第21話 後編《命を繋ぐ疾走③》
土砂崩れを突破して1時間半ほど走っていた一行。
全員体力も気力もとっくの昔に限界を越えていたが、それでもソニアを救いたい一心で必死に前へ前へと進んでいた。
その時、1番前を走っていたヴェルナーとシュテファンの目に、プレハブ小屋の屋根が僅かに写る。
「……っ!クロイツァー大尉、見えました!」
シュテファンの叫びに、後ろの4人もバッと顔を上げた。
ユリウスは即座に時計を確認する。
(ここまで約17時間……麓町まで車を飛ばしたとして、合計18時間半程度か。そこから先生と合流するとして──)
頭の中で残り時間を計算しつつ、背の上のソニアにちらりと視線を向けた。
(ソニアももう限界が近い。だが……何としてでも、間に合わせる!)
一行は電気の通っていない暗い小屋の横を通り過ぎ、金網フェンスの方へと真っ直ぐに駆け抜ける。
扉が見えると、ギルベルトは鍵を取り出して素早く錠を外す。
「よし、どう分かれるんだ?」
「考えている時間はない……行きと同じだ!急ぐぞ!」
ユリウスはソニアを後部座席に横たえ、アンナは即座にその隣に乗り込む。
ユリウスも素早く運転席に乗り込むと、隣にシュテファンが座ったのを確認して車を発進させた。
「ベーゼ!ソニアの状態は!?」
「えっと……」
アンナは揺れる車内で、魔術で手元に光を灯しつつソニアの様子を順に確認していく。
身体の表面上の変化はほぼ見られず、すぐに血圧を再確認する。
「血圧、82の52です!大尉っ、ショック症状のすぐ手前まで落ちてます!」
「クソッ……!後1時間半、持たせられるか!?」
「わかりません……ソニアの体力次第です!とにかく急いでください!」
その言葉に、ユリウスはアクセルを更に深く踏み込む。
「お前たち、振り落とされるなよ!」
「「はい!」」
ユリウスたちの乗った車は更に速度を上げ、暗い山道を下っていく。
その後ろで、ヴェルナーは前の車について行こうと必死になっていた。
(この速度──カーブでミスったら、確実に終わる……!)
そう考えながら、ヴェルナーは暗闇に目を凝らしつつハンドルを切る。
カーブを無事曲がり切ったところで、後部座席のラルフに声をかけた。
「サヴォイア曹長!准尉は大丈夫っすか!?」
「ちょっと待ってよ、今から診るから……」
ヴェルナーは車に乗り込む直前、ギルベルトに運転を頼んだものの、足の怪我を理由に断られていた。
彼はそこでようやく、ギルベルトが無理を押して走り続けていたことに気付いたのである。
ラルフはギルベルトのズボンの右脚を捲ると、眉をひそめた。
荷物の中から救急袋を取り出しながら、小さくため息をつく。
「ベルクマン准尉、無理し過ぎですよ」
「無理しねぇと、嬢ちゃん死んじまうだろ。見た目はアレだが……まあ、命に関わるようなモンじゃねぇからな」
そう苦笑いするギルベルトの傷口に、ラルフは消毒液を遠慮なく吹きかける。
傷口に染みる痛みに、ギルベルトは思わず声を上げた。
「痛ってぇ!!ラルフ、もうちょい優しく──」
「却下です。さっき土砂まみれになったんですよ?ソニアちゃんみたいに、傷から何か入り込んだらどうするんです?」
「ぐっ、それはだな……」
ギルベルトは返す言葉もなく、気まずそうに頬を掻く。
そんな2人をバックミラー越しにちらちらと確認しながら、ヴェルナーは口を開いた。
