第45話・閉会式と乱入者
氷はまだ半分残っていた。
大会の進行を補助している生徒が壁に向かって熱風や炎属性の魔法を出していた。しかし削れているのは表面だけで、足元の厚い部分は形も変わらない。
「溶けねぇな」
「溶けないわね」
リゼアが隣で腕を組んでいる。舞台の脇に立たされたまま、もう結構な時間が経っていた。
「お前が溶かせばいいだろ」
「疲れてるって言ったでしょ」
「作った奴が言うことかよ」
柵の外では、待たされた生徒たちが勝手に騒ぎ始めていた。氷の壁に手を当てて冷たいと叫んでいる者がいて、それを教師が引き剥がしている。上の席では、帰っていいものか分からずに立ったり座ったりを繰り返している生徒もいた。
「なあ、これいつまで待つんだろな」
「知らないわよ」
「…そりゃそうだ」
リゼアが肩に巻いた布を指で押さえた。押さえてから、何事もなかったように腕を組み直す。記録席の方からセレナがこちらを見ているのが、エルダーの位置からも分かった。
舞台の上では教師たちが集まって話し込んでいた。
壁を指したり、空を指したり、しばらくそれが続く。やがて1人が首を横に振り、係の生徒に手で合図を送った。
それからシャルドが会場内へ向かってアナウンスを行う。
「氷につきましては、溶けきるのを待つと日が暮れますゆえ」
会場から声にならない音が漏れた。
「このまま閉会式を始める」
「いいんすかそれで」
エルダーが壁を見上げる。
「待つって言ったのそっちだろ。俺ずっと立ってたんだぞ」
「座ってもよかったんですよ」
「こんなとこに座ってられるかって!」
壇が組まれたのは、氷の壁を背にした舞台の前だった。半分残った白い塊がそのまま後ろにそびえている。片付けを諦めた係の生徒が、箒を抱えたまま隅に座り込んだ。
「武術科優勝、エルダー!」
名前を呼ばれると同時に拍手が鳴り響く。柵の外から、上の席から、揃わないままに量だけが大きかった。武術科の連中が名前を連呼していて、その中にミオの声が混ざっている。
エルダーは壇上へ上がり、待っていた教師の前に立った。
渡されたのは、親指の先ほどのサイズの記章だった。毎年の優勝者に配られている物らしく、教師の説明も2行で終わった。
両手で持つには小さすぎるが、片手で握ると完全に見えなくなる。上着のどこに付ければいいのか探しているうちに、隣にリゼアが呼ばれて上がってきた。
「これ、どうするよ?」
「どうするって、記章なんだから付ければいいんでしょ」
リゼアは自分の分を受け取ると、迷いもせずに襟へ留めた。布を巻いた肩とは反対側だった。
「あっ、あぁ、そりゃそうだな…」
エルダーは見様見真似でリゼアと同じく襟元へと記章を付けた。その後、エルダーとリゼアが壇の端へ並ばされると、ディートリヒが真ん中に立ってマイクを手に取った。
「さて。今年の大会だが」
ディートリヒが口を開いた瞬間、会場の空気がどんよりと落ちた。後ろで教師の1人が息を吐いたのが分かった。
話は大会の講評から始まった。それから創設当時の話に入り、初代の学院長がどこの出身だったかという枝に移り、当時の食糧事情まで行ったところで一度話が終わったように思えた。しかし、区切りが来ただけで、終わりはしなかった。
エルダーは余所事を考えたまま、足の裏の重心を左右に移し続けた。壇の上は逃げ場がない。
柵の外なら天井を見ていられるが、ここでは全員がこちらを向いている。
「長いわね」
「喋んなよ、聞こえるだろ」
「聞こえてないわよ。あの調子だと自分の声しか聞こえてないわ」
「──であるからして、今年の大会は例年にない成果を残したと言える。特に、これまでの1年生の水準では説明のつかない場面が、いくつかあった」
名前は出なかった。
出なかったのに、会場の顔が一斉に同じ方を向いた。エルダーの隣だった。
リゼアは前を向いたままでいる。相変わらずのリゼアの調子にどういうメンタルをしているのか、とエルダーは思わざるを得なかった。
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ディートリヒの話が続く中、壇の袖で教師が2人、早足で通路の方へ消えていった。1人だけ戻ってきて、シャルドに何か言っている。シャルドは笑みを崩さないまま動かない。
袖からもう1人出てきて、今度はグエンを呼んだ。グエンは通路の奥へ首を伸ばし、何かを見て、深く息を吐いた。止めに行く様子はなかった。
通路の奥から、上着の裾を引きずった上級生が歩いてきた。止めようとした教師の手が、空を掻いた。
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ソラの位置からは、壇に上がってきた人物の顔がよく見えた。見たことのない顔だった。
その人物は真っ直ぐディートリヒの前まで歩くと、手からマイクを抜き取った。
「1年生諸君、入学おめでとう」
マイクを取られたディートリヒが、自分の空いた手を見ている。
「……今は閉会式だが」
