第21話 中編《命を繋ぐ疾走②》
一行は、ソニアの状態確認兼小休止の僅かな時間を挟みつつ、薄暗い山道を走り続けていた。
走り始めて既に十数時間。全員に疲労が溜まっている。
「大尉っ!右にデカいぬかるみがあるっす!!」
前を走るヴェルナーの言葉に、ユリウスは素早く左側に重心を傾けて地面に着地する。
「くっ……!」
脚の疲労に思わずふらつき、バランスを崩しかける。
が、しっかりとソニアを抱えて踏み止まった。
真っ直ぐに前を見据えていたユリウスは、ふと腕の中のソニアに目を落とす。
彼女の顔は青白く、時折うめき声を上げる程度で、周囲の呼びかけにもほとんど応じない状態に陥っていた。
(ソニア……頼む、あと少し堪えてくれ!)
そう祈りながら、ユリウスは彼女を抱き抱える腕に力を込める。
そんな彼の隣を走るアンナは、息を切らせつつも必死に足を動かしていた。
(気を抜いたら、足が止まりそう……でも──)
ちらりとソニアの様子を伺うアンナ。
(止まったら、手遅れになる。そんなの絶対に嫌っ……!)
フルフルと首を横に振りながら、転ばぬように足元をしっかりと確認して進んでいく。
(9月からは外出制限も解けて、やっとソニアと一緒に出かけられるはずだったのに……!買い物したり、カフェで駄弁ったり──)
一瞬視界が滲むが、アンナは慌てて汗と泥まみれの袖で目を擦った。
(これから、たくさん思い出作るって決めたんだ。だから、絶対にソニアのことは死なせない!)
そう思って顔を上げた瞬間、意図せず積み重なった葉の上に着地し、足が滑ってしまう。
「えっ……?」
アンナがバランスを崩しかけたその時、前を走っていたシュテファンが素早く彼女の腕を引く。
「ベーゼさん、大丈夫ですか!?」
「は、はい……ありがとうございます」
ギリギリのところで転倒を避けたアンナは、そのまま走り続ける。
ギルベルトはそんな彼らを後ろから見やりつつ、周囲の様子に気を配っていた。
(今んとこ、人の気配はねぇな……教会関係者はもう手を引いてるってことか──っ!!)
強い右脚の痛みに一瞬顔を歪めるも、すぐに何事もないかのように涼しい顔で前に向き直る。
(クソッ……!麓町に着くまでは、悟られるわけにいかねぇ。俺の治療に時間が取られれば、確実に嬢ちゃんが手遅れになる──)
そう考えるギルベルトの前に、横からスッと手が差し出された。
「気休めですけど……要ります?」
小声でそう告げるラルフの手から、ギルベルトはフッと笑って錠剤を受け取る。
「……悪ぃな、ラルフ」
「ソニアちゃん、死なせるわけにはいかないでしょ?」
「ああ、その通りだ」
走りながら、痛み止めを素早く服用するギルベルト。
しばらくしてほんの少し痛みが遠のくと、ホッと小さく息をつく。
そんな彼を横目で見つつ、ラルフは小屋までの道のりを頭の中で思い返していた。
(距離的には、小屋までそう遠くはないはずだ。たぶん、時間換算で1時間半──)
「ちょ、全員ストップ!!」
ラルフの思考を掻き消すように、ヴェルナーの叫ぶような大声が響き渡る。
その声にラルフも足を止め、前に視線を向けた。
「……嘘でしょ?」
ポツリと呟いた彼の目に飛び込んできたのは、土砂や岩、薙ぎ倒された木々がうずたかく重なり、行路を塞いでいる光景だった。
「そ、そんな!後ちょっとなのに……!?」
狼狽えるアンナの隣で、ユリウスは努めて冷静に、素早く思考を巡らせる。
(車での移動時間も考えると、遅くとも2時間以内に小屋に辿り着く必要がある。無駄にできる時間は、1分もない)
そう判断すると、抱き抱えていたソニアを一旦地面に下ろし、アンナに声をかけた。
「ベーゼ、ソニアの状態確認を頼む」
「えっ……?あ、はい!」
ユリウスはそのまま立ち上がると、今度はヴェルナーに向き直る。
「ヴェルナー、他に迂回路は?」
「……!すぐ確認するっす!」
「僕も手伝います!」
ヴェルナーは慌てて地図を広げると、シュテファンと共に迂回ルートを模索し始める。
「ギルベルト、ラルフ。お前たちは周囲の警戒を頼む」
ユリウスはそう告げると、素早くヴェルナーたちに合流する。
その横でアンナはソニアの状態を順に確認していく。
(膿を出してるのに、熱が一向に下がらない……呼びかけには反応しないし、手も冷たい……)
そう考えながら、荷物から血圧カフと聴診器を取り出す。
手際よくソニアの腕にカフを巻くと、聴診器をそっと当てた。
(……あれ?)
