第54話:1週間の報告会議
ソラが店の扉を押し開けた途端、足元を黒いものがすり抜けた。
「ちゃちゃ丸!捕まえて!」
奥からミオの声が飛んでくる。ソラは半歩戻って屈み、石畳に降りかけたところを両手で掬い上げた。ちゃちゃ丸は抱えられたまま首を外へ伸ばし、通りの向こうに向かって2度鳴いた。
「ナイス!今日それで3回目なの」
「何かあるのか、向こうに」
「魚屋さんが、いい鯛が入ったって朝から表で叫んでたから多分それで!」
ソラはちゃちゃ丸を抱え直して扉を閉めた。腕の中で、不満そうな唸り声が続いている。
奥のテーブルには、もうエルダーがいた。椅子に浅く腰かけて、何故か背もたれには寄りかかっていなかった。
「おう、遅ぇぞ」
「訓練場に寄ってた」
「昼もいなかったか?お前」
「昼と夕方はまた別なんだよ」
「???何がどう別なんだよ」
答える前に、厨房からネロが盆を持って出てきた。湯気の立つ器が3つ並んでいる。
「いらっしゃい、ソラくん。今日は貸切にしておきましたからね」
「すみません、毎回」
「どうせお客さんも来ませんしね」
ネロは器を1つずつ置いていき、置き終えたところで手を止めた。ソラと、エルダーと、カウンターで猫の餌皿を洗っているミオを、順に眺める。
「……皆さん、この1週間で顔つきが変わりましたね」
「え、マジっすか」
エルダーが自分の頬を両手で挟んだ。
「どこっすか。俺、もしかして美男具合が更に増しちゃいました?」
「エルダーくんは、座り方です。前はもっとこう、椅子に沈んでいましたよ」
「あー……」
エルダーは背もたれとの間に空いた隙間を見下ろした。
「朝飯ん時に寄りかかってたら、ルシア先輩にそれだとすぐ立てないだろって椅子の脚蹴られて。それからなんかトラウマみてーになっちゃって……」
「流石にそれは理不尽っていうか、エルが可哀想だな……」
「だろー?ほんと、それからルシア先輩が近くに来る度にヒヤヒヤしてんだぜ」
エルダーはその時の光景を思い出し、さらに背筋を張って座り直した。
「ソラくんは、手ですね」
言われてソラは、ちゃちゃ丸を支えていた手を片方開いた。豆の位置が、入学前と少しずれている。指の付け根から、手のひらの真ん中の方へ。
「あたしは?あたしは?」
ミオが濡れた餌皿を持ったまま身を乗り出す。ネロはしばらくミオの顔を眺めていた。
「ミオは……変わりませんね」
「なんでよー!」
「毎日見てますし」
餌皿から水滴が飛んで、エルダーの器の横に落ちた。
それとほぼ同時に扉のベルが小さく鳴った。
隙間から帳面の角が先に入ってきた。続いてそれを両腕で抱えた細い手首と、片側だけ跳ねた髪が見えた。
「お、お邪魔します……」
ルリの目の下にははっきりと分かる隈が浮いていた。
「ルリくん!?どうしたのその顔!」
ミオが餌皿をカウンターに置いて駆け寄った。
「あ、いえ、その……ちょっと、読み物が……」
「読み物って、これ全部?」
ルリはこくりと頷いて、ソラの隣の椅子に腰を下ろした。帳面は床には置かずに膝の上に積み直す。
「寝てないのか」
「寝ては、います……たぶん」
ソラが何か言う前に、またベルが鳴った。
リゼアだった。脇に分厚い本を2冊抱えている。
「図書館、今日は早く閉まったの」
誰も聞いていないことに答えて、リゼアはエルダーの向かいに座った。そこに置いてあった器を引き寄せ、湯気を一度吹いてから本を開く。
「あっ、全員揃った!」
ミオがちゃちゃ丸をソラの腕から抱き取って、テーブルを見回した。
「ねぇねぇ、久しぶりにやろうよ。ちゃちゃ丸に聞くの。この1週間で、誰が1番変わったか」
「それ前にやって、肉の前に座ったやつだろ?アテになんねえって」
「今日はお肉落ちてないから大丈夫!」
ミオはもう紙と筆を取りに走っていた。5枚に名前を書いて、床に半円の形に並べていく。ソラ、エルダー、ルリ、リゼア、最後に自分の分を、他より一回り大きな字で書いて端に置いた。
「ずるくねぇか、それ」
「字の大きさは関係ありませーん」
ミオが屈んで、ちゃちゃ丸を半円の真ん中に下ろした。
ちゃちゃ丸はしばらくその場に座り込んで、前足を舐めていた。それから立ち上がり、ソラの紙に鼻を寄せる。匂いを嗅いで通り過ぎた。エルダーの紙はまたいだ。ルリの紙の前では一度立ち止まり、そのまま前足で端を踏んで進んだ。
次がリゼアの紙だった。
ちゃちゃ丸は紙の手前で横へと逸れた。紙を中心に小さな弧を描くように回り込み、反対側へと出る。
そのまま、1番端の大きな字の上まで歩いていった。そしてその字の前で丸くなる。
