を並べた籠がびっしりと積まれていて、人の流れは道の真ん中に集中していた。
アスカはその流れを縫って真っ直ぐ進む。ルシアは人にぶつかりそうになるたびに足を止め、相手が通り過ぎるのを待ってからまた歩き出す。差は少しずつ開いていった。
3度目にアスカが振り返った時、ルシアは焼き菓子の屋台の前で足を止めていた。
「おい」
「見てるだけ見てるだけ」
「歩きながらでも見られるだろう」
「流し見なんかしてたら幸せ値が半減すんの!」
アスカは屋台まで戻った。並んでいる菓子はどれも同じ形をしていたが、上に乗った木の実の数が違うものがあった。
「どれも一緒だろ」
「いやでもなアスカ、3つ乗ってるやつと2つのやつの値段一緒なんだよ」
「だから何だ」
「これ、期待値しかなくね?」
結局、ルシアは3つ乗ったのを1つ買った。歩き出してすぐに1つ目の木の実を指でつまんで食べた。
市場の入り口が見えてきた。通りの両側に屋台が並び、呼び込みの声が聞こえてくる。アスカは蓋を売っていそうな金物の屋台を探しながら右往左往した。
視線がどこにも止まらないうちに、ルシアが袖を引いた。
「アスカ。あれ」
ルシアの指の先、薬草を吊るした屋台の前に人だかりができていた。その真ん中で、5年の胸章を付けた誰かが店主の方へ身を乗り出していた。
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「おやっさん。白いの、ある?」
オピア・ドラグナーは、薬草屋の台に両手をついて身を乗り出していた。
店主は中年の女だった。吊るした草の束の間から顔を出して、瞬きをする。
「誰がおやっさんだい!あたしは女だよ!」
「すまないお嬢様。俺は白いのを探している、早く出してくれないか」
「お嬢様とまで言わなくていいけど……」
店主は少し恥ずかしそうにして続けた。
「白いの……が欲しいのかい?」
「あぁそうだ。白いの」
店主は台の下から小さな袋を出した。口を開いて見せる。中は白い粉だった。
「塩なら」
「違う」
次に出てきたのは小麦粉で、その次は乾かした白い花びらだった。ドラグナーはそのどれにも首を振った。振るたびに体ごと左右に揺れる。
「もっとこう、白いの」
「……白くないものなら、たくさんあるんだけど」
店主は困った顔であれこれと品物を並べていく。ドラグナーがよく分からない言葉を羅列していく合間に、人だかりも少しずつ増えていく。
アスカは金物屋探しに戻ろうとした。関わる理由がない。
「行くぞ」
「もうちょい見てよーぜ?」
「時間の無駄だ」
「言うほど緊急のミッションってワケでも無いだろ、水筒の蓋とかさ」
そう言いながらルシアが2つ目の木の実をつまんで口に入れた時だった。
ドラグナーがこちらを振り返った。台から手を離し、体がぐらりと傾いて、傾いたままこちらへ歩いてくる。
「学院長!?」
「違います」
「学院長、ちょうどよかった。白いのが、ないんだ」
「知りません」
「知ってるでしょ。だって学院長は――」
ドラグナーの目がアスカの腰に止まる。水筒の口は蓋がなく開いたままだった。
「……空いてる!?」
ドラグナーは水筒の口を覗き込もうとして、膝を折った。顔を水筒の高さまで近づける。アスカは半歩下がった。ドラグナーは膝をついたまま、その分だけにじり寄ってきた。
「蓋がない水筒は、正しいよ。鳩が入れる。鳩はね、入りたいんだ。ずっと入りたかったんだよ、学院長の水筒に」
「入れません」
「入れませんじゃなくて、入れてあげて」
ルシアが焼き菓子を持った手で口元を押さえていた。笑うのを我慢できず、肩が小刻みに揺れている。
「ドラグナー!」
人の間を縫ってエルザが駆けてきた。息を切らしたまま、ドラグナーの脇に腕を差し入れ、体重をかけて立たせた。
「申し訳ありません、本当に申し訳ありません。目を離したのは私なんです。全部私のせいなので」
エルザはドラグナーを支えたまま、空いた手でその後頭部を掴むと、自分と一緒にぐいと押し下げた。
「ほら、ドラグナーも」
「……ごめんね、学院長」
2人がアスカに頭を下げる。
「いえ」
「お店の方にもご迷惑を」
エルザは薬草屋の方へも頭を下げてから、ドラグナーの腕を肩に回し直した。ドラグナーは引きずられながら、首だけをこちらに向けていた。
