第48話:天井に突き刺さった木剣
「遅い」
訓練場の扉を半分押したところで、中から声が飛んできた。
外はまだ暗い。にゃごすちんの階段を降りる途中で1段踏み外して、下で丸まっていたちゃちゃ丸に睨まれた。そこから走ってきたのに、アスカはもう木剣を2本持って、訓練場の真ん中に立っていた。
「日の出前って言ってましたよね」
「あぁ」
「今も前ですけど」
「俺より先に来い」
「先輩、何時に来てるんですか」
返事の代わりに、1本が放られてきた。受け取り損ねて、床を跳ねた木剣を追いかけて拾う。アスカの額には、もう汗が浮いていた。
「構えろ。上段だ」
「形だけ覚えておけって言われたやつですか」
「言ったこと、覚えたか」
「一応」
「なら次は中身だ」
ソラは木剣を頭上に掲げ、切っ先をアスカの目の高さに合わせた。構えた瞬間に、アスカが打ち込んできた。
ガンッ。
振り下ろして受けた。痺れが手首から肘まで上がってくる。そこから返そうと木剣を振り上げた時には、アスカはもう元の位置に戻っていた。
「遅い」
「受けてから返すのが剛じゃないんですか」
「受けた時には、もう振り始めてろ」
同じ場所に、同じ振りがもう一度落ちてくる。今度は受けた勢いのまま手首を返して、横から叩きにいった。アスカの木剣が、それを軽く払う。
「腕で振るな。軽い」
「全身でって、前にも言われました」
「言ったな。それができていない」
言い終わる前には、次の打撃が来ていた。
受けきれなかった木剣がソラの手から抜けて、床を転がっていく。
「拾え」
拾って構えた。打ち込まれて、受ける。今度は振り始めが間に合った。間に合った分だけ前へ出すぎて、アスカの切っ先が喉の手前で止まっている。
「出すぎだ。死ぬぞ」
「……はい」
大会の間ずっと、受けたら踏み込んで勝ってきた足だった。遅いと言われ、出すぎだと言われる。その間がどこにあるのか、まだ分からなかった。ソラは踵を床に押しつけて、もう一度構えた。
次の一撃は、今までより重かった。受けたはいいが、重さに押されてソラの体ごと後ろへ持っていかれる。2歩、3歩と下がり、壁際に背中をぶつけた。立てかけてあった木剣が何本か、ガラガラと床に倒れた。
「受けた重さを、足で逃がすな」
「逃がさなかったら潰れますよ」
「潰れる前に、剣に乗せて返せ」
「乗せるって、どうやって」
「俺の打撃そのものを利用しろ」
ソラは倒れた木剣を棚に戻しながら、打撃そのものを利用するというのがどういうことか考えた。戻し終わっても、答えは出なかった。
「おはようございまーす!!」
扉が壁に当たるほどの勢いで開いた。
アスカが木剣を下ろした。
入口にエルダーが立っていた。肩で息をしながら、なぜか満面の笑みを浮かべている。
「いやー、1回起きたんだけどよ、まだ早ぇなと思って寝直したら寝過ごしかけてさ!走ってきた!」
「……何で来たんだよ」
「昨日隣で聞いてたろ、俺。朝も来いって」
「お前に言ったんじゃないだろ」
「俺も聞いた。聞いたってことは来ていいってことだろ」
アスカは入口の方を見もしなかった。木剣を上げて、ソラに顎で構えを促す。
エルダーは返事がないのを気にする様子もなく、壁際にどかっと腰を下ろした。胡座をかいて、両手を膝に置く。
「俺のことは気にしないでください!見てるだけなんで!」
アスカが打ち込んでくる。ソラは受けたが、エルダーの声がまだ耳に残っていて、返すのが遅れた。振り上げたところを、上から押さえつけられる。
「あーっ!今の惜しい!」
アスカの手が止まった。
壁際は見ない。そのまま構え直すと、また打ち込んで来る。ソラは受けてすぐに振った。今度は届いた、と思ったところで弾かれ、返しが脇腹の手前で止まる。
「惜しいっ!でも今のは先輩が上手いわ!」
動きが止まる。
アスカが、首だけを壁の方へ向けた。
何も言わない。
「あ、はい。黙ります」
エルダーが両手で口を塞いだ。塞いだまま、ソラが受けを外すたびに「んんっ」と鼻から音が漏れてくる。何度目かで、アスカが木剣の先で床を一度だけ叩いた。音は止んだ。代わりにエルダーの体が、上下に小刻みに揺れ始めた。
ソラは笑いそうになるのを、奥歯を噛んで堪えた。堪えている間に来た一撃を受けて返すと、アスカの木剣から、今朝1番重い音がした。
「今の!」
「喋るな」
アスカが木剣を下ろして、持ってきていた水筒の方へ歩いていく。休憩と呼べるのはそれだけだった。
その隙に、エルダーが胡座のまま、床を尻で滑るようにしてソラの横まで寄ってきた。
「なあ」
「喋るなって言われたろ」
「小声ならいいだろ。……交換、まだ諦めてねぇからな」
「だから無理だって」
「毎朝来てりゃ、そのうち情が移るかもしんねぇだろ」
「犬猫じゃないんだからさ……」
向こうの方から足音がした。アスカが戻ってくる。エルダーは同じ動きで、尻で床を滑って壁際へ帰っていった。
窓の外が、少しずつ明るくなってきていた。
