第53話:ルシアとエルダーの初稽古……?
午前の稽古を終えて教室に戻ると、エルダーは両腕を天井に突き上げて、背骨が鳴るまで伸びをした。
「あー……腕がもう上がんねえよ」
「いや、今上がってるぞ」
隣の席で、ソラが汗を拭いた手拭いを畳んだ。
ペアが決まってから3日目だった。アスカの早朝稽古には毎朝押しかけている。だが、肝心のペアとなった先輩のルシアは、初日に二度寝しに帰ったきり一度も姿を見せていない。
「来たり来なかったりって言ってたけどよ、来たりの方が1回もねえんだよな」
「最初に来たのは数に入らないのか」
「あれは起こされて降りてきただけだろ」
──ガララ
教室の扉が開いた。
騒がしかった教室が、一瞬だけ静かになる。戸口の枠に肩を預けて、3年の胸章を付けた男子生徒が立っていた。片手に齧りかけの林檎を持っている。
「エル、いるか」
エルダーは椅子を蹴って立ち上がった。
「ルシア先輩!」
「声でかい」
「ついに稽古っすか!」
「そう、稽古」
ルシアは林檎をもう一口齧った。エルダーは机の脇に立てかけていた木剣を手に取る。
「何持ってきゃいいっすか!木剣っすか、それとも手甲とか――」
「財布」
エルダーの手が、木剣を掴んだまま止まった。
「……財布?」
「昼、行くぞ」
それだけ言うと、ルシアは戸口から離れて廊下の向こうへ歩いていった。足音がのんびりと遠ざかっていく。
エルダーは木剣を握ったまま、ソラの方を振り返った。
「今、財布って言ったよな」
「言ったな」
エルダーは木剣を机に放り出すと、鞄の底から財布を掘り出して廊下へ飛び出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
食堂の列の先頭で、ルシアは壁に掛かった札を3枚指差した。
「これと、これと、これ」
「……先輩、それ全部1人分っすか」
「そうだ。あっ、お前のは自分で頼めよ」
盆を受け取ると、ルシアは振り返りもせずに窓際の席へ歩いていった。
エルダーは財布を開いた。少し考えたあと、定食の札に伸ばしかけた指を少し安い札の方へずらした。
窓際の席では、ルシアがもう林檎の芯を皿の端に置いて、パンを千切っていた。
「先輩……稽古って言いましたよね」
「言った」
「どの辺が稽古なんすか」
「腹減ってたら頭回らないだろ」
エルダーが向かいに座り、自分の飯に手をつけようとした時ルシアが口を開いた。
「で」
ルシアがパンを口に放り込む。
「初日の2人がかり。何があった」
「……見てたんすか」
「見てない。アスカから軽く聞いただけだ」
エルダーは匙を置いた。思い出しただけで、右の前腕が疼く。
「アスカ先輩が2人で来いって言って、俺が先に行ったんすよ。正面から。掴めば勝ちだと思って」
「うん」
「ソラは横から回るって言ってたんで、俺が止めてる間にソラが、ってつもりだったんすけど」
「つもりだった」
「アスカ先輩、俺の腕を払っただけなんすよ。払っただけなのに、俺の体がソラの方に流れて。ソラがそれを避けたら、避けたとこに木剣がきて」
エルダーは右腕をさすった。
「次は逆で、ソラが先に行ったんで、俺は待ってたんすよ。そしたら今度は、俺が待ってる方にソラが飛ばされてきて」
「待ってたのか」
「待ってたっす」
「で、ぶつかった」
「ぶつかったっす」
ルシアはパンを飲み込んで、スープを一口啜った。器を置く音が、やけに静かだった。
「多分だけどアスカ、1回も自分からは動いてないだろ」
エルダーは匙を持ち上げかけて、そのまま止めた。
「動いてないって……いや、動いてたっすよ。腕払われたし、ソラも飛ばされたし」
「払っただけ。飛ばしただけ。踏み込んだか?」
エルダーは口を開きかけて、閉じた。思い出そうとしたが、確かにアスカが足を前に出した場面は浮かんでこない。
ルシアは面倒くさそうに息を吐くと、自分の皿から黒パンを2切れ取り、卓の上に並べた。間に、空になったスープの器を伏せて置く。
「これがアスカ」
器を指で突く。
「これがお前で、これがソラ」
右のパンと左のパンを、順に指差した。
「お前、掴みにいく時どこ見てた」
「どこって、先輩の袖っすよ」
「袖見ながら、ソラがどっちから来るか気にしてたろ」
「そりゃ、ぶつかったら嫌なんで……」
「ソラも同じ。お前がどこにいるか見ながら、横に回ってた」