アンナは慌ててカフを巻き直し、もう一度聴診器を当てる。
その様子に気付いたユリウスは、青い顔をしている彼女に声をかけた。
「ベーゼ、どうした?」
「た、大尉っ!ソニア、血圧落ちてます!」
「何だと!?」
アンナは頭の中で急いで平均動脈圧を計算し始める。
(85の55だから……MAPは65くらい。あと少しでも下がったら──)
素早くユリウスに向き直り、声を上げる。
「このままだと、じきにショック状態に陥ります!早く適切な処置を受けさせないと……!」
その言葉に、ユリウスは必死に地図を確認し、迂回路を探す。
が、どのルートもかなり迂回しなければ小屋に辿り着けないという状況だった。
(クソッ、こんな時に……!)
内心焦るユリウスの横で、ヴェルナーはスッと立ち上がると、目の前に積み上がった土砂へ視線を向ける。
(道がないってんなら、作るしかねぇ……!)
そう決意したヴェルナーは、ユリウスに向き直った。
「クロイツァー大尉。この土砂、吹っ飛ばしましょう」
「は!?」
「迂回ルートは確実に間に合わねーっす。なら、何とかしてここを通るしか無いっすよ」
その言葉に、ユリウスは少し考え込んでから意を決して立ち上がる。
じっと土砂の山を観察し、冷静に思考を巡らせた。
(まだ土砂が湿っている……重さから見ると、1人じゃ足りないな。それに、二次崩落のリスクを考えると──)
頭の中でしっかりと状況を整理すると、ユリウスは指示を出し始める。
「ヴェルナーとギルベルトは、土砂の除去を担当してくれ」
「ま、そうなるか。ヴェルナー、展開範囲の調整すっから手ぇ貸しな」
「了解っす」
ギルベルトとヴェルナーは土砂の近くに素早く移動すると、魔術の展開範囲を検討し始める。
「ラルフとシュテファンは、あいつらの魔術展開後に障壁を張ってくれ」
「落石・衝撃対策ですね、わかりました」
「上斜面からの土砂流入の可能性もあるね。障壁展開の分担、ちょっと考えようか」
障壁魔術の展開について話し合い始める2人を確認したユリウスは、しゃがみ込んでアンナと視線を合わせた。
「ベーゼ、おそらく土砂を退けたとしても足場がかなり悪いはずだ。ソニアは俺が背負って進むが……抜けるのに多少時間がかかる。お前には、後ろでソニアの状態を逐一確認して欲しい」
「わかりました。必ず、間に合わせましょう!」
その言葉にユリウスはコクリと頷き、ソニアを背負う。
ふと何かに気付いたような表情を見せたアンナは、ゴソゴソと荷物を漁り始めた。
「どうした?」
「大尉、ちょっとそのまま動かないでもらえますか?」
アンナは荷物から毛布を取り出すと、ユリウスの背の上のソニアに軽く被せて紐で固定する。
「巻き上げた土砂の粉塵で窒息、ってケースもあるらしいので。念の為です」
「……すまない」
そう話すユリウスたちの前で、ギルベルトたち4人は素早く魔術の展開準備を整えていく。
「ヴェルナー、奥行きもうちょい出せ。幅は、最悪1人通れりゃ良いんだからよ」
「了解っす!サヴォイア曹長、泥流対策の障壁もちょっとズラしてもらえます?」
「わかった。シュテファン、タイミングは良さそう?」
「はい、しっかり合わせます!」
そんな彼らの様子に、ユリウスは先を急ごうと足を1歩前に踏み出しかける。
が、アンナは素早くそれを止めた。
「大尉。近付き過ぎたら、ソニアに岩の破片とか当たっちゃうかもです」
その言葉にユリウスは素直に少し後退し、それを確認したアンナは、そのままじっとユリウスを見つめる。
(あたしだって、柄にもなくめちゃくちゃ焦ってるんだもん……大尉が前のめりになるのも、よくわかる)
そう考えながら、毛布の下から見えるソニアの顔をそっと覗き込んだ。
(仮に上手く土砂を退けられたとして……小屋まで1時間半かそれ以上、車を飛ばして麓町まで更に1時間弱。しかも、そこから医師を探すとなると──)
アンナはそこまで考えると、フルフルと首を横に振って思考を改める。
「諦めちゃダメだ」
ポツリとそう呟くと、ユリウスと共に前に向き直った。
「んじゃ、行くぞ!全員しっかり合わせろよ!」
ギルベルトの掛け声に、全員が頷く。
ヴェルナーとギルベルトは即座に位置に着き、深く息を吸い込んだ。
「3、2、1──発動!」
ヴェルナーが地面に片膝をつき、両手を突き出す。
その手元から、不気味な低音が響いたかと思うと、足元の土が僅かに揺れ始めた。
「っ……ぐっ!」
土砂の下から、魔術で地盤を突き上げるように制御する。
湿った土が震え、積み上がった岩の一部が少しずつ崩れ始めた。
その瞬間、ラルフとシュテファンは障壁魔術を素早く展開する。
7人の上部を覆うように錬成した障壁が現れ、更に上からの土砂を堰き止めるように分厚い壁がそびえ立った。
それを確認したヴェルナーは、ラルフに声をかける。
「サヴォイア曹長!そっちの障壁、右に30センチズラせますか!?」
「もちろん!シュテファン、合わせて!」
「了解です!」
その声と共に、ラルフとシュテファンが展開した障壁は滑らかに配置を変える。
厚く錬成された障壁が、上から崩れる土砂を受け止める。
上部の障壁も、小石や枝がガンガンと勢いよく叩きつけるたび、たわんだ表面が鈍く震えた。
「今だっ!」
ギルベルトが両手を構えると、空気がピンと張り詰めた。
(術式構築、風属性……!)