「でも、もう深夜っすよ?今から麓町に着いたとして、すぐに医者が見つかります?」
その言葉に、ギルベルトは悩みつつも(非常事態だ。この際仕方ねぇ……)と判断する。
「軍医が1人、向こうで待機してんだよ」
「えっ!?そうだったんすか?」
驚きの声を上げるヴェルナーの後ろで、ラルフも驚いたように目を丸くした。
「全然知りませんでしたよ……でも、何でまた?」
「いや、遠征で医療班が看護学生1人ってのはちょいと心配だって話になってな。秘密裏でバックアップについてもらってたんだよ。この時間、寝こけてる可能性は高ぇが……行けば治療に当たってくれるはずだ」
「そうだったんすね」
その説明にヴェルナーはホッとした表情を浮かべ、ハンドルを握り直す。
「よし。なら、俺らも飛ばすっすよ!」
前の車を追いかけるように、ヴェルナーの車も速度を上げながら進んでいくのだった。
───────
────
──
約1時間後、エリーザベトが待機している麓町の宿泊所にようやくたどり着いたユリウスたち。
ユリウスは車を停めると、急いでソニアを抱えて入り口の扉を乱暴に叩く。
「開けてくれ!今すぐ、処置が必要なんだ!」
すぐに扉が小さく開き、中から宿の主人と思しき初老の男性が顔を覗かせた。
ユリウスたちの服装で軍関係者だと判断したのか、目を見開いて素早く扉を全開にする。
「ど、どうされましたか!?」
「夜分すまない、急患だ。エリーザベト・クラウゼという者が宿泊しているだろう?彼女は軍医だ、すぐに処置を頼みたい」
「……っ!どうぞこちらへ!」
主人は慌てて室内の階段を登っていき、ユリウスたちもその後に続く。
とある部屋の前で主人は立ち止まり、素早く扉を叩いた。
少しの間の後にゆっくりと扉が開き、眠そうなエリーザベトが姿を見せる。
「どうしました?夜中に急患──」
そこまで言ったエリーザベトの目に、血や泥で汚れた作業服姿のユリウスが写る。
その一瞬の後、彼の腕の中で真っ白な顔をしているソニアの姿に気付き、思わず声を上げた。
「ソニアちゃん……!?クロイツァー大尉、一体何が──」
狼狽えるエリーザベトに、ユリウスのすぐ後ろにいたアンナが口を開く。
「敗血症みたいなんです!平均動脈圧60切りかけてて……抗生剤、すぐに投与してもらえませんか!?」
その言葉に、エリーザベトの表情が瞬時に真剣な医師のものに変わる。
「わかったわ。あなた、例の看護学生の子ね?」
「はい、軍大学看護学部のアンナ・ベーゼです!」
「手を貸してちょうだい」
「はいっ……!」
エリーザベトは素早くユリウスに向き直った。
「大尉、ソニアちゃんを中のベッドに」
「わかった」
ユリウスはソニアを抱えたまま部屋の中に入ると、ベッドの上に彼女をそっと横たえる。
真っ白な彼女の頰に僅かに手が触れ、その冷たさにユリウスの脳裏に一瞬嫌な想像がよぎった。
が、すぐに首を横に振ってその思考を掻き消す。
「大尉、今から処置に入ります。しばらく時間がかかりますので、皆さんは空いてる部屋で少しお休みになられては?」
「ああ……どうか、ソニアを助けてくれ」
ユリウスは深く頭を下げた。
それは軍人の礼ではない。
上官としてでも、指導者としてでもなく──ただの、1人の男の懇願だった。
それを目にしたアンナの動きが、一瞬止まる。
(えっ……あの鬼教官が、頭を……?)
