別れ
呂布は全軍幹部に向かって、勅命を受け入れて長安に向かう旨を説明した。反対するものも居れば理解を示すものもいた。
「軍師殿、短い間でしたが、御一緒出来て、光栄に思っております。」呂布はまずは副官の盧植に挨拶をした。
盧植と言えば、単なる軍参謀であるだけではなく、『礼記』に註釈をつけるほどの大学者でもある。門下は中国全土におり、大将軍呂布ですら下に置けぬ権威である。
「大将軍閣下。余りにも勿体ないお言葉です。」
盧植も深い礼を示す。
「実は私も善き時分に軍籍を退くことを考えておりました。」
「なんですと。・・しかし漢朝はまだまだ盧老師の力必要としています。」
「将軍。だからこそ、私はこれからは軍事ではなく、教育に人生を捧げたいのです。曹操や袁紹は皮膚の病です。一方、教育の荒廃は内臓の病。人々は道を見失っています。根本的な治療が行われなくては国家の崩壊は避けられないと感じるのです。」
呂布はそれ以上言うのを止めた。これも天命なのかもしれぬ。
そして呂布は語った。
「それがしは一度、盧植殿より儒の講義を受けてみたいと感じていました。
と言うのも私は幼児の時分より、馬に乗り、草原を駆け巡るばかりで、師について学問をしたことがありませぬ」
「しかし、将軍は異国の学問をしていると聞いたことがあります。」
「はい。私は自分の人生を変える為の何かを探していました。」
「それが、アリストテレスと言う思想家だったのですね」
盧植は笑みを浮かべ
「分かりました。その代わり
いつか拙者にも《アリストテレス》を講義して下され」
そう言うと二人はお互いに笑い合い、深くお辞儀をして別れた。
陳宮と武将たちは、私の長安行きに反対していたが、私の決意が堅いことを知ると、最後には折れて、私を陳留から200里先まで見送ってくれた。
「大将軍の再起の際は必ずや駆けつけまするぞ!」将軍の高順、樊稠などは涙ながらに訴えるのであった。
また最後まで長安行きに反対していた陳宮も、陳留城を死守することを誓い、呂布の無事を祈るのであった。
将軍や参謀たちとの別れが済むと、
親友で侍従中郎の張要が呂布の護送に同行したが、朝廷の若手官吏たちに取っても呂布は救国の英雄であり、丁重な扱いで首都長安までの移送が行われた。




