第49話:狂気の先輩?トヨミ・カズハ
スプーンが皿の縁に当たって、カチカチと鳴った。
ソラは右手を見下ろした。握っているだけのつもりなのに、指先が小刻みに震えている。スープを掬って持ち上げると、半分が途中で皿に戻っていった。
向かいの席では、エルダーが額をテーブルにつけたまま動かない。盆の上のパンは、手をつけられないまま冷め始めていた。
「……エル、食わないと午後もたないぞ」
「食ってる」
「食ってないだろ」
「脳内で……頭ン中で食ってんだ……」
くぐもった声が、テーブルの木目に吸われていく。
2人がどんよりとした空気を漂わせている中、隣の椅子が引かれる音がした。
「お、おはようございます……」
ルリだった。盆を置く手つきが、ソラよりも危なっかしい。汁物の表面が波打って、縁から一筋こぼれた。
「おはよう。……ルリも朝から何かやったのか」
「い、いえ、僕は何も。何もしてないです」
ルリは座ったものの、スプーンには手を伸ばさない。膝の上で両手を組んでは、ほどいている。
「あの……今日、昼休みに、小さい方の稽古場で待ってるようにって……言われて」
「誰に」
「グエン先生に、です。カズハさんが来るからって」
突っ伏していたエルダーの頭が、ごろりと横を向いた。頬に木目の跡がついている。
「お、顔合わせか。いいなぁ、普通の始まり方で」
「ふ、普通……ですか?」
「普通だろ。俺らなんか――」
言いかけて、エルダーは口を閉じた。そのまま、また額をテーブルに戻す。
「……いや、いいわ。思い出したら腕が痛ぇ」
「あれはエルも悪いよ」
ルリがソラの方を窺う。ソラは顎の米粒を指で拭って、首を振った。
「それで、その……」
組んだところで、ルリの手が止まった。
「ソラさん、一緒に来てもらえたりとか……しません、よね……」
ソラはスプーンを置いた。
「いいよ。昼、どうせ暇だし」
「ほ、本当ですか」
「俺も行く」
テーブルに額をつけたまま、エルダーが片手だけ挙げた。
「見学な。トヨミって先輩がどんな人なのか、見ときてぇ」
「エルは腕休めてろよ」
「見るだけなら腕は関係ねぇだろ」
ルリは2人を交互に見て、ようやくスプーンを手に取った。汁物を1口すすり、もう1口すする。
昼の鐘が鳴ってすぐ、3人は本館の裏手へ回った。小さい方の稽古場は、中庭からは見えない場所にぽつんと建っていた。
そこの床板は訓練場より色が濃く、隅に古い箒が2本立てかけてある。窓は1つしかなく、日の光がそこから差し込んでいた。
誰もいなかった。
「まだ誰もいないみたいですね」
ルリは入口から3歩のところで止まり、そこから動かなくなった。ソラが横を抜けて中に入る。エルダーは箒の方へまっすぐ歩いていって、拳で軽く小突いた。
「うわ、間違いなく安モンだぜこれ」
「叩くなよ。怒られるぞ」
「誰にだよ」
「……カズハさんに?」
「細けぇなぁ」
エルダーが箒から手を離す。
「ど、どこに立ってればいいんでしょう」
「どこでもいいだろ」
「真ん中だと、偉そうに見えませんか……?」
「舎弟でも連れて来たみたいにどーんと構えてりゃいいって」
「エル」
「悪ぃ」
ルリは真ん中と端のちょうど間あたりまで進み、そこで向きを何度か変えた。扉の方を向き、窓の方を向き、また扉に戻る。
「挨拶、どうしよう……よろしくお願いします、でいいのかな……。それとも、は、初めまして、が先……?」
「どっちも言えばいいんじゃないか」
「どっちが先ですか」
「……初めまして、かな」
「初めまして、よろしくお願いします……初めまして、よろしく……」
口の中で繰り返すたびに、声が小さくなっていく。エルダーが腕を組んで、うーんと唸った。
「ていうかよ、トヨミってどこの家なんだろな。聞いたことあるか?」
「ない」
「僕も……」
「苗字持ちってことは、ローライトんとこみたいなもんか」
「エル、お前なぁ」
「ごめんごめん」
ルリの顔から、みるみる血の気が引いていく。ソラは何か言おうとして口を開き、結局そのまま閉じて、窓の外に目をやった。中庭を、2年らしい生徒が欠伸をしながら横切っていく。
扉の軋む音がした。
ルリが背筋を伸ばしたまま固まった。
入ってきたのは、ルリとさほど背の変わらない生徒だった。3年の胸章を付けている。肩まである髪を後ろで束ね、脇に帳面を何冊も抱えていた。顔立ちが柔らかく、ソラは一瞬、魔法科の女子が迷い込んだのかと思った。
その生徒は、ソラにもエルダーにも目を向けなかった。真ん中と端の間で固まっているルリだけを見て、ぴたりと足を止める。
帳面が1冊、脇から滑り落ちた。
「は、初めまして、よろ――」
「やっぱり可愛い!」
ルリの口が、「よろ」の形のまま止まった。
カズハは落ちた帳面には目もくれず、ルリの前まで一息に歩み寄った。足音がほとんどしない。正面から顔を覗き込み、右に半歩ずれて、もう一度覗き込む。
「え、あ、あの、初め――」
「うんうんうん!」
カズハの目は、ルリの顔から肩へ、肩から足元へと降りていく。ルリはその視線に合わせて、少しずつ縮んでいった。
エルダーが、ソラの脇腹を肘でつついた。何か言え、ということらしい。ソラが口を開くより先に、カズハが首だけをくるりと回した。
初めてこちらを見て、2人への開口一番。
「そっちの2人、帰っていいよ」
さっきの弾んだ声が嘘のように、低い声だった。
「いや、俺らはルリの付き添いで――」
「いらない」
「いらないって、そんな言い方……」
エルダーが1歩踏み出す。ソラはその袖を掴んだ。指にまだ力が入らず、布がずるりと抜けかける。慌てて掴み直した。
「エル、行こう」
「でもよ」
「俺らはお呼びじゃないんだって。そもそも、呼ばれてるのはルリだけな訳だし」
エルダーはソラとカズハを交互に見た。それから大きく息を吐いて、踵を返した。
ルリがこちらを見ていた。何か言いかけた口が、声にならずに閉じる。ソラは小さく手を挙げて、扉の方へ歩いた。
稽古場を出たところで振り返ると、閉まりかけた扉の隙間から、中が少しだけ見えた。ルリがこちらに顔を向けたまま、眉を下げて口を半開きにしている。胸の前に浮いた両手が、行き場をなくして止まっていた。
扉が閉まりきる直前、その横からカズハが飛びつき、ルリの体に両腕を回すところが見えた。
今回もお読み頂きありがとうございました!
今回はルリとカズハ先輩の初顔合わせ回でした!可愛いもの好きなカズハは話の最後、ルリに何を…?
よければアクションやTwitterのフォローとかお願いします! @kuronekomaru015
未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/
次回投稿は9月30日(水)6時を予定しております。
何卒よろしくお願いします!




