第21話 前編《命を繋ぐ疾走①》
翌朝、遠征訓練7日目。
まだ薄暗い時間に目が覚めたソニアは、昨夜に引き続き気怠さを感じつつ身体を起こした。
(昨日の疲れが残ってるのかしら?それにしては、身体の芯がじんわり重だるくて……何だか変な感じ)
そう考えながら、前日のことを思い返す。
(あんなに魔力を使ったのって初めてだったし、こんなものなのかな?)
疑問に思いながら首を傾げていると、横から声をかけられる。
「ソニア、おはよ」
ふと顔を上げると、眠そうに欠伸をするアンナの姿が目に入った。
「おはよう、アンナ。眠そうね、大丈夫?」
「んー大丈夫大丈夫。交代でさっき仮眠も取らせてもらったし……」
ちらりと仮眠中のシュテファンに目を向けるアンナの様子に、ソニアは少し考え込んでから口を開く。
「良ければ、皆が起きるまで見張り替わるわよ?」
「えっ?悪いよ、そんなの……あたしが自分でやるって言い出したんだしさ。気にしないで」
アンナはそう言うと、少し場所を移動して再び辺り一帯に意識を向け始める。
ソニアも立ち上がるとアンナの隣に腰を下ろし、そのまま一緒に見張りを始めた。
そこから2時間ほど経ち、全員揃って朝食を済ませると、荷物をまとめながら出発準備を整える。
(……一応、念のために野営の痕跡は消しておくべきだろうな)
そう判断したユリウスがふと焚き火跡の方へと振り返ると、ソニアが黙々と炭を砕いているのが目に入った。
そんな彼女の隣に、アンナが不思議そうな顔で歩み寄る。
「何してるの?」
「焚き火の跡、きちんと隠しておいた方が良いかと思って。もし、本当にこの山の中に誰かがいるなら、その方が安全でしょ?」
その言葉に、アンナは納得したように顎に手を当てた。
「なるほど……ソニアって本当に色々知ってるんだね、尊敬するよ」
「あっ……これは、クロイツァー大尉から教わったの。灰と炭は、細かくして分散させると良いって」
そう説明するソニアを、ユリウスはフッと笑って見つめる。
そんな彼の肩に、ふとポンッと手が置かれた。
振り返ると、荷物を背負ったギルベルトが立っている。
「大尉、どうしたよ?」
「いや……ちゃんと成長しているんだと思ってな」
その言葉にギルベルトもソニアに視線を向け、ユリウスと同じように顔を綻ばせた。
「なるほどな、この数日で嬢ちゃんに色々仕込んだってわけか」
そこまで言うと、彼は声をひそめて続ける。
「……魔力譲渡も、お前が教えたのか?」
「は?」
少し驚いたように目を見開くユリウス。
そんな彼の様子に、ギルベルトは頭を掻いた。
「あれ、違ったか?それならあの子、一体どこであんな小技──」
「いや、教えたのは俺で合っているが……ギルベルト、お前魔力譲渡を知っていたのか?」
ユリウスの言葉に、ギルベルトは苦笑いして口を開く。
「当たり前だろ?警察の連中がたまーに使ってるちょいテクだ。諜報部にも情報くらいはあるっつーの」
そう言いつつ、彼は再度ソニアをじっと見つめる。
「……にしても、嬢ちゃんがあんな膨大な魔力持ってたとはな。お前、気付いてたのか?」
「いや……講義でも個別指導でも、使うのはせいぜい単純な中級魔術だからな。俺も知ったのは数日前だ」
その説明に腕を組むギルベルト。
難しい顔で黙りこくる彼の様子に、ユリウスは僅かに不安を覚える。
「どうした?何か問題があるのか?」
「いや……シュヴァイガー大佐の件と、関係あんのかと思ってよ」
「大佐、か……」
そう呟くと、ユリウスも腕を組んで考え込む。
(そもそも、ソニアのあの魔力量は、複雑な術式や上級魔術の発動時にしか気付けないはずだ。魔術訓練……しかも第2学年の内容では、そんな術式を組む機会はない。つまり、あの男が知っているはずがない。とはいえ──)
