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星脈と位相の狭間で  作者: 黒
アレシス学院編

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第55話:いい練習台ことエルダー



 小さい方の稽古場に着くと、カズハはもう窓の下に座っていた。


 膝の上に帳面を1冊だけ開いている。いつも脇に抱えている山のような量は今日はなかった。


「おはよう、ルリくん」


「お、おはようございます。もう昼ですけど」


「ルリくんに会ったのは今日初めてだから、おはようでいいんだよ」


 カズハは帳面から顔を上げずに手招きした。ルリが隣に腰を下ろすと、開いたページをこちらへ傾けてきた。2冊目の41ページだった。


「昨日、ちゃんと寝た?」


「寝ました。気付いたらにゃごすちんで毛布を掛けられてて」


「にゃごすちん?」


「あの、猫がいるお店で」


「ふうん」


 それ以上は聞かれなかった。カズハは41ページの1行目を指でなぞった。口の右側、半歩遅れて手。そこにはルリが昨日エルダーに話した通りの字が並んでいる。


「今日の相手、この子にしたから」


「えっ」


「1年生の分を全部読んだなら分かるでしょ。このノートで1番分かりやすいのは、この子なんだ」


 ルリは帳面とカズハの横顔を見比べた。


「でも先輩、エルダーくんのこと、いらないって」


「うん。あの子はいらないよ。あの子の癖がいるの」


 扉の向こうから足音が2つ近付いてきた。1つは大股で弾むような足音で、もう1つはほとんど引きずるような音だった。


 扉が開いた。


「失礼しまっす!」


 エルダーが入ってきた。その後ろからルシアが林檎を齧りながら続く。


「よう、カズハ。連れてきたぞ」


「ありがと」


「貸すだけだからな。壊すなよ」


「壊すのは僕じゃないよ」


「えっ、俺そんな、物かなんかだと思われてます?」


 カズハの目がルリの方を向いた。エルダーもつられてこちらを見る。ルリと目が合うと、エルダーは自分の口元を片手で覆った。


「ルリ。お前、昨日のあれもう試す気か」


「ぼ、僕が決めたんじゃないですよ!?」


 エルダーは手をどけないまま、壁際に立てかけてある木剣を見た。


「決まりは2つだけ」


 カズハは帳面を膝に置いたまま指を2本立てた。


「エルダーくんはいつも通りでいいよ。木剣で打っても組みにいってもいい。当てるか転がしたら1本ね」


 カズハは立てていた指を1本折って、ルリの方を向いた。


「ルリくんはエルダーくんが打つ前か掴む前に打つ。それだけ」


「それって俺、何もしてねぇうちに叩かれるってこと……?棒立ちしてても叩かれるじゃねぇっすか」


「うん、痛いだろうからね。避けるんだよ。もし当たったら痛そうだったってノートに書いといてあげる」


「書くだけっすか!?」


 エルダーは木剣を1本取って肩に担いだ。ルリも隣の1本を握る。2人が稽古場の真ん中で向かい合うと、ルシアは壁にもたれて林檎の残りを齧り、カズハはその足元で帳面を開いた。


「始めて」


 エルダーが構えた。口は真っ直ぐに結ばれている。眉間に力が入りすぎて、目つきだけが妙に鋭い。


 ルリはその口元だけを見ていた。右の端が上がったら打つ。それだけを考えて木剣を握り直す。


 エルダーが動いた。


 口は動かなかった。床を蹴る音だけが先に来て、太い腕がまっすぐ襟元へ伸びてくる。ルリは半歩下がって木剣を上げたが遅かった。襟を掴まれ、体がふわりと浮く。背中から床に下ろされた時には、もうエルダーの手は離れていた。


「1本」


 カズハが帳面に何か書き込んだ。


「す、すみません」


「謝らなくていいよ。もう1回」


 ルリは起き上がって構え直した。エルダーの口元はさっきと同じく固まっている。ルリは目を凝らしたが、端はぴくりとも動かない。


 今度は木剣が先に来た。上から重い一振りが落ちてくる。


 ルリの手が勝手に動いた。受けて流して、流した勢いのまま木剣が返る。切っ先がエルダーの脇腹の手前でぴたりと止まった。


「うおっ」


 エルダーが飛び退く。ルリは自分の手元を見下ろした。


「今のは昨日までのルリくんだね」


 カズハは書く手を止めずに言った。


「打たれてから打った。それはもうできるの。今日やるのはその前」


「でも先輩、エルダーくん口が全然動かなくて」


「うん。動かないね」


 カズハは顔を上げてエルダーを見た。エルダーは口を押さえたまま眉間に皺を寄せている。


「意識しながらだと疲れるんすよ、これ」


 ルシアが林檎の芯を口に咥えながら欠伸をした。林檎の芯がポロリと落ちる。


「ちょっと休憩しよう」


 カズハの一言でエルダーはその場に座り込んだ。ルリも膝に手をついて息を整える。木剣を握っていた指がまだ少し痺れていた。


 壁際ではルシアが体を屈めて、カズハの膝の帳面を上から覗き込んでいた。


「なあ、それ俺のページもあんの」


「あるよ」


「見せて」


「やだ」


「なんでだよ。俺のだろ」


「僕のノートだよ」


 カズハは帳面を閉じて胸に抱えた。ルシアは覗き込んだ姿勢のまま首を傾げる。


「ルシアくんは見たら直すでしょ」


「直さねえよ。面倒だし」


「だから見せない。直さないって分かってる人に見せても意味がないもん」


「もっともらしいこと言ってるけど、それどっちにしろ見せる気ないやつだろ」


「うん」


 ルシアは体を起こすと、首を回して小さく鳴らした。


「つーか、1年の癖なんか見てどうすんの。お前もう武術科のことは」


「見てるだけだよ」


 被せるように返事をしたカズハの声は平らだった。ルシアはそれ以上何も言わずに、また壁にもたれた。


 ルリは2人のやり取りを聞きながら、エルダーの横顔を見ていた。エルダーは床に座ったまま唇を指で揉んでいる。揉んではまた一文字に結ぶ。その度に顎の下の筋がぐっと張った。


