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星脈と位相の狭間で  作者: 黒
アレシス学院編

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第57話:観察眼を身に付けるということ



「失礼します……」


 いつもの稽古場の扉を開けた時、ルリは部屋を間違えたかと思った。


 いつも座っている窓の下にカズハがいない。そこには帳面が1冊だけ閉じて置いてあって、カズハ本人は稽古場の真ん中に立っていた。


 右手には木剣を持っていた。


「おはよう、ルリくん」


「お、おはようございます……あの、先輩」


「どうしたの?」


「それ、木剣……ですよね」


「うん。木剣だね」


 カズハは自分の手元を見下ろして、少し首を傾げた。柄を握る指の置き方がやけに丁寧で、ルリが毎朝見ている武術科の誰よりも手に馴染んでいるように見えた。


「先輩、木剣とか持たない人なんだと思ってました」


「やだなぁ、僕だって武術科の生徒なんだよ?木剣くらい持つよ」


 カズハは壁に立てかけてある木剣を指さした。ルリは言われるまま1本取って、カズハの向かいに立つ。


「今日は僕が相手」


「えっ」


「エルダーくんは分かりやすかったでしょ。口と顎と、両方とも書いてあったから」


「は、はい」


「僕のは書いてないよ」


 カズハは木剣をゆっくりと持ち上げた。剣先を斜め下に向けたまま、腰を少しだけ落とす。


 捌の構えだった。ルリにも覚えのある形だった。


「ルールはこの前と同じ。僕が打つ前に打って」


 ルリは木剣を握り直した。


 目の前のカズハは、帳面を抱えている時と何も変わらない顔をしていた。表情は柔らかく、少し眠そうで、それでいて楽しそうだった。


 ルリはその顔から目を離して、肩を見た。肘を見た。足を見た。


 どこにも、癖と分かるものは出ていなかった。


 最初の1本は気付いた時には肩に当たっていた。


 痛くはなかった。木剣の先が軽く触れて、すぐに離れる。カズハはもう元の構えに戻っていた。いつ踏み込んだのか、ルリには分からなかった。


「1本だね」


 カズハ自身がそう言って、少しだけ笑った。


 次は見えた。見えたのは打たれる途中だった。ルリの体が勝手に動いて受け、流した勢いで木剣を返す。だが、返した先にもうカズハはいなかった。半歩横にずれていて、ルリの脇腹の手前で木剣が止まっている。


「受けて返すのは速くなったね。でも僕、それ知ってるよ」


 帳面に書いてあるからだ、とルリは思った。自分が受けたら返すことも、返す時に右へ流れることも。


 その後も、カズハは打つ前に何もしなかった。肩も上がらず息も吸わない。つま先の向きも変わらない。ルリは目を凝らしたまま何度も肩を打たれ、腕も打たれた。


 何本目かの前に、カズハが小さく息を吐いた。


 構えは崩れていない。顔もさっきと同じだった。ただ吐いた息が、少し長かった。


 カズハが打ってくる。ルリはそれを受ける。受けてそのまま返さなかった。カズハはまた元の位置に戻る。


 戻ったところで、カズハはまた息を吐いた。今度はさっきより長い。額の生え際に汗が浮いている。


 ルリは木剣を握ったまま、カズハの喉元を見た。


 吸って、吐いて。吐ききった後、ほんの一瞬だけ、肩がわずかに沈んで止まる。止まって、それから打ってくる。


 次も同じだった。吐いて、止まって、打つ。


 隠せるものは全部隠しているのに、息だけが整わない。整えるための一瞬だけが、どうしても入る。


 カズハが息を吐いた。


 肩が沈む。


 ルリはそこで打たれたと錯覚することにした。


 木剣が出た。カズハの木剣が動き始めるより先に、ルリの切っ先がカズハの右手首の手前に届いていた。


 当てはしなかった。手首の手前で、ルリの木剣は勝手に止まっていた。


「わっ」


 カズハの木剣は、振り上げかけた途中で止まっていた。


 カズハは手首の手前に止まった切っ先を見下ろした。それからルリの顔を見た。荒い息のまま、目を細めた。


「……今日はここまで」


 カズハが先に木剣を下ろした。


 壁際まで歩いていって、木剣を元の場所に立てかける。立てかけたあとも、カズハはしばらく柄を握ったままだった。それから名残惜しそうに、指を1本ずつ離した。


 ルリはそれを見ていたが、何も言わなかった。


 カズハは窓の下に戻って腰を下ろし、閉じてあった帳面を膝に載せた。ページはめくらない。表紙に手を置いたまま、しばらく息を整えていた。


「息、だったね」


「は、はい」


「ずっと隠してたつもりだったんだけどな〜」


 カズハは帳面の表紙を指で軽く叩いた。探していた物が思いもしない場所から出てきた時のような声だった。


 ルリも木剣を戻して、カズハの隣に座った。座ってから、膝の上で指を組んではほどいた。言うなら今だと思った。今を逃したら、また明日に回してしまう。


「あの、先輩」


「なあに」


「この前のノートで、ソラくんのページがあって」


 カズハの手が表紙の上で止まった。


「最初の1行だけ、本人の前で読んじゃったんです。それで、その……その後のも見せていいか、先輩に聞いてからにしようと思って」


「ソラくんに?」


「はい」


 カズハは窓の外を見た。中庭の方から、誰かが木剣を打ち合う音が遠く聞こえてくる。


「ソラくんのは、アスカくんも読んだことないんだよね」


「えっ」


「聞かれてないから見せてないだけだけど」


 カズハは膝の帳面を持ち上げて、表紙を確かめた。それから脇に積んであった別の1冊と取り替えて、ルリの方へ差し出した。今年の年号が書いてある。


「最初の数行だけならいいよ。続きは、ソラくんが自分で来たら見せる」


「い、いいんですか」


「ルリくんが聞きに来たからね。勝手に見せてたら、もうノート貸さないとこだったけど」


 ルリは両手で帳面を受け取った。思っていたより重かった。


「ありがとうございます」


 深く頭を下げて、ルリは立ち上がった。扉の前で1度振り返る。カズハは自分の帳面を開いて、何かを書き始めていた。


 ルリは帳面を胸に抱え直して、稽古場を出た。


今回もお読み頂きありがとうございました!


今回はずっと記録する側だったカズハがついに木剣を手に取る回でした。ルリが相手の打つ前に打てるようになってきた成長を皆様で見守りましょう!グフフ……


よければアクションやTwitterのフォローとかお願いします! @kuronekomaru015


未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/


次回投稿は10月21日(水)6時を予定しております。


何卒よろしくお願いします!


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