そう思いながら、アンナと楽しそうに作業をしているソニアをじっと見つめた。
「関係している可能性は、考慮しておくべきだろうな」
「そうだな……」
ギルベルトはユリウスに同意しつつ、もう1つの疑問を頭の中で思案する。
(碧眼は魔術を使えない、か。嬢ちゃんは、あの文献と真逆過ぎる。ただ、大佐の立場を考えっと、1番関係してそうなのはここだ。文献が間違ってるって知られんのが、教会にとってマズいのか?それとも──)
そこまで考えると、ギルベルトはポツリと言葉を紡ぐ。
「使えることに、意味があんのか……?」
ギルベルトの様子に、ユリウスは首を傾げた。
「ギルベルト、何か言ったか?」
「いや……何でもねぇよ。そろそろ出発しようぜ、嬢ちゃんたちに声かけてきな」
「ああ」
ソニアたちの元へと向かうユリウスの背中を見送りつつ、ギルベルトは一抹の不安を覚えるのだった。
───────
────
──
「お前ら全員、まだ歩けそうか?」
隊列の1番後ろから、ギルベルトが声をかける。
一行は野営地を出発し、2時間ほど山中を歩いていた。
「僕はまだいけます」
「俺も同じくです」
シュテファンとラルフがそう答える前で、ヴェルナーは息を切らせつつ口を開く。
「お、俺もまだ大丈夫っす……!」
「えぇ?ローデ少尉、めちゃくちゃ辛そうですけど……」
アンナは後ろに首を向けながらそうツッコミを入れると、前に向き直ってソニアに声をかける。
「ソニアは大丈夫?足、また痛んだりしてない?」
アンナの言葉に、ソニアは返事をしようとするも声が出てこない。
(あれ?何で……?)
そう疑問に思うソニア。
彼女の様子を不思議に思ったアンナは、首を傾げつつもう一度声をかける。
「ねぇ、ソニアってば。足、大丈──」
その声が耳に入って来た瞬間、ソニアは身体をぐらりと右に大きく傾けた。
(何か、視界が──)
ソニアの意識はそこで一瞬途切れ、アンナはそのまま倒れる彼女に慌てて手を伸ばす。
何とか抱き止めたソニアの身体は、小刻みに震えていた。
「ソ、ソニア!?ちょっと、しっかりしてよ!!」
その声に、ソニアの前を歩くユリウスも素早く振り返る。
アンナの腕の中でぐったりしているソニアの姿に、慌てて彼もしゃがみ込む。
「おい、ソニア!どうした!?」
「さ、寒い、です……」
震える声で小さくそう告げる彼女の額に、ユリウスは素早く手を当てる。
(……熱だ。かなり高いが、風邪がぶり返したのか?)
荷物を下ろすと、中から薬を取り出そうとする。
「すぐに解熱剤を──」
「待ってください!」
咄嗟にユリウスを遮ったアンナは、ソニアの様子をじっと確認した。
(呼吸が浅くて早い……頻呼吸かも。それに、脈が速過ぎる。まさか!?)
そっと彼女を地面に横たえると左袖をまくり、腕に巻かれた包帯を急いで解いていく。
傷口のガーゼを剥がすと、そこは一目でわかるほどに赤く腫れ上がっていた。
「……っ!そんなっ!」
アンナは慌ててソニアの首に手を当てる。
顔を真っ青にする彼女に、後ろのヴェルナーが声をかけた。
「なあ……ソニアちゃん、大丈夫なのか?」
「リンパ節が腫れてます。これ、ひょっとしたら──敗血症、かもしれません!」
声を震わせてそう答えるアンナ。
その言葉に全員が息を呑み、目を丸くする。
「でも、普通の怪我で敗血症なんて……」
そう狼狽えるアンナに、ユリウスはハッと気付いて口を開く。
「ベーゼ、その傷は熊に噛みちぎられた跡だ……!」
「えっ?」
「あの時、熊に腕をやられて──」
「熊に!?」
ユリウスからの思わぬ言葉に、アンナは一瞬目を見開いた。
(俺が最後に傷の処置を頼んだ時、伝えようと思っていたのに……完全に、頭から抜け落ちていた!)
