第1話・ソラとリゼア
朝霧がまだ薄く残っていた。村はずれの草地で、ソラは剣を振っていた。
毎朝ここに来る。何百回、何千回、繰り返す。感覚で覚えるのではなく、体に刻む。誰かに教わったわけではない。見よう見まねで続けてきた、自己流の鍛錬だった。
ザッ。ザッ。ザッ。
振り下ろすたびに草の露が散った。
「……また来てる」
背後からの声にソラは振り返った。リゼアが草の上に座り込んでいる。銀色の髪に朝露がついていた。いつからいたのか、まったく気づかなかった。
「見てたなら声くらいかけろよ」
「かけたら邪魔になるかと思って」
「気ィ遣えるんだな」
「普通のことでしょ」
リゼアは少し頬を膨らませた。
「からかわないでよ」
ソラは笑みを浮かべたまま、それでも剣は止めなかった。リゼアは帰る素振りも見せず、膝を抱えたままぼんやりとソラの動きを目で追っていた。
「何回やるの」
「今日は二百」
「……二百?」
「多いか」
「多いとかじゃなくて」
リゼアは少し考えるように間を置いた。
「私なら数十回で嫌になる」
「お前は魔法があるだろ」
「ソラにも魔法あるじゃない」
「補助くらいにしか使えないし」
「それはソラが剣ばっかり練習するからでしょ」
言い返せなかった。ソラは黙って剣を振り続けた。リゼアもそれ以上は続けず、草の上に寝転がって空を見上げた。
しばらく、剣を振る音だけが続いた。
「ねえ、ソラ」
「なんだ」
「昨日また村の外歩いてたでしょ。何か見つかった?」
剣を持つ手が、一瞬止まった。
「見てたのか」
「たまたま見えただけ」
リゼアは空を見たまま答えた。
「何も見つからなかった」
「そっか」
短い返事だった。責めるでも呆れるでもない、ただそのまま受け取るような声だった。
ソラはちらりとリゼアを見た。草の上で空を見上げるその横顔は何を考えているのか読めない。何も考えていないのかもしれないし、何かをずっと考え続けているのかもしれない。
「リゼア」
「なに」
「お前はあれ、どう思う」
少し間があった。
「気になるよ」
リゼアはそう言ってから、続けた。
「でも怖い気もする」
剣が止まった。それはリゼアらしくない言葉だった。怖い、という言葉をリゼアの口から聞いたのは初めてかもしれない。
「何が怖いんだ」
リゼアはすぐには答えなかった。しばらくしてから、ぽつりとこぼした。
「知らない方が良かったことって、あるじゃない」
それきり、リゼアは何も言わなかった。空を見上げたまま黙っている。
ソラも答えを返せなかった。剣を握り直し、また振り始めた。二百回。まだ半分も終わっていない。
振るたびに、リゼアの言葉だけが頭の中で繰り返された。
その夜、ソラは眠れなかった。
天井を眺めながら、昼間のリゼアの言葉を何度も思い返す。
「知らない方が良かったことって、あるじゃない」
確かにそうなのかもしれない。頭では分かっている。知ったところで何も変わらないかもしれない。知らないままの方が、ずっと穏やかでいられるのかもしれない。この村の誰もがそうしているように。
でも。
ソラは手のひらを顔の前にかざした。
あの日の感触だけは、今でもはっきり残っている。冷たくて、でも同時に熱もあった。あの一瞬が、ずっと胸の奥に刺さったままだった。
「……気になるよな」
ボソッと呟いた声は、暗い部屋に小さく吸い込まれて消えた。
怖くないわけではない。それでも、知らないままでいることの方が、ソラにはずっと怖かった。
静かに起き上がる。壁に立てかけた剣が、月明かりを受けて薄く光っていた。
答えは村の外にある。ずっとそう思っていた。
思っているだけでは、何も変わらない。
――明日、リゼアに伝えよう。
そう思いながらソラは静かに目を閉じた