「学院長、鳩のこと、頼んだよ」
何故か涙ぐみながらドラグナーはアスカに言葉をかけた。
2人の背中が人混みの向こうに消えるまで、ドラグナーの声は何度か聞こえた。最後の方は鳩ではなく、また白いのの話に戻っていた。
薬草屋の店主が、広げた袋を1つずつ台の下にしまっていった。
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薬草屋の前の人だかりは、もうなくなっていた。
アスカは再び金物屋を探して歩き出した。ルシアは残りの焼き菓子を食べ終えると、包み紙を畳んで通りがかりのくず籠に入れ、小走りで追いついてきた。
「鳩、入れてやれよ」
「入れるか」
「ずっと入りたかったんだぞ、学院長の水筒に」
「学院長じゃない」
「え!お前、学院長じゃなかったのか!?」
「ルシア」
アスカが鋭い目つきでルシアを睨む。
ルシアは気にしないとばかりに視線を逸らして、指についた菓子の粉を払った。
「そういやあの人、閉会式の時より顔色悪くなかったか」
「知らん」
「いや、見えてただろ?お前、あの人が寄ってきた時に半歩下がったじゃん」
「あれは単純に距離が近かったからだ」
「謎に水筒に興味津々だったよな」
アスカは答えなかった。屋台の列が途切れた先に、鍋や桶を軒先に吊るした店が見えた。
「……そういえばさ」
ルシアが、桶の並ぶ軒先を眺めながら口を開いた。
「アポリスの方で、なんかやばい薬が出回ってるらしいぞ」
アスカの足は止まらなかった。
「誰から聞いた」
「寮の誰か。食堂で誰かが話してたのをまた別の誰かが話してた」
「どこまで本当なんだ、それは」
「さあな。わかんねぇ」
「分からんことをさも本当のように話すな」
「いやでもさ、さっきの見てたら思い出したんだよ。白いのって」
ルシアは頭の後ろで手を組んで、肩をすくめた。
「あの人のは、学院が特別に許してるやつだろ」
「あの人だけな。だからヤバい気しかしないんだよ。あの人以外が手出したら、普通に終わりだろ」
「手を出す奴がいるならな」
「いるだろ、どこにでも。アポリスってこっちと荷のやり取り多いし」
「多いのはアテナだ」
「そうだっけ?」
「1年の筆記に出る」
「お前、1年の筆記なんか覚えてんの」
「お前が覚えてないだけだ」
「流石学院長だなぁ」
「……そろそろ痛い目を見たいか?」
「ごめんごめん、あれがツボっちゃってつい」
ルシアは軽く笑った。それからしばらく黙って歩いて、店先に吊られた桶を指で弾いた。ごん、と鈍い音がする。
「アスカ、アポリスって行ったことある?」
「ない」
「俺もないんだよなー。5年になったら行くのかね、遠征とかで」
「なれたらな」
「なれるだろ、お前は」
アスカは軒先の下に入った。棚の端に、大きさの違う蓋が皿の上にまとめて積まれている。
店の奥から店主の老人が顔を出した。アスカは腰の水筒を外して台の上に置き、蓋のない口を指で示した。
「これに合うのを」
店主は皿の山をかき回して、蓋を3つ並べた。
1つ目は大きすぎて、口の上に乗っただけだった。2つ目は途中でつかえて回らない。3つ目は最後まで回ったが、回しきっても少しだけ遊びが残った。
アスカはそれを買った。
「おー、あった?」
「ああ。少し大きいがな」
アスカはもう一度蓋を締め直した。最後まで回したあと、指の先で押すと蓋はわずかに傾いた。
「え、傾いてるけど大丈夫これ?」
「漏れさえなければ問題ない」
今回もお読み頂きありがとうございました!
今回はアスカとルシアの2人と、そこに乱入するドラグナーのお話でした!水筒の蓋を買いに行っただけのはずが、まさかのドラグナーと遭遇。学院長にされたアスカ、可哀想に…w
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未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/
次回投稿は10月31日(土)6時を予定しております。
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