そう考えるユリウスに、アンナは怒りの形相を見せる。
「そんな大事なこと、何ですぐに言ってくれなかったんですかっ!?」
「……すまない」
返す言葉もなく、ただ謝罪するしかないユリウス。
(他の奴らの治療や、教会関係者のことに気を取られていたのは事実だ。が、それはただの言い訳でしかない)
アンナはそんな彼を責め立てる。
「あたし、昨日言いましたよね?小さな怪我が命取りになることもあるって……!熊の口腔内なんて、細菌だらけなんですよ!?」
「……その通りだ」
「ただでさえ、山の中で治療体制だって整ってないのに──」
アンナがそこまで言うと、ソニアは「う……」と小さく呻き声をあげた。
その声に、ユリウスとアンナは揃って素早く視線を落として彼女に声をかける。
「ソニア、しっかりしろ!」
「ねぇ、聞こえる?ソニア、返事して!」
無言で小さく息を漏らすだけのソニアに、アンナは焦燥感に駆られた。
(高熱に意識の混濁、唇もちょっと青い……これ、症状からしてたぶん中等度だよね?抗生剤なんて持ってないし、何より、持ってたとしてもあたしの判断だけじゃ投与できない。でも──)
そう判断すると、バッと顔を上げてユリウスに視線を向ける。
「大尉。ソニアをちょっと抑えててもらえますか?」
「ああ、わかった」
その返答にアンナは荷物から小型ナイフを取り出すと、小さく炎魔術を展開させて刃を赤く色が変わるまで炙った。
ソニアの左腕に手を添えると、もう片方の手で赤く腫れた傷口に冷ましたナイフを当てる。
(お、落ち着けあたし……こんな処置なんてしたことないけど、大丈夫。中心を小さく切開すれば良いだけなんだから……!)
震える手を落ち着けようと、必死に深呼吸を繰り返すアンナ。
そんな彼女の横に、シュテファンがしゃがみ込む。
「ベーゼさん」
その声にアンナはハッと顔を上げ、彼女と目が合ったシュテファンは穏やかに微笑んでみせた。
「大丈夫です。ベーゼさんならできるって、僕信じてますよ」
ゆっくりと、優しい口調でそう言うシュテファン。
その言葉に、アンナはいつの間にか手の震えが収まっていることに気付く。
「……ありがとうございます」
小さくそう告げると、真剣な表情でソニアに向き直る。
「膿を逃がさないと、どんどん炎症が広がって悪化しちゃうから……ごめんね、ソニア」
アンナはそう呟くと、ソニアの腕の傷にナイフを入れた。
その瞬間、痛みにソニアは反射的に身体を動かそうとし、ユリウスはしっかりとそれを抑える。
(ソニア、すまない。俺がもっと気をつけていれば……少しの間、耐えてくれ!)
その向かいでアンナは排膿の処置を黙々と進めていく。
(膿は自然に出るのを待って……次は中の洗浄と、膿の吸い出し。後は膿を逃すスペースだけ確保して──)
1つ1つ手順を追っていくアンナ。
ガーゼと包帯で再び傷口を覆うと、ユリウスに向き直った。
「応急処置としては、ここまでです。これが、あたしに今できる限界で……」
「すまない、ベーゼ。恩に着る」
ユリウスの言葉に、アンナはフルフルと首を横に振る。
「あくまでも、これは簡易的な処置でしかありません。できるだけ早く、24時間──いえ、20時間以内には医師に診てもらわないと危険です。抗生剤投与の判断も必要ですし……」
「は!?」
思わず声を上げるユリウス。
(20時間以内、だと?そもそも、ここからプレハブ小屋まで徒歩で2日はかかるんだぞ……!?)
