第二十一話 焼肉前編
やっちまった……。
猫のように甘えてきた少女を拒むことができず、
俺は一つ屋根の下で彼女と寝てしまった。
そして早朝、誰かがドアをノックする音に目が覚める。
入ってきたのは、酒場の女将らしき人物。
「エロン、もう朝だよ。起きんなさ……」
「あ……」
すやすやと眠るエロンに抱きつかれている俺を見た女将さんは、
まさに鬼の形相と呼ぶにふさわしい顔でこちらを睨む。
「誰だいアンタは!!」
「ご、誤解だ。怪しい者じゃない」
「まさか、うちの子に手を出したんじゃないだろうね!?」
「いや、一緒に寝ただけだ。エロンに聞けばわかる」
声がとても大きくて怖い人だ。
良かった、手を出さなくて本当に良かった。
「ふみゃ、おばあちゃん? おはよー」
「エロン、この男に何かひどいことされた? 脅されたの?」
「違うよー。私が連れ込んだの〜」
ほっ、良かった。
「それでね、いつか私を食べてくれるって約束してくれたよ〜」
「アンタ……!」
おい、勘違いするな。
ロリコンを蔑むような目で見ないでくれ。
「ゆ、許してくれ。何だってするから……」
土下座して謝った。
俺にも責任はある、と思う。
昨日の俺は空腹で頭がどうかしていた。
パンを食べた後も、酒のせいでくらっくらになり、理性が吹き飛んた。
「全く、最近の若者ときたら慎みというものを知らないねぇ。エロンはいいのかい?」
「いいよ〜。ハコヤは何も悪くないもーん」
「ハコヤ? 変な名前だね」
「じゃ、俺はこれで……」
ダンボールを持って抜け出そうとした俺だったが、女将さんが体を動かして出口を塞ぐ。
お、おい、俺をどうする気だ。
「アンタ、ただで済むとは思ってないでしょうね」
「で、でも俺、お金持ってないし」
「お金じゃないよ! 一ヶ月、この酒場で働くんだね!」
な、なんだと?
いや、悪くない提案というか、何年もレストランで働いたことがある俺にとっては最適だ。
「それは一向に構わないが、ご飯と寝床は?」
「うちで食べて寝な。その分だけ給料から引いておくよ」
「いよっしゃ」
一ヶ月分の食料をあっさり確保できたので、思わずガッツポーズを決めてしまった。
まさに牡丹餅の代わりに『棚から食料&寝床』というやつだな。
迷宮には当分行けなくなるだろうが、裏を返せば危険を冒す必要はなくなる。
この世界についても情報を集められるので、こちらとしても願ったり叶ったりだ。
「わかってるかい? うちのエロンを悲しませたら容赦しないよ!」
「イェス、マム」
「ふんっ、さっさとついてきな。仕事を一から叩き込むよ」
「イェス、マム」
俺は嬉々として女将さんの後に続く。
異世界の酒場で働くなんて、願ってもない経験だな。
廊下を歩いている時、ダンボール箱のことを聞かれたが、
命の恩人ならぬ恩箱とだけ言っておいた。
やがて俺は酒場の奥にある広めの調理場に案内され、何をしたいのか聞かれた。
料理、接客、食器洗い、掃除、そして食材の輸送。
どれも日本で経験済みだが、俺は料理がしたいと申し出た。
この世界で俺の料理がどこまで通用するか知りたかったのだ。
それを聞き、女将さんは味を見て決めると言った。
食材は自由だが、テーマは『ゴブリンの肉料理』とのこと。
俺は調理場で空いているスペースを見つけ、食材をそこに集めていく。
肉は普段、『減速魔法』で作られた氷に囲まれながら地下室に置かれたり、
塩漬けや燻製にして保管されるらしい。
庭でゴブリンなどの弱い魔物を家畜として飼う方法もあるが、
倒しても肉をドロップするとは限らない上、市街地で飼うのは危険だそうだ。
ちなみに鮮度を保つには収納スキルが一番だそうで、女将さんが肉を召喚してくれた。
収納スキルを乱用している自分が言うのもなんだが、その発想はなかったよ。
商業利用できるほど便利なスキルで、元冒険者の私だからこそ使える、と女将さんが言う。
片手剣が五十本入るんだと豪語していた。
調理台の上で赤い肉をよく観察すると、ゴブリンの肉にも種類があることがわかる。
脳内のリストでは、どれも同じ『ゴブリンの肉』だが、
比べてみると、肉の部位が微妙に違ったりするのだ。
ゴブリンは知らないが、一般の肉では部位に合わせて調理方法を変えることが多く、
丸焼きしかできなかった昔とは違い、今は器具が使える。
厨房を見渡すと、薪を燃料としたストーブで料理人が肉を焼き、肉汁を集めている。
焼き串を使って直火で焼いているようだが、収納スキルで改造できるかもしれない。
石を彫ってグリルを再現したり、鉄があれば鉄板焼きにしたりできそうだ。
他にも囲炉裏らしき物の上に鍋が吊るされていたり、かまどがあったりと興味深いが、
大きく脱線してしまうので、とりあえず肉の話に戻ろう。
俺は肉に触ろうと思ったが、女将さんが見ているので、手を洗うべきか聞く。
すると彼女は悔しそうな顔で蛇口の場所を教えてくれた。
どうやら叱る気満々だったらしいが、手洗いは料理、そして生活の基本だ。
厨房の端に行くと、壁から複数の管が出ていた。
水道が発達しているようだが、近くに川でも流れているのだろうか。
止水栓らしい石の棒を抜くと、綺麗な水が飛び出した。
横に長い流し台は傾いており、落ちた水は左側の排水溝に向かう。
しばらくの間感動していると、女将さんに急かされたので、止水栓を置いて手を洗う。
ついでに、使うことになるであろう包丁(流星の双剣)も水で流し、近くにあった布を使って綺麗にした。
調理台に戻り、ゴブリンの肉を手で触って確かめる。
豚肉かと思っていたが、肉質はどちらかというと牛肉に近いようだ。
丸焼きを食べていた頃は生きるのに必死で、こんなことにも気づかないほど焦っていたのか。
周囲の脂肪を切れ味抜群の流星の双剣で削ぎ落とし、複数に切ってから指でなぞる。
ビロードのように細かい断面から、それがヒレ肉だと確信した。
とても柔らかくて貴重な部位で、ステーキなどに向いている。
脂肪、色沢、締まりも平均の牛肉より上で、自分が食べたいくらいだ。
女将さんにどれくらい必要か聞くと、一口で味がわかるから少なめでいい、と言われた。
牛ヒレは大きく分けて三つ、細かく分けて五つの部位からなるが、
中でもシャトーブリアンと呼ばれる真ん中に近い部位が最良と言われている。
その部位は女将さんに残しておくとして、他は俺が味見として全部食べよう。
一口でいいと言ったことを後悔させてやる。