「そうか、閉会式か。私は学院長のオピア・ドラグナーだ」
「私が学院長だが」
「では2人だな」
「2人はおらん」
「では君が新入生だ。入学おめでとう」
ディートリヒが何かを言いかけたが、そのまま口を閉じた。
「誰だよあの人」
「知らねぇな…なんなんだあいつ」
周りのあちこちで同じような声が上がっている。ソラの後ろでは、教師が誰かの名前を呼びながら通路を走っていった。
壇の下には教師が3人いるが、3人とも上がろうとしない。1人が一歩踏み出したが、隣の教師に肩を掴まれて戻された。
「止めないのか、先生たち」
「止められないようにも見えるけど…」
ソラがそう言うと、ルリが小声で返した。
ドラグナーは壇の端まで歩いて、エルダーの前で止まった。
「君はさぞかしミルクを無駄にしたんだろう」
「……えっ?」
「だが俺にはわかる。そのミルクは訓練のために使い、そこから発想を得て接着剤のような粘り強さを手に入れたのだろう」
「……おう」
「私は君の牡蠣好きも評価している。牡蠣は美味しいからな。牡蠣と柿を聴き間違えるのは鳩に対する侮辱だと言ってもいい」
「……そうっすね」
「返事したよ今!」
ミオが柵から身を乗り出す。
「え、エルダーさん、律儀ですね……」
「褒めてんのかそれ!?なんでもいいから助けてくれって!」
エルダーの声が会場に響いて、そのリアクションを見たミオが笑うとその笑いが全体に広がった。ソラも笑った。オピアだけが笑わずに、深く頷いている。
「よい。ミルクの色は民主主義の香りがするものだ」
そう言うと、それからリゼアの方へと向きを変えた。口が開きかけたところで、通路を走ってきた女子生徒が壇に飛び乗った。
「申し訳ありません!本当に、申し訳ありません!」
その女子生徒がオピアの腕を抱え込む。そのまま体重をかけて袖の方へ引いていった。オピアは抵抗しなかったが、歩きながらまだ何か喋っている。マイクから離れたので、内容は誰にも届かない。
壇の下でグエンが腕を組んだまま呟いた。
「エルザが来たか。助かったに」
袖に消える直前、オピアが一度だけ振り返った。見ていたのは壇の上ではなく、氷の壁の方だった。それからエルザに引かれて見えなくなった。
ディートリヒがマイクを拾い上げる。
「……では、続ける」
拍手が起きた。今日で一番大きかった。
仕切り直した挨拶は、また長かった。ソラは途中から、まだ溶けきらない氷の壁を眺めていた。日が傾いて、白かった氷が少し橙に染まっている。
隣でミオが小声で聞いてきた。
「さっきの人、リゼアに何か言おうとしてなかった?」
「そう見えたな」
「何だったんだろ」
当のリゼアは、記章を留めた襟のあたりを指で確かめている。こちらには気付いていない。
「最後に1つ」
声の調子が変わったので、ソラは前に向き直した。
「此度の大会の結果を踏まえ、諸君には上級生とのペアを組んでもらう。詳細は後日、各科の授業で伝える」
それだけ言うと、ディートリヒは壇を降りていった。
解散の号令がかかるより先に、柵の周りが一気に騒がしくなった。
「後日ってなに!?詳細キボンヌ〜!」
ミオが両手を振り回している。壇にはもう誰もおらず、教師たちが椅子を畳み始めていた。
「今日中に知りたかったのに!気になって寝られないじゃん!」
「寝るだろ、お前は」
「寝るけど!」
「選ぶのは先輩の方だって、前に言ってなかったか」
「じゃあこっちは待つだけじゃん!」
「私は強い人がいい!すっごい強い人!」
「ぼ、僕は……優しい人だと、助かります」
「ルリのは分かる」
壇から降りてきたエルダーが、記章を指で弾きながら列に入ってきた。リゼアもその後ろにいる。
「俺は飯おごってくれる人だな!」
「基準がおかしいだろ」
「よく考えろよ。毎日だぞ!毎日!」
「毎日おごらせる気かよ」
通路へ向かう流れの中で、ローライトが横を通っていった。目だけがこちらに向いて、すぐ前に戻る。何も言わずに行ってしまった。
「今の、何か言いたそうじゃなかったか」
「また嫌味のひとつでも言いたかったんじゃないか」
「まぁそうかもな…」
「あんたは誰と組みたいの」
リゼアがこちらを見た。
ソラは答えずに、さっきまでアスカが立っていた柱の陰へ目をやった。そこにはもう誰もいない。
「あっ」
エルダーが慌てて襟元を叩き始めた。
「記章が無ぇんだけど!?」
氷の前で箒を持っていた係の生徒が、手を振ってこちらを見ていた。
今回もお読み頂きありがとうございました!
今回は謎の生徒、ドラグナーが登場するお話でした!ドラグナーの正体はいかに…?
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未完成ですが一応作品HPあります→https://hasuki-kuro.github.io/seimyaku/
次回投稿は9月19日(月)6時を予定しております。
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