「ほらー!!」
ミオが両手を突き上げた。
「あたし!あたしが1番変わったって!ちゃちゃ丸がそう言ってる!」
「……では、変わったのかもしれませんね」
ネロは呆れた顔をしながら首を傾げた。
「今、リゼアのとこだけ露骨に避けてたよな」
エルダーが床を指差す。
「紙が気に入らなかったんでしょ」
リゼアは読んでいた本の頁をめくりながら言葉を返す。
「紙は全部同じだぞ」
「じゃあ字が気に入らなかったのよ。読めなかったのね、可哀想に」
「えっ、あたしのせい!?」
リゼアは本から目を上げないまま、自分の名前の紙を靴の先で、ちゃちゃ丸の方へ少しだけ押した。
ちゃちゃ丸は迷惑そうにふんすと鼻を鳴らすと、片目だけ開けてまた閉じた。
ミオがちゃちゃ丸を抱き上げて、自分の椅子に戻った。
「はい!それじゃ1番変わったあたしが仕切ります!1人ずつ、この1週間の報告ね!」
「何の会だよ、これ」
「報告会!まずエルダーくん、どうぞ!」
指を差されたエルダーは、「俺え?」と言うと器を持ったまま天井を見上げた。
「えーと。昼間はルシア先輩と一緒にいて、朝練来たのは2回。1回は壁際で林檎食って帰った」
「もう1回は?」
「寝てた。壁際で」
「来た意味なくない?それ」
「昼は食堂で飯食いながら、パン並べたり器並べたりして、シミュレーションしたりか」
「前言ってたやつ、答えは出たのか」
ソラが聞くと、エルダーは器を置いて腕を組んで天井を見上げた。
「まだ。……まだだ」
「なんのことー?なんのことー?」
ミオがエルダーとソラの顔を交互に見るが、どちらも返事はしなかった。
「もー!じゃあ次!あたし!」
ミオは自分で自分を指差した。
「シオリ先輩とは毎日、第2実習室で的の真ん中に当てる練習を100回。先輩は100回とも真ん中なのに、あたしは真ん中の周りに丸ができるの」
「丸ができるなら上手いんじゃねぇのか」
「ドーナツみたいな丸なの!真ん中だけ空いてるの!」
「逆にすげーだろそれ」
ミオがちゃちゃ丸の背中を撫でる手が速くなった。ちゃちゃ丸が尻尾の先で床を叩く。
「差し入れも毎日持ってってるよ。昨日のは甘いだけのやつだったのに、先輩、飲んだあと涙目になってた」
「先輩、可哀想すぎるって」
「なんで!?甘いだけだよ!?」
「……そうじゃなかったから涙目になってるんだろ」
「はて……」
ミオは少し不満気に眉を顰めた。
「うーん、じゃあ次!リゼア!」
「セレナ先生と2回会った」
「で!?」
「お茶飲んだ」
それだけ言って、リゼアは本のページをめくった。ミオは続きを待ったが、本をめくる音しかしなかった。
「……次!ソラ!」
「毎朝先輩に打たれてる」
「知ってる。俺そこにいるもん」
「それだけ?」
ミオが紙を丸めかけた手を止めた。ソラは器を置いて、右の手のひらを見下ろした。豆の潰れた跡が、まだ少し赤い。
「……1回だけ、乗せられた気がした」
「乗せられたって、何を?」
「先輩の打ち込みの重さを。受けたのをそのまま返せた気がしたんだ。3日前の朝」
エルダーが匙をくわえたまま顔を上げた。
「あー、あれか。先輩がいきなりもう1本って言ったやつ」
「それ」
「すげぇ音したもんな。俺、壁際で腰浮いたわ」
「で、で?それからどうなったの?」
ミオが身を乗り出す。ソラは手のひらを握って開いた。
「できなかった。その日も、次の日も」
「えー!」
「同じようにやってるつもりなんだけどな。何が違ったのか、自分でも分からない」
「先輩は何て言ってたの」
「何も」
ソラは少し考えてから付け足した。
「ただ、それからの打ち込みが前より重くなった気はする」
「相変わらずアスカ先輩の特訓は感覚派すぎて分かんねぇな」
「まぁ……そうだな」
リゼアの指が、めくりかけた頁の端で止まっていた。少しして、そのまま頁がめくられた。
「はい、じゃあ最後!ルリくん!」
ルリの肩が跳ねた。膝の帳面を抱え直してから、小さく口を開く。
「生徒の特徴の書かれたノートを読んでいます。1年生の分は、全部読み終わりました……。今は2年生の分を」
「1週間で!?」
「え、待てよ。じゃあ俺のも載ってんのか?」
エルダーが椅子から身を乗り出した。ルリは帳面を開かなかった。目だけを少し上に向ける。
「……2冊目の、41ページ目です」
「ページまで覚えてんのかよ」
「エルダーくんは……組みにいく前に、必ず笑う、って」
エルダーの手が、宙で止まった。
「……笑う?」
「口の右側だけ、上がるそうです。それから半歩、遅れて手が出るって」