彼の周囲に微細な渦が立ち上り、周囲の草木がざわめく。
(流速強め。距離、7メートル──)
ギルベルトは狙いを定めると、深く息を吸った。
「吹っ飛びやがれっ!」
怒鳴ると同時に、彼の掌から高圧の空気が唸りを上げて放たれる。
まるで音速の塊が地を抉るように前方をなぎ払い、轟音を立てて土砂の山に直撃した。
湿った泥と岩が空中に舞い上がる。
破片が飛び散り、障壁にガンッと弾かれた。
「くっ……!」
ヴェルナーは片腕で顔を庇いながらも魔術を維持し、地面の下から土を押し上げる。
ギルベルトの風魔術が崩れた土砂を横に流し、進路を一気に拓いていく。
土の匂いと粉塵が辺りを包み、視界が一瞬白く霞んだ。
ユリウスは粉塵を避けるように少し距離を取りつつ、素早くソニアに掛けられた毛布の角度を調整する。
少し経つと、土砂の向こうにかすかに道が見え始める。
ヴェルナーが魔術を解除すると、地面の振動がピタリと止まった。
ギルベルトは肩で息をしながら、確認のためもう一歩前に出る。
「幅は狭ぇが……通れる」
そう呟くと、素早くユリウスに視線を向けた。
それに気付いたユリウスは、小さく頷くとアンナに声をかける。
「ベーゼ、行くぞ!」
「はいっ!」
先導するヴェルナーとシュテファンに続き、ユリウスたちも拓けた道に足を踏み出す。
その足元から、ぬかるみを掻き分ける鈍い音が響いた。
「うわっ!」
アンナは思わず声を上げ、泥に沈みかけた足をぐっと引き抜く。
足首まで絡みつくようなぬかるみに、体勢を崩しかけながらも何とか踏み止まった。
(この道……迂回ルートよりはマシだけど、足を取られてばかりで抜けるのに時間がかかる)
息を整えながら、アンナはちらりとユリウスの背中に目を向ける。
毛布越しに見えるソニアの頬は、相変わらず真っ赤に染まったままだ。
(ちゃんと、気を抜かずにチェックしなきゃ!)
泥の抵抗に抗うように前へと進むアンナの前で、ユリウスもまた、慎重に足を動かしていた。
(……熱い)
背中から伝わるソニアの体温は、衣服越しでも明らかに異常だった。
それが、足元の不安定さと相まって、彼の中に焦りを加速させる。
(少しでもバランスを崩せば、それだけで致命的な時間ロスになる)
ぬかるみが靴底を吸い込むような感触が、足にまとわりつく。
脚が泥に沈み込むたび、抜くのに余分な力が必要で、確実に体力が削れていく。
それでもユリウスは、一歩ごとに次の足場を目で探し、滑らぬよう角度を見極めて踏み出した。
(早く……早く、ソニアをクラウゼ先生のところへ……!)
その一念だけが彼の全身を突き動かす。
重く粘ついた空気と、じわじわ滲む汗を感じながら、少しずつ前進を続ける。
やがて、靴底が泥の吸いつきを感じなくなった瞬間、ユリウスは思わず深く息を吐いた。
「やっと抜けたか……」
乾いた地面に足が触れた安堵を余所に、アンナは素早くソニアのそばに駆け寄って掛けられた毛布をそっと取る。
彼女の顔は火照ったままだったが、かすかに眉が動いたように見えた。
「ソニア、大丈夫だから。もうすぐだからね」
そんな彼女を横目に、ユリウスは時計を確認する。
(30分以上も足止めを食らっていたのか……)
少し焦りつつ、ちらりと他の隊員たちの様子を見やる。
誰もが疲労困憊なのは、火を見るよりも明らかだった。
(大規模な魔術の発動と足元の悪さ……体力も魔力も持っていかれて然るべきだ。しかし──)
ユリウスはそう考えながら、全員に向き直る。
「すまないが、休んでいる暇はない」
その言葉に、ギルベルトはやれやれと口を開いた。
「んなもん、言われなくてもわかってるっつーの。そもそも、休む気なんか微塵もねぇよ」
ニッと笑ってそう答えるギルベルトに、他の4人もコクリと頷き、ユリウスに視線を向ける。
そんな彼らの態度をありがたく思うユリウス。
6人は再度陣形を整えると、小屋に向かって走り出すのだった。