入口に、いつの間にかもう1人立っていた。
ルシアだった。髪の片側が潰れて、反対側が跳ねている。上着の前が掛け違っていて、片手には林檎を持っていた。齧りながら、扉の枠に肩を預ける。
「……でかい声がすると思ったら」
「あ、ルシア先輩!おはようございます!」
「それ。その声」
ルシアは林檎を持った手で、訓練場の奥の窓を指した。
「寮の俺の部屋、あの窓の真向かいなんだよ。暑いから開けて寝てたら、おはようございまーすで起きた」
「すんません!」
「いいよ。もう起きたし」
林檎を一口齧る。噛んでいる間、誰も喋らなかった。
「で、お前俺のペアだろ。何でアスカのとこにいんの」
「見学っす!」
「見学ね」
ルシアはソラの方に目をやって、それから床に落ちているアスカの汗の跡を眺めた。
「ソラくん。こいつ、何時からいた?」
「俺が来た時には、もう」
「だろうな。こいつ多分、夜のうちからいるぞ」
「関係ないだろう」
「関係ないけどさ。付き合わされる方の身にもなれよ」
「付き合えとは言ってない」
「言ってなかろうが後輩は付いてくるもんだろうが」
ルシアは大きく欠伸をして、首を回した。回した首が、そのまま上を向いて止まった。
天井の梁と梁の間に、木剣が1本刺さっていた。柄を下にして、白みはじめた光の中にぶら下がっている。
「うーわ……見ちまった」
「何をですか?」
「4年が刺したってやつ。見に来たら負けだと思って、ずっと避けてたんだよ」
「誰かと勝負でもしてたんですか、それ」
「俺と」
「ほんとに刺さってんのかよ。どうやったらああなるんだ?」
エルダーが立ち上がって、真下まで歩いていく。膝を曲げて跳んだ。指先が届く気配もなかった。もう一度跳ぶ。着地の音が訓練場に響く。
「やめとけ。抜いたら4年があーだこーだとうるさい」
「抜けないっすよ、これ」
「なら、いいや」
ルシアは天井から目を外して、芯の周りに残った実を丁寧に齧り始めた。
アスカが、木剣を下ろしたままルシアの方を向いた。
「連れて帰れ」
「え、やだよ」
「お前のペアだろう」
「うん。でもさ」
ルシアは林檎の芯を指先で回した。
「連れて帰っても、こいつ明日の朝またここに来るよ。俺が止めても来るだろうし。止めるには俺も起きなきゃいけない。それが毎朝だ」
「……」
「だったらもう最初からここでいいじゃん。合同ってことでさ」
「合同!?」
天井の下で、エルダーの背筋が伸びた。
「それってつまり、毎朝アスカ先輩に見てもらえるってことっすか!?」
「断る」
「俺は来たり来なかったりするから。来なかった日はよろしく」
「断ると言った」
「へーへー、聞こえないねー」
ルシアは扉の枠から肩を離して、背を向けた。
「どこへ行く」
「二度寝」
入口のところで、一度だけ振り返る。
「エルダーくん、朝飯まで帰ってこなくていいから。あと声、半分の大きさで頼む」
「はい!!」
「半分って言ったろ」
扉が閉まった。
しばらく、誰も動かなかった。エルダーは天井に突き刺さった木剣の真下に立ったまま、アスカとソラの顔を交互に見ている。ソラも木剣を握ったまま、アスカの方を窺った。
アスカが長く息を吐いた。
壁際の棚まで歩いていき、立てかけてあった木剣を1本抜き取る。振り返りもせずに放った。
木剣は床で一度跳ねて、エルダーの足元で止まった。
エルダーが木剣とアスカを交互に目をやる。拾っていいのか分からないまま、口だけが半開きになっていた。
「拾え」
「え、いいんすか。見学じゃなくて」
「ただ見られ続けているよりはマシだ」
エルダーが飛びつくように木剣を拾った。握った手が、もう嬉しそうに開いたり閉じたりしている。
「で、何やるんすか!素振りっすか!」
「2人で来い」
ソラとエルダーの声が揃った。
「え」
アスカは部屋の真ん中まで戻ると、2人の方を向いた。窓から差し込み始めた朝の光が、足元の床に斜めの線を引いている。
「同時にだ。当てられたら、今朝はそこで終わりにしてやる」
ソラはエルダーの方を見た。エルダーもこっちを見ていた。
「……どうする」
「どうするって、お前」
エルダーが、にっと歯を見せた。
「やるに決まってんだろ」
アスカが木剣を頭上に掲げた。
今回もお読み頂きありがとうございました!
今回はアスカとソラの訓練に乱入するエルダーと、初っ端から先の思いやられるルシアが登場するお話でした。割とルシアのキャラも好きなんですよねー、気だるい系お兄さん最高です。
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未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/
次回投稿は9月28日(月)6時を予定しております。
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