少し青い顔でそう考えながら、苦しそうに肩で息をするソニアに目を落とす。
(医者なら、麓町にクラウゼ先生が待機している。元々がバックアップ要員だ、抗生剤を所持している可能性も高い。だが──)
ユリウスはちらりと他の隊員たちを見やった。
(半数以上が怪我人だ。無理はさせられない)
目を閉じ、何が最適な選択なのか瞬時に思考を巡らせる。
(……ソニアがこうなったのは、全て俺の責任だ)
そう判断したユリウスはスッと目を開け、そのままソニアを抱き抱えて立ち上がった。
そんな彼にアンナは慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっと……大尉?」
「俺が走って麓町まで連れて行く。お前たちはお前たちのペースで小屋まで戻れ。良いな?」
努めて冷静にそう告げるユリウス。
(休みなく走り続ければ、半日少しでプレハブ小屋まで戻れるはずだ。そこから車を飛ばせば……間に合う可能性は、ある)
そう考えて走り出そうとした彼を、ギルベルトが遮った。
「待ちな」
「ギルベルト、時間がない。早くソニアを──」
「あのな、大尉だって怪我人だろうが。1人で突っ走って、道中何かあったらどうすんだよ。それこそ、嬢ちゃん殺す気か?」
「は!?そんなわけないだろう!」
少し声を荒らげるユリウスに、ギルベルトはやれやれと口を開く。
「ったく……それなら、余計に1人で背負い込むなんざ御法度だぜ」
ギルベルトはそう言うと、他の4人に向き直る。
「お前ら、走れるな?」
その言葉に、4人全員が力強く頷いた。
彼らの様子に、ギルベルトはニッと笑ってユリウスの背を軽く叩く。
「つーわけだ。全員で走んぞ」
「……わかった」
ユリウスがそう返事をすると、ヴェルナーがじっと進行方向に目を向けつつ口を開く。
「俺、小屋までのルートは大体把握してるんで、前走るっす!」
「それなら、僕はローデ少尉のサポートに入ります。障害物は先に潰しますので、大尉は安心してついて来ていただければ」
そう話すシュテファンの言葉に、ギルベルトは腕を組んでラルフに顔を向ける。
「ってことは、俺とラルフは後ろだな」
その言葉にラルフは小さく頷く。
「ですね。でも、後方確認に2人も要ります?」
「まあ、状況的には、広めの視野で前方の確認する方が重要任務だろうよ」
「了解です。それなら後ろは俺が全面的に引き受けますんで、准尉は前方をお願いできますか?」
「おう、任せときな」
ギルベルトはそう答えると、アンナに向き直る。
「アンナは、大尉と並んで走ってくれっか?嬢ちゃんの具合、都度確認する必要もあんだろ?」
「はい、わかりました……!」
緊張した面持ちのアンナは、チラリとユリウスの腕の中のソニアに目を向けた。
ぐったりとする彼女は、しきりに「暑い……寒い……」とうわごとのように呟いている。
そんな彼女の様子に、アンナは眉をひそめた。
(これ、意識飛びかけてるよね?排膿はしたけど、熱は下がってないってこと……!?)
アンナは少し顔を青ざめつつ、敗血症の経過を思い返す。
(どうしよう……このままじゃ、血圧が落ちてショック状態になりかねない!)
ふとそんな考えが頭に浮かび、アンナは思わず首を横に振ってその思考をかき消す。
(そんなのダメ!とにかく、急がなくちゃ……!)
そう考えながら、隣のユリウスを見上げる。
目が合ったユリウスは小さく頷き、前を向く。
「……助かる。お前たち、行くぞ」
その声を合図に、命をつなぐため、6人は一斉に山を駆け出すのだった。