ソラは決勝の舞台を思い出していた。弾かれて体勢が流れたあの時、こちらの顔を見ながらエルダーは確かに口の端を上げていた。
エルダーは自分の口元に手をやり、右側の頬を指で押さえた。
「……ソラ、ちょっと腕貸せ」
「なんで」
「いいから」
ソラがテーブルの上に右腕を置くとエルダーは、真顔のままその手首を掴んだ。眉間に力が入りすぎて目つきだけが妙に鋭い。
「どうだ。笑ってねぇだろ」
「いやむしろ顔こわっ」
「怖くていいんだよ、バレなきゃ」
「でも、口の右だけぴくぴくしてるぞ」
ソラに言われてエルダーは掴んだ手首を離した。もう一度掴み直す。口の端が、また引きつった。
「あ、あの……」
ルリが帳面の上で指を組んだ。
「でも、先輩は、直さなくていいって書いてました」
エルダーの手が、ソラの手首を掴んだまま止まった。
「……なんでだよ」
「そ、そこまでは……書いてなかったです」
エルダーはソラの手首から指を1本ずつ外した。
そして両手で頬を挟んでそのまま額をテーブルに落とした。
「……直さなくていいって何だよ。笑ったらバレんだろ」
テーブルに額をつけたまま、くぐもった声を漏らす。
「バレたとこで俺は止められなかったけどな」
ソラは器を持ち上げて、冷めかけたスープを啜った。
エルダーの頭が、少しだけ持ち上がった。頬にまた木目の跡がついている。何か言いかけて口を開き、そのまま閉じてもう一度額を落とした。
「ねぇルリくん、あたしのは?あたしの癖も書いてあった?」
ミオがちゃちゃ丸を抱えたまま身を乗り出した。
「ミ、ミオさんは……1回戦から準決勝まで、全部……」
ルリは目だけ上に向けたまま、少し言いよどんだ。
「……大きい魔法の前は、息を大きく吸って止めるって。それから、相手を凝視してから口元が少し緩む、って」
「えっ」
「その下に、1行だけ……『本人は隠しているつもりだが、相手にも伝わっている』、って……」
ミオが口を開けたまま固まった。膝の上のちゃちゃ丸が、その顔を見上げる。
「……緩んでた?あたし」
「あー、分かる気する」
エルダーがテーブルから顔を上げた。
「準決勝の時、撃つ前にちょっとニヤニヤしてたもんな。絶対何か企んでるなって思ったわ」
「ニヤニヤって何さ!なんか変態みたいじゃん!」
「1回戦の試合、変態に片足突っ込んでたようなもんだろ」
「なんだとーっ!!!」
ミオはエルダーを叩こうと身を乗り出したが、膝元でちゃちゃ丸が爪を立ててミオの目を見て睨んでいたので、そっと座り直した。
その騒ぎの横で、ルリの瞼がゆっくり下りてくる。下りきる前に、はっとして目を開けた。
「あ、あと……先輩が、明日から、読んだのを使うって。実地、だそうです」
「実地って何すんだ」
エルダーが睨みを利かせてくるミオを横目に聞き返した。
「分からないです……聞く前にノートを積まれたので……」
ネロが厨房から皿を持って出てきた。焼いた芋が、湯気を立てて山になっている。
「お腹に何か入れておいた方がいいですよ。明日も早いんでしょう」
「いただきます……」
ルリは芋に手を伸ばした。ひとくち目は口まで届いた。ふたくち目を食べようとしたところで、手が皿の上で止まって垂れる。
頭が、前に傾いた。
帳面の山に額がつく寸前で、ソラが手を差し出して止めた。ルリは目を閉じたまま、小さく寝息を立てている。
「寝た」
「寝たな」
「寝てるわね」
ミオの膝の上で、ちゃちゃ丸が起き上がった。床に降りると、テーブルの下をくぐってルリの足元まで歩いていく。椅子の脚を伝って膝によじ登り、帳面の山の1番上に前足をかけた。
「えっ、そっち!?今あたしの上で寝てたじゃん!」
ちゃちゃ丸はそこで丸くなった。尻尾がルリの手首にふわりと触れる。
「1番変わったのはあたしなんだからね!」
「まだ言ってるの。もう誰もそれ気にしてないわよ」
ネロが奥に引っ込み、毛布を1枚抱えて戻ってきた。
広げた毛布を、ルリと帳面とちゃちゃ丸の上に、まとめて掛けた。
今回もお読み頂きありがとうございました!
にゃごすちんでそれぞれの1週間の報告を行う回でした!
書いてるうちに筆が乗って凄いボリュームになって、文字数見て我ながらびっくりでしたw
よければアクションやTwitterのフォローとかお願いします! @kuronekomaru015
未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/
次回投稿は10月12日(月)6時を予定しております。
何卒よろしくお願いします!