「ルリくん」


 いつの間にかカズハがすぐ後ろに立っていた。足音はしなかった。


「癖ってね、1個じゃないんだよ」


「1個じゃ、ない」


「1個隠すとね、隠してるのがどこかに出るんだ」


 カズハはそれだけ言うと、また壁際の元の場所へ戻っていった。


 ルリはもう一度エルダーを見た。結んだ唇。張った顎の筋。座ったまま結び直す度に、そこだけが動く。


「再開しよっか」


 カズハが帳面を開いた。


 エルダーが立ち上がって木剣を拾った。ルリも向かいに立つ。


 構えたエルダーの口はやはり固く結ばれていた。ルリは口ではなく、その下を見た。


 顎の筋が張った。


 見えた瞬間にルリは打たれたと自分を錯覚させるようにした。木剣が勝手に出る。エルダーの手が襟へ伸びてくるより先に、切っ先がその前腕を叩いた。


 乾いた音が稽古場に響いた。


「いっ……」


 エルダーの手が宙で止まる。ルリは打った姿勢のまま固まっていた。


「1本」


 カズハの声がした。筆が紙を擦る音が続く。


「い、今の……」


「打たれる前に打ったね」


「お、俺何もしてねぇぞ!まだ掴んでもねぇ!」


「掴む前に叩かれたんだろ?おー、痛そっ」


 エルダーは前腕をさすりながらルリを見た。それから自分の顎に手をやった。


「……もう1回だ」


 構え直したエルダーの顔から、力が抜けていた。口元は結ばれていない。顎の筋も張っていない。ルリは目を凝らした。どこを見ればいいのか分からなくなる。


 エルダーの口の右端が上がった。


 ルリの木剣が出た。出てしまった。


 エルダーは来なかった。


 前に出た木剣が空を切って、ルリの体が流れる。流れた先で二の腕を掴まれた。視界がひっくり返り、背中に床の冷たさが広がる。


 見上げると、エルダーが木剣を構えたまま自分の口元を触っていた。


「……今の、俺わざと笑ったんだけど」


 壁にもたれていたルシアが体を起こした。


 カズハの筆も止まっていた。少しして、さっきより速く動き始めた。


 ルリは床に手をついて起き上がった。


 背中がじんと痛む。木剣はさっき転がされた時に手から離れて、壁際まで滑っていた。拾いに行こうとしてルリは足を止めた。


「も、もう1回」


 声が思ったより大きく出た。エルダーが口元から手を離してこちらを見る。


「……お願いします」


「おう」


 エルダーはすぐに構えた。ルリも木剣を拾って向かいに立つ。カズハは何も言わずに帳面のページをめくった。ルシアは体を起こしたまま腕を組んでいた。


 エルダーの口の右端が上がった。


 ルリの手首がぴくりと動く。木剣の先が少しだけ前に出かけて、そこで止まった。


 エルダーは来なかった。口の端を上げたまま、ルリの顔をじっと見ている。


 ルリも動かなかった。動かないまま顎の下を見た。筋は張っていない。まだ来ない。


 エルダーの笑みが消えた。口元が結ばれる。結んだ唇の下で顎の筋がぐっと張った。


 来る。


 ルリの木剣が出た。同時にエルダーの体が前に沈む。伸びてきた腕を払うつもりで振った木剣と、エルダーが咄嗟に上げた木剣が正面からぶつかった。


 硬い音が稽古場に響いた。


 手のひらから肘まで痺れが走り、押し込まれる。ルリは歯を食いしばって踏ん張った。エルダーの顔がすぐ目の前にある。目を見開いていた。


 その時、遠くで鐘が鳴った。昼休みの終わりを告げる鐘だった。


 2人とも動かなかった。木剣を合わせたまま、鐘の音が消えていくのを聞いていた。


「はい、おしまい」


 カズハの声がした。パタンと帳面を閉じる音が響く。


 エルダーが先に力を抜いた。ルリも遅れて腕を下ろす。合わさっていた木剣が離れた瞬間、膝が少しだけ笑った。


「……今のどっちの1本っすか、先輩」


「何言ってるの。見た通り、どっちでもないよ」


 カズハは立ち上がって帳面を脇に抱えた。


「……2人とも、このノートに書いてないことしたでしょ。書き足さなきゃね」


 ルシアが欠伸をしながら扉の方へ歩き出す。エルダーはその背中を見て慌てて木剣を棚に戻し、ルリの方を振り返った。何か言いかけて口を開いたが声には出さず、ニッと笑って親指を立てるとルシアの方へ駆け寄って行った。


 ルリは痺れの残る手で、木剣を棚に戻した。


今回もお読み頂きありがとうございました!


今回はルリの稽古回でした。カズハはエルダーのことを「いらない」と言いつつ、ちゃっかり癖だけ利用する狡猾さ……実は腹黒先輩なのかも……


よければアクションやTwitterのフォローとかお願いします! @kuronekomaru015


未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/


次回投稿は10月14日(水)6時を予定しております。


何卒よろしくお願いします!


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