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星脈と位相の狭間で  作者: 黒
アレシス学院編

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第56話:全体を見るということ



 中庭の端の石段に腰かけて、エルダーは癖や剣の角度などのイメージトレーニングをしていた。


 夕方の中庭には人がまばらだった。自習の時間に残っているのは、隅で型の確認をしている2年が数人だけだ。日の傾いた石畳に、影が長く伸びている。


「おー、待った?」


 振り向くと、ルシアが柱に片手をつき、気だるげに身を傾けていた。いつから立っていたのか分からない。当然のように今日も片手に林檎を持っている。


「待ちました。めちゃくちゃ待ちました」


「そうか。悪いな」


 悪いと思っている声ではなかった。ルシアは林檎を齧ると、エルダーの足元に転がっていたもう1本の木剣に目をやった。


「それ、借りるわ」


「えっ」


 エルダーは石段から跳ねるように立ち上がった。


「先輩が持つんすか!木剣を!?」


「持つよ。稽古だろ」


「今まで1回も持ってないじゃないっすか」


「俺はな、気分屋さんなの」


 ルシアは林檎を齧り切ると、隅に置いてあったゴミ箱へと投げ入れた。林檎は縁に当たってからゴミ箱の中へと吸い込まれていった。

 それから屈んで木剣を拾う。拾った木剣をくるりと1度回して、そのまま右手にぶら下げた。


 構えはしなかった。剣先は下を向いたままで膝も伸びている。首を少し傾けて、エルダーの方をぼんやり眺めていた。


「昨日、カズハんとこでやったやつ。俺にもやってみろよ」


「わざと笑うやつっすか」


「それ」


「先輩にバレてんのにっすか」


「バレてても来るか来ないかは分かんないだろ。好きにやれ」


 エルダーは木剣を握り直した。


 目の前のルシアは、どう見ても眠そうな3年でしかなかった。立っている場所も、木剣の先も、目の向きも、どこにも力が入っていない。


 どこを見ればいいのか分からなかった。


 エルダーは木剣を構えたまま、しばらく動けなかった。


 ルシアは相変わらず木剣をぶら下げて立っている。石畳に伸びた2人の影のうち、片方だけが少しずつ揺れていた。揺れているのは自分の影だった。


「……先輩から来てくださいよ」


「やだ。面倒」


「稽古なんすよね、これ」


「稽古だよ。だからお前が来るんだろ」


 ルシアは欠伸を噛み殺した。噛み殺しきれずに口の端から少し漏れる。


 エルダーは足を踏み替えた。ルシアは見ていない。少なくともエルダーにはそう見えた。目は開いているが、どこにも焦点が合っていない。昼寝明けの猫が日向を眺めているような顔だった。


 エルダーは待った。ルシアも待った。


 どこからか鐘が1つ鳴った。夕時を告げる鐘で、稽古とは何の関係もない。だが、それをきっかけにエルダーの肩が勝手に跳ねた。


 跳ねた肩のまま、エルダーは踏み込んでいた。


 自分で決めたわけではなかったが、焦れていたところに音が鳴って体が先に出た。木剣を振り上げる。ルシアとの距離は3歩。2歩。


 ルシアの体がふっと沈んだ。


 ぶら下がっていたはずの木剣がいつの間にか下から上へ抜けて、振り上げたエルダーの手首の内側をこつんと叩いた。強くはなかったが、エルダーの木剣は振り下ろす前に止まった。


 ルシアはもう元の場所に立っていた。木剣も元通りに右手に持ってぶら下げている。首の傾け方まで同じだった。


「はい1本」


「……今の、どこ見てたんすか」


「どこも」


「どこもって」


「お前が先に動いたから、こっちも動いただけ」


 ルシアは叩いた方の手首を軽く振った。


「お前が動かなかったら、俺は夜までここに立ってたぞ」


 エルダーは手首をさすったまま、ルシアの顔をまじまじと見ながら口を半開きにしたまま首を傾げた。何をどう言い返せばいいのか分からなかった。その間、ルシアはまたボーッとしながら欠伸をしていた。