が、ほんの数秒で気持ちを切り替えると、素早くソニアの状態を確認し始めた。
そのすぐ横で、エリーザベトは少し目を丸くしつつユリウスをまっすぐに見つめる。
(この人……ソニアちゃんのことを、本気で守りたいって思ってくれているのね)
そう感じて、こくりと小さく頷いた。
「承知いたしました」
「ソニアのことは、あたしたちが絶対助けますから!」
「……よろしく頼む」
ユリウスはそう告げると、処置の邪魔にならないよう部屋の外に移動する。
扉を閉めると、ギルベルトに声をかけた。
「俺は、ここでソニアの処置が終わるのを待つ。お前たちは休め」
その言葉にギルベルトは一瞬眉をひそめる。
が、やれやれと小さくため息をついて口を開いた。
「……わかった、なら俺たちは下で待ってる。大尉こそ倒れんなよ」
「ああ、すまないな」
「気にすんなって。お前ら、行くぞ」
ギルベルトは他の3人に声をかけると、宿の主人と共に揃って階段を降りていく。
ユリウスはエリーザベトの部屋の正面の壁にもたれかかり、ソニアの無事を静かに祈るのだった。
一方、室内ではエリーザベトが素早く処置の準備を進めていた。
輸液用の生理食塩水を用意しながら、アンナに声をかける。
「静脈ルートを確保。生食を急速投与で輸液開始します。準備、お願い!」
「は、はい!」
アンナは点滴用の針を取り出し、そっとソニアの腕に手を添える。
(そ、そういえば……座学で散々勉強はしたけど、実践って初めてかも。針の刺し方って──)
内心焦りながら震える手で針を構えようとした瞬間、つい手を滑らせて落としてしまう。
「あっ……!」
慌てて針を拾おうとするアンナの腕を、エリーザベトは素早く止めた。
「後で拾えば良いわ。今はソニアちゃんの処置が先。針は新しいものを使いましょう」
アンナに新しい針を手渡すと、彼女の隣に立って口を開く。
「落ち着いて。きちんと角度を見て……」
「は、はいっ……」
アンナは緊張した面持ちで、点滴の針をソニアの腕に刺した。
が、針先が僅かに逸れてしまい、瞬時に背筋が凍る。
そんな彼女に、エリーザベトは落ち着いた様子で声をかけた。
「深いわ。浅く入れて、戻すの」
エリーザベトの指示に従って、慎重に手を動かすアンナ。
「そう、そこよ」
「は、入った……通りました……!」
針先が無事血管に入り、思わず息を呑んだ。
「バッチリね。後は、落ち着いて滴下速度を見てちょうだい。血圧が戻り次第、スルアディンを入れるわ」
「はいっ!」
2人はじっとソニアの様子を伺い、10分ほど経った頃にエリーザベトが口を開く。
「そろそろ落ち切るわね……脈と血圧は?」
その言葉に、アンナは即座にソニアの脈と血圧を測る。
「えっと……脈は110まで落ちてます。MAPも65と少しです」
「それなら、スルアディンも入れられるわ。65kg換算だから……1.5g、希釈静注します」
「了解です!希釈します!」
アンナは素早く抗生剤を希釈すると、落ち切った生理食塩水と入れ替えるように点滴に繋げた。
「準備できました!」
「10分かけて入れてください。副反応が出るかもしれないから、しっかり見てちょうだいね」
「はい!」
アンナは慎重に抗生剤の滴下を始め、副反応が出ていないかソニアの様子をじっと見守る。
エリーザベトも次なる処置の準備を進めつつ、ソニアの容体に気を配る。
やがて抗生剤が落ち切ると、2人はホッと息をついた。
「良かった……副反応、出なかったみたいですね」
アンナはそう言いながらソニアの熱を測る。
「39.5℃……この数値でほぼ高止まりしてます」
「なら、次は熱の処置ね。でも、この状態じゃ解熱剤は使えないわ。輸液と冷却処置で対応しましょう」
「はい!氷嚢用意します!」
すぐにアンナは魔術で氷塊をいくつか錬成し、袋に詰めて布で巻き、氷嚢を作り始める。
(額と……後は首と脇。アストリンが使えない以上は、これで何とか凌ぐしかない!)
