第1話・ソラとリゼア
この世界には、空がある。穏やかな風が流れ、時には嵐も吹く。草が生え、森があり、川が流れる大地と空は、巡る季節に従って静かに姿を変え続けていた。人々はそこに村を作り、町を作り、思い思いの生を営んでいる。
人々は魔法を当然のように使った。炎を手のひらに灯したり、水を出して日常に使ったり、傷を癒したり。誰もがそれを当たり前のように使い、当たり前のように生きていた。ただし、誰もその魔法が何なのかを深くは知らなかった。体得するものであり、感じるものであり、理屈ではないものとして扱われていた。
知っていることといえば、魔法は使いすぎると身体が「疲れる」、おおよそその程度のものだった。
各地には都市がある。交易で栄える街、剣士が集まる街、古い文献を守る街、農耕が盛んな街、そして聖なる廃墟を祀る街。それぞれが独自の文化を持ち、独自の魔法を磨き、互いをどこか遠いものとして認識していた。
そして、小さな村々があった。都市と都市の狭間に点在する、名もなき集落たち。ソラが生まれたのは、そんな村のひとつだった。
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朝霧がまだ薄く残る中、ソラは村はずれで剣を振っていた。
毎朝ここに来て、何度も何度も何百回と繰り返した。感覚で覚えるのではなく、体に刻み込むように。
「……また来てる」
背後から声がした。振り返ると、リゼアが草の上に座り込んでいた。銀色の髪に朝露がついている。いつからいたのか、まったく気づかなかった。
「見てたなら声くらいかけろよ」
「かけたら邪魔になるかと思って」
「気ィ遣えるじゃん」
「普通のことでしょ」とリゼアは言って、少し頬を膨らませた。「からかわないでよ」
ソラは笑みを浮かべながらも真剣に剣を振り続けた。リゼアは特に帰るでもなく、膝を抱えたままぼんやりとソラの動きを眺めていた。
「何回やるの」 とリゼアが聞いた。
「今日は二百」
「……え、二百?」
「おかしいか?」
「おかしくはないけど」リゼアは少し考えてから付け加えた。
「私なら数十回もしたら嫌になる」
「お前は魔法があるだろ」
「ソラにも魔法あるじゃない」
「俺は補助くらいにしか使えないし」
「それはソラが剣ばっかり練習するから」
言い返せなかった。ソラは黙って剣を振り続けた。リゼアもそれ以上は何も言わず、草の上に寝転がって空を見上げた。
しばらく、剣を振る音だけが続いた。
「ねえ、ソラ」
「なんだ」
「昨日また村の外歩いてたでしょ。何か見つかった?」
ソラの手が、一瞬だけ止まった。
「見てたのか」
「たまたま見えた」とリゼアは空を見たまま言った。
「何も見つからなかった」
「そっか」
短い返事だった。
責めるでもなく、呆れるでもなく、ただ静かに受け取るような。
ソラはちらりとリゼアを見た。草の上で空を見上げるその横顔は、何も考えていないようで、何かを考えているようでもあった。
「リゼア」
「なに」
「お前はあれ、どう思う」
少し間があった。
「気になるよ」とリゼアは言った。「でも怖い気もする」
ソラは剣を止めた。それはリゼアらしくない言葉だった。怖い、などという言葉を、リゼアが口にするのを初めて聞いた気がした。
「何が怖いんだ」
少し考えた後、リゼアが言う。
「ー知らない方が良かったことって、あるじゃない」
リゼアは空を見たまま、それ以上は何も言わなかった。
ソラは答えを返せなかった。剣を握り直して、また振り始めた。二百回。まだ終わっていない。
ただリゼアの言葉が、剣を振るたびに頭の中で繰り返された。
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その夜、ソラは眠れなかった。
天井をぼんやりと眺めながら、リゼアの言葉を何度も思い返した。
「知らない方が良かったことって、あるじゃない」
確かにそうかもしれない。頭ではわかっていた。
知ったところで何も変わらないかもしれないし、知らないままの方が穏やかでいられるかもしれないということも。この村の人々がそうであるように。
でも。
ソラは手のひらを顔の前にかざした。
それでも、あの日の感触だけははっきりと残っていた。冷たくて、しかしそれと同時に熱も感じた。あの一瞬の出来事が、ずっとソラの中に刺さったままだった。
「ーーー気になるよな」
ボソッと呟いた。
怖くないわけではなかった。しかし、知らないままでいることの方がソラにはずっと怖かった。
ソラは静かに起き上がった。暗い部屋の中で、壁に立てかけた剣を見た。
答えはこの村の外にある。ずっとそう思っていた。
いつまでも思っているだけでは何も変わらない。知りたいなら、自分で確かめに行こう。
ソラは決めた。明日、リゼアに伝えよう。
そう思いながらソラは静かに目を閉じた。




