第二十話 純真無垢
肉の色は、何時間経っても変わらないままだった。
そう、未だ生肉なのだ。
すでに日が沈み、俺は眼の前で焼いている肉が食べれないという生き地獄を味わっている。
俺は肉を味わいたいのに、皮肉なものだ。肉だけに。
松明に手をかざしてみると、あまり熱くなかった。
なるほど、これが原因か。
まるで発光効率を限界まで高くしたLED電球のように、
燃料のエネルギーが熱よりも光に変換されていく。
照明としては最高だが、熱源としては最悪じゃないか。
俺は松明と肉を収納し、街明かりを頼りに夜道を歩く。
腹が限界まで減っている状態で、迷宮攻略は無理だろう。
とりあえず冒険者ギルドに戻り、酒場に向かう。
内部はランプのおかげで明るく、肉を焼けるか考えたが、形状からして無理そうだな。
見れば大半の席が埋まっており、飲めや歌えのお祭り騒ぎだった。
まさに酒池肉林といった様子だが、こんな豪華な飯を毎日食べているのだろうか。
無一文の俺には買うこともままならない料理が、見渡す限りに置いてある。
金がないのにどうして来たのかって?
そりゃ、『今日は俺のおごりだ、じゃんじゃん飲めー!』と叫ぶ人が現れるのを待つのさ。
そして大量の料理を遠慮なく注文し、店の在庫が切れるまで収納し続けるのだ。
壁際にテーブルが一つ空いていたので、腰を下ろす。
指をくわえながら他人の飯を眺め、魔が差して今にも収納しようとしていた瞬間、
ウェイトレスらしき少女が駆け寄ってきた。
「こんばんは〜。ご注文は何かな〜?」
「…………」
咲き乱れる桜のようにふさふさとした、ペールピンクの長髪。
気まぐれな春時雨に付き合うおおらかな若葉を思わせる、目尻が下がった優しげな翠眼は、
大自然のような生命力と活気を宿すと同時に、どこかしっとりとた雰囲気を放っていた。
たわわに実った巨峰のような胸は、包容力と母性を最大限に感じさせるが、
か弱い少女のような体躯とは不釣合いで、そのアンバランスさが庇護欲をかきたてる。
「聞いてるー?」
「え?」
「だ・か・ら、注文〜」
いかんいかん、つい見とれてしまった。
彼女は肩出しのメイド服を服を着ており、看板娘と呼ぶにふさわしいルックスだ。
隠すところは隠し、出すところは出す。
身体中に散りばめられたコントラストが、もはや芸術品のような光彩を放っている。
あと、たった今気づいたことだが、どうやら俺は『肩フェチ』らしい。
認めたくはないが、それはもう、よだれが垂れるレベルで。
思い返せば、エレナの肩も素晴らしかったな。
白無垢のワンピースが滑らかな肩のラインを強調させ、麦わら帽子とマッチしている。
その美しさに見惚れていた自分が認めたくなくて、どうしても素直になれなかった。
認めよう、俺はエレナを異性として認識している。
邪神幼女も同じく、フィギュアを大量生産したためか、
体も肩も脳裏に焼きつくほど記憶していたりする。
下着モードの際に見える純白の肌、くっきりとしながらも小さくて繊細な肩、
無条件で愛でたくなるような魅力が『さすが幼女』といったところか。
そして目の前の娘、これもまた芸術的な肩で、邪神とは対照的な胸のーー
「ねえってば〜」
「おっと、すまない」
何やら脳が暴走していた気がする。
えっと、注文すればいいんだっけ。
とはいえ、お金が使えないからな。
袖で口元を拭き、鼻血を左手で食い止めながら、少女の質問に答えるべく口を開く。
「無料で食べれるものが欲しい」
「無料? う〜ん、ぬるいお水ならあるよー。他には、硬いパンくらいかな〜」
「硬いパンをどうか俺に恵んでくれ女神様」
椅子から降りて俺は土下座したーーそれほど飢えていたのだ。
ダメ元だったんだが、やはり聞いてみるものだな。
「おっけー。無料のデザートもあるけど〜」
「無料だと? ならぜひ食べたい」
「本当に? 最後まで食べてくれる〜?」
俺がこくりと頷くと、少女はパァァ、と表情を輝かせた。
間違いない、この子は女神、あるいは天使だ。
心が洗われて、負の感情が天空の彼方へ消えていく。
やがて少女は桜色の髪とメロンのような胸を揺らしながら、複数のパンを持ってきた。
硬かったが、天然水に浸して食べると、するりと口に入った。
「こちらも無料でどうぞー」
「ん? 飲み物?」
「ブドウの汁〜」
どういうわけか、ブドウジュースまでくれるようだ。
サービスというか、気前が良すぎるだろ。
金を一つも払ってないのに。
俺はジョッキに入った紫色の汁を一気に飲み干した。
が、予想に反して苦かった。
「な、なあ、もしかして……これってワインか?」
「そうとも言うよー。ブドウの汁を発酵させたんだ〜」
やばい、頭がクラクラしてきた。
酒を飲んだのなんて生まれて始めでだが、こんなに効き目があるとは。
一気飲みなんてせずに、舌で舐めて確認すれば……
まっ、どうでもいいかぁ。
「よーし、もっと硬いパンを持ってこぉい」
「は〜い、少し待ってねー」
ああ、頭がふわふわして気持ちいい。
ん? みんな美味しそうなご飯食べてるなぁ。
よぉし、ダンボール箱の力を見せてやる。
出世、そう、出世したら返すから許せー。
パッ!
「あれ? 肉が消えたわ」
「ああん? おいメイル、てめえが食べたんだろ!」
「ちげーよ! お前だろファクシミリ!」
「こら、喧嘩はよくないわよ」
とあるテーブルで男たちが殴り合いを始め、酒場は一気に盛り上がる。
ふへへ、収納するチャンスだ。
食べかけの部分は嫌だし、綺麗なところだけもらっていこー!
パッパッパッパッ……
「あっ、貴様! よくも私のゴブリンチャップを食べたな!」
「違います! あなたこそ私のお子様ランチ、食べたでしょう!」
「そんなもの食べるか!」
ずいぶん店が騒がしくなってきたなー。
まっ、賑やかなのはいいことだ。
「はい、余り物のパンだよ〜」
「うまいなぁ。君、名前は?」
「エロンって呼んで〜」
名前はエロンというらしい。
胸がメロンみたいだから覚えやすいなー。
俺はパンを水で流しこみ、あっという間に平らげる。
「ごちそうさま。そろそろお腹がいっぱいだなぁ」
「じゃあ、デザートにする〜?」
「するー」
エロンに手を引かれ、二階の暗い一室に連れ込まれる。
デザートってなんだろう。
うぐいす餅、栗きんとん、ういろう、それともイチゴ大福?
ワクワクしていると、エロンはベッドに飛び込み、服を着崩す。
そしてこちらに火照ったような顔を向け、両手を伸ばした。
「私を食べて〜」
「…………」
甘ったるい