そう考えながら、氷嚢をソニアの身体に当てていく。
少し楽になったのか、ソニアの険しい表情が少し和らいだ気がした。
「ソニア、頑張って。絶対、助けるから……!」
小さく呟くアンナに、エリーザベトが声をかける。
「意識が戻るまでは、生食とリネクスで代謝過負荷を和らげるわ。とりあえず、合わせて1リットルで様子を見ます」
「すぐに繋ぎます!」
アンナは輸液を点滴に繋ぐとすぐに滴下を始め、そのままベッド横の椅子に腰掛けた。
(このまま、素直に回復に向かってくれれば良いんだけど……)
そう思いながら、点滴が落ちる音だけが僅かに響く室内で、ソニアの状態を都度確認し始める。
小1時間ほどが経過した頃、アンナは再びソニアの体温を測定した。
「38.8℃……少しだけど、下がってきてます!」
「脈も若干落ち着いてきたし、呼吸もさっきよりは深くなったわね。このまま処置を続けましょう」
「はいっ!」
その後、あっという間に3時間ほどが経ち、窓の外が少しずつ明るくなってくる。
引き続き処置にあたっていたエリーザベトは、ソニアの脈と血圧を確認する。
(……脈は100。血圧は110の70ってところね)
そう考えながら、椅子に座ったままソニアの手を握りしめてうたた寝しかけているアンナにそっと声をかけた。
「……アンナちゃん」
「は、はいっ!?」
驚いた様子で慌てて身体を起こすアンナ。
すぐに自分が寝そうになっていたことに気付き、エリーザベトにバッと頭を下げた。
「す、すみません……!まだ処置中なのに、あたし──」
「大丈夫よ。あなたも疲れているのに、手を貸してもらって助かったわ」
その言葉に、アンナは正規軍医に認めてもらえたような気がして、少し嬉しくなる。
そんな彼女に、エリーザベトは口を開く。
「アンナちゃん。クロイツァー大尉がもし起きていたら、呼んで来てもらえるかしら?」
「あ、はい。わかりました!」
アンナは素早く椅子から立ち上がると、急いで部屋の外に出ようと扉に手をかける。
扉を開くとすぐ目の前の壁にユリウスがもたれており、アンナはつい驚きの声を上げた。
「えっ!?た、大尉?」
「ベーゼ……?」
明らかに目の下にクマを作っているユリウスは、アンナの姿に気付くとハッと顔色を変える。
「ソニアは!?無事なのか!?」
「あ、えっと……クラウゼ先生が大尉をお呼びなんですけど──」
「わかった」
ユリウスが急いで室内に足を踏み入れると、ベッドの上で眠るソニアの姿がすぐに目に飛び込んで来た。
彼女に視線を向けたまま、ユリウスはエリーザベトのそばに歩み寄る。
「先生、ソニアの容体は?」
「脈と血圧もほぼ正常値に戻りました。熱はまだありますが、呼吸も落ち着いてきましたし……峠は越えた、と言って問題ないでしょう」
その言葉に、ユリウスはホッと胸を撫で下ろす。
「良かった……」
ポツリとそう呟くと、ベッド横の椅子に座り込む。
点滴を繋ぐために布団の外に出されていたソニアの手に、ユリウスは何気なくそっと触れた。
(温かい……ソニアは、ちゃんと生きている)
そんな彼の様子を見守りつつ、エリーザベトは再びアンナに声をかける。
「後は私1人で何とかなると思うわ。アンナちゃんも休んでちょうだい」
「えっ?でも、まだソニアが──」
「ソニアちゃんが起きた時、あなたが疲労で倒れてしまったら……彼女、悲しむわよ?」
その言葉に、アンナはじっとソニアを見つめてから少し考え込む。
「……それなら、あたし他の人たちの怪我、ちゃんと手当してから仮眠取らせてもらいます。必要なもの、お借りしても?」
「もちろん。私は今離れられないから、ソニアちゃんが起きてから、全員きちんと診させてもらうわね」
そう言いながら、エリーザベトはアンナに消毒液や包帯を差し出す。
それを受け取ったアンナはペコリと頭を下げると、そのまま部屋の外へと姿を消す。
それを見送ったエリーザベトはユリウスに向き直った。
「大尉も少し休まれては?」
「いや……俺は、ソニアが起きるまでここで待っている」
頑なな態度のユリウスに、エリーザベトは思わず小さくため息を漏らしてしまう。
「わかりました。ですが、無理だけはなさらないでくださいね」
「ああ」
ユリウスはそう短く返事をすると、落ち着いた様子で眠るソニアをじっと見守るのだった。




