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人事発表

初平2年8月

大将軍府の人事が発表された。


【大将軍】 呂布

【軍師】 盧植

【長使】荀爽

【侍従中郎】張要

【参軍】

王方

李蒙

陳宮

【司馬】

成廉

魏越

【将官】

東中郎将 華雄

西中郎将 樊稠

北中郎将 高順

南中郎将 張遼


漢帝国が誇る大学者にして名将の盧植を軍師に迎え

総勢五万八千の軍が編成された。


これに加え、長安遷都に際しての護送部隊として

右将軍 徐栄

左将軍 胡軫

それぞれ一万二千の兵を率いているこの二将軍は元々董卓軍の古参であり、あえて呂布軍の直下には組み込まれなかった(いざというときに指揮下に入れる権限はある。)


また、長安には李傕と郭汜の西涼兵四万が備えてある。これは董太師の私兵同然の軍であり、董卓派が長安遷都を強引に推し進めた理由でもある。


さて、見ての通り、大将軍府の人士は①呂布の直属の部下(成廉 魏越 高順 張遼)②清流派名士(盧植 荀爽 張楊 陳宮)③董卓の部下(華雄 樊稠 王方 李蒙)が入り交じっている。

董卓としては呂布軍へのお目付け(監視役)として自派の武将を派遣したのであるし、長安遷都を機会に清流派の党人勢力を中央権力から切りはなそうと言う意図もあっただろう。

そもそも盧植は党人派の重鎮でもあり、反乱連合軍には盧植の弟子たちも多く関わっている。

これらの勢力を統一して反乱軍討伐に向かうと言うのは中々の難事業である。


「盧植どの、軍師就任の推挙を受けていただき、ありがたく思います。しかし、正直言うと、子幹殿には断られると思っておりました。」

盧植子幹、身長は1メートル95センチの堂々とした体躯の持ち主である。当時大儒者と言われた馬融に学び、研鑽を積み『礼記』の注釈者となった。

軍略は勿論、武芸にも秀でており、戦斧の使い手として黄巾の乱では万余の首級を上げたとも言われる。献帝を担ぎ上げた小帝の廃嫡事件で、董卓と真っ向から対立し、全ての職を罷免され、自宅で半幽閉生活を送っていたが、今回、呂布の推挙を受けて、大将軍府の軍師として復職することになった。

「奉先どの、何故私を軍師に推挙したのです?失礼ながら、貴殿と私は、これまで殆ど交わりをもちませなんだ。」

盧植は呂布からの打診を受けてこのような疑問を吐露したことがあった。

呂布は少し考えて「正直なところを言うと、私は長い間、盧植殿とお近づきになりたいと考えていました。しかし私は董太師の養子。子幹殿は董太師の最大の政敵と言って良い。表立って盧植どのの教えを受ける訳には行きませんからな。しかし軍中であれば別です。」

盧植は絶句した。なんたる大胆不敵。

「何を知りたいのです?」

「儒についてです」

「儒の何を知りたいのですか」

「子幹殿。私は儒の内容ではなく、本質(ウーシア)を知りたいのです」

盧植は驚愕した。呂布はそういって盧植の屋敷を後にしたのだった。

「奉先どの。あの日のお話、それがしは強く印象に残りました。そして貴方の軍師として同行すること、これも天命なのかもしれないと思ったのです。」



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― 新着の感想 ―
[一言] これに荀攸と賈詡が加われば漢王朝が立ち直ってしまいそうですね。 丁度今のタイミングって荀攸や賈詡をはじめ後に曹操の覇業を助けた人材が呂布の周りに手付かずに居ますよね。しかも、呂布には伝手まで…
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