ルシアは右のパンを器に向かって指で押した。器の手前で、パンの向きを少しだけ左へずらす。押されたパンはそのまま滑っていき、左のパンにぶつかって止まった。
「アスカがやったのは、これだけ。お前らが勝手にお互いの方へ寄ってくから、ちょっと向き変えてやればぶつかる」
エルダーは卓の上で重なった2切れのパンを見下ろした。
「……2人とも、先輩じゃなくて、お互いを見てたってことっすか」
「そういうこと」
「じゃあ、どうすりゃよかったんすか」
「それを考えるのが稽古だ」
ルシアは重なったパンの片方を摘み上げ、そのまま口に放り込んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
食堂を出ると、ルシアは廊下の分かれ道で足を止めた。
「じゃ、俺こっち」
「えっ、もう終わりっすか」
「昼休み終わるからなー」
ルシアは欠伸を1つ噛み殺して、寮の方へ歩き出した。数歩進んだところで、振り返らずに片手を上げる。
「明日の朝、行けたら行くわ。起きれたら」
「それ絶対来ないやつっすよね!?」
返事はなかった。背中が角を曲がって見えなくなるまで、エルダーはその場に突っ立っていた。
「お、エル」
後ろから呼ばれて振り向くと、ソラが木剣を肩に担いで、訓練場に続く渡り廊下の方から歩いてくるところだった。
「どうだった?稽古」
「……飯食って、パン並べてた」
「何だそれ」
2人で並んで、教室へと戻る廊下を歩き出す。エルダーは歩きながら両手を拳にして胸の前に並べ、右の拳を左へ寄せて、こつんとぶつけた。
「なあソラ。初日の2対1、お前どこ見てた」
「どこって、アスカ先輩だろ」
「俺がどこにいるかも見てなかったか」
ソラの足取りが、わずかに緩んだ。
「……まぁそりゃあ、見てたな。ぶつからないように」
「俺もだ。で、先輩はそれ分かってて、ちょっと向き変えただけなんだと。俺ら、勝手にお互いの方に寄ってってたんだってよ」
ソラはしばらく黙って歩いていた。肩に担いだ木剣の柄を、指先でトントンと叩く。その指が途中で止まった。
「そういえば先輩、あの時1歩も踏み込んでなかったな」
「お前、気付いてたのかよ」
「言われて思い出したんだよ」
教室の扉が見えてきた。中からは、午後の座学を待つ生徒たちの話し声が漏れてくる。
エルダーは廊下の真ん中で足を止めた。眉間に皺を寄せ、何か言いかけては口を閉じる。
「……じゃあ、どこ見りゃいいんだ。先輩だけ見てたらソラが見えねえし……いや、見えなくていいのか?けどそれだとぶつかるし……」
ぶつぶつと呟く声が、だんだん小さくなっていく。
ソラは教室の扉に手をかけたまま振り返った。
「エル、入るぞ。始まる」
「……おう」
返事だけして、エルダーは首を捻ったまま教室に入っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寮の部屋に戻ると、ルシアは靴を蹴るように脱ぎ捨てた。
机の上には、読みかけの本が何冊も積まれたまま崩れかけている。床には脱いだままの上着。寝台に倒れ込もうとしてルシアはその手前で足を止めた。
手を伸ばして、窓を開ける。
真向かいには訓練場が見える。昼休みも終わりかけで、人影は1つしかなかった。
アスカが1人で木剣を振っていた。
踏み込んで、振り下ろして、戻る。同じ動きを、何度も何度も繰り返している。木剣が空を切る音が、ここまで届いてくるような気がした。
アスカの足元には、水筒が1本転がっていた。栓は抜けたままで、傾いた口からは何もこぼれてこない。
「……はぁ、熱心だなぁ」
ルシアは窓枠に肘をつき、感心するような、呆れるような、どちらとも取れるようなため息をついた。
アスカは一度も、こちらを見上げなかった。
ルシアは窓に手をかけ、指1本分の隙間を残して閉めた。
今回もお読み頂きありがとうございました!
今回はエルダーとルシアの初稽古(?)でした!やる気がなさそうで、見るところは見ている先輩。そこにシビれる憧れるゥ!
よければアクションやTwitterのフォローとかお願いします! @kuronekomaru015
未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/
次回投稿は10月10日(土)6時を予定しております。
何卒よろしくお願いします!