「じゃあ、もう1回行きます」


 エルダーは木剣を構え直した。ルシアは返事をせずに首を反対側へ傾けた。


 エルダーは口の右端を上げた。


 昨日ルリはこれで動いた。動いてしまった。来ないと分かっていても、手首がぴくりと跳ねていた。


 ルシアは動かなかった。


 眉ひとつ動かない。木剣の先も、肩も踵も何も変わらない。エルダーは笑ったまま半歩だけ前に出てみた。ルシアは動かない。


 もう半歩。


──動かない。


 口の端を上げたまま、エルダーは右肩を揺らした。掴みにいくふりだけ。これもルシアは動かない。今度は左足を踏み替えて木剣を振るふりをする。ルシアは欠伸をした。


「……ちょっと、何か一つは反応してくださいよ」


「え?何に」


「全部っすよ。今俺、3つくらい仕掛けたんすけど」


「なんか仕掛けてたのか」


 ルシアの声は本当に知らなかったように聞こえた。


 エルダーは笑うのをやめた。口元を結ぶ。結んだ唇の下で顎の筋が張るのが自分でも分かった。もうどうでもよかった。ふりはやめて、本当に襟を取りにいく。


 踏み込んだ。


 ルシアの体がふっと左へずれた。伸ばした右手が空を掴む。掴み損ねた腕の外側に木剣の腹が当たって、軽く押された。押されただけなのに、踏み込んだ勢いのまま体が流れる。


 エルダーは床に片手をついた。顔を上げると、ルシアはさっきより少しだけ左に立っていた。木剣はやはりぶら下がっている。


「今のは来たから動いた」


「さっきのは?」


「動いただけでこっち来てないじゃん。そりゃ動かんよ」


「笑ったのも、肩揺らしたのも、足踏み替えたのも全部っすか」


「それとかは動いてはいるけど、来てない」


 エルダーは手をついたまま、ルシアを見上げた。


「どうやって分けてんすか。来るのと来ないの」


「分けてないって」


 ルシアは林檎のない手で頭を掻いた。


「全体をぼんやり見てんだよ。どこってわけじゃなくて、お前と周りとかも含めて全部。で、全体が動いたら、こっちも勝手に動く」


「全体が……?」


「笑うのは口だけだろ。肩揺らすのは肩だけ。本当に来る時は、お前ごと来る」


 エルダーは床から手を離して立ち上がった。手のひらに細かい砂がついている。それを払いもせずに、もう1度構えた。


──お前ごと来る。


 エルダーは構えたまま、その言葉を頭の中で復唱した。笑っても肩を揺らしても、ルシアは見向きもしなかった。返されたのは本気で掴みにいった時だけだ。ならフェイントを何回やったところで意味がない。行くなら本気で行くしかない。けれど本気で行ったとて返される。


 ……これ、詰んでねぇか。


 分からないまま踏み込んだ。


 ルシアの体が横へずれる。伸ばした腕の外側を木剣の腹が撫でて、エルダーはまた前へ流れた。今度は手をつかずに踏みとどまる。振り返ると、ルシアは欠伸の途中だった。


「もう1回」


 返事を待たずに踏み込む。今度は掴みにいかず、木剣を振り下ろした。ルシアの木剣が下から上がってきて、振り下ろした腕の肘を軽く押し上げる。エルダーの木剣は肩の上で止まり、そのまま体ごと後ろへ半歩戻された。


 もう1回。肩から当たりにいく。ルシアはいない。


 もう1回。足元を払いにいく。ルシアの踵がひょいと上がって、払った足が空を切る。



 何度目か分からなくなった頃には、エルダーの膝も震えていた。肩で息をしながら構え直す。腕が重い。口の端を上げる力も、顎に力を入れる余裕もなかった。考えることがもう何も残っていなかった。


 ただ前に出た。


 右手が勝手に伸びていた。どこを掴もうとしたのかエルダー自身にも分からなかった。


 ルシアの木剣が上がる。上がりきる前に、エルダーの指先が何かに触れた。


 布の感触だった。


 エルダーは前のめりのまま止まった。ルシアの木剣は、エルダーの首の横でようやく止まっていた。


 2人とも動かなかった。


 ルシアがゆっくりと視線を落とした。自分の左の袖。その端を、エルダーの中指と人差し指の先がかすかにつまんでいる。


「……あ」


 ルシアの声は、それだけだった。


 エルダーはそのまま床に座り込んだ。


 膝に力が入らない。指先にはまだ布の感触が残っていた。ルシアは木剣をぶら下げたまま、自分の袖の端を見下ろしている。


「……今の、もう1回やれって言われても、できないっす」


「まぁー、そうだろうな」


 ルシアは石段の方へ歩いていって、1番下の段に腰を下ろした。木剣は膝の上に置いた。


「アスカなら今の、来る前に読んでたろうな」


「読む?」


「あいつは俺とは逆なんだよ。俺はぼんやり見てて、動いたら反射で動く。あいつは全部読んで、来る前にもう決めてる。だから1歩も踏み込まなくていい」


 エルダーは初日の2対1を思い出した。向きを変えられただけで、ソラとぶつかった時のことだ。


「ソラは、あれに毎朝付き合ってんすよね」


「そういうこった」


 ルシアは欠伸をした。


「最近あいつら、朝はもうあれこれ指示出してやってないぞ。アスカが黙って打って、ソラくんが黙って受けて。たまに音が変わる。それだけ」


「音っすか」


「俺の部屋まで聞こえんだよ。うるさくて二度寝できねえ」


 その時、渡り廊下の方から足音が聞こえた。


 エルダーが顔を上げると、柱の陰をアスカが歩いてくるところだった。片手に水筒を提げている。訓練場の方へ向かう途中のようだ。


 アスカの足が、ほんの少しだけ緩んだ。


 石畳に座り込んだエルダーと、石段で木剣を膝に載せたルシアを順に見る。それからルシアの膝の上の木剣で目が止まった。


 何も言わなかった。


 アスカはそのまま歩き出し、柱の向こうへ消えていった。足音が遠ざかって、聞こえなくなる。


「あ……見られた」


 ルシアが面倒くさそうに呟いた。


「見られたら何かまずいんすか」


「明日の朝、絶対なんか言われる」


「何をっすか」


「知らね。まーた『お前が指導するなんて、珍しいこともあるもんだ』みたいな嫌味でも言ってくんだろうなぁ」


 ルシアはため息をつくと、膝の上の木剣を石段に立てかけた。それから自分の左の袖をつまみ上げて、皺になった端を指で伸ばした。


今回もお読み頂きありがとうございました!


今回はついにルシアが剣を握る回でした。やる気がないようで、ちゃんと強いルシア。ダウナー系つよつよお兄さん、カックイイですねぇ〜〜〜〜!


よければアクションやTwitterのフォローとかお願いします! @kuronekomaru015


未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/


次回投稿は10月17日(土)6時を予定しております。


何卒よろしくお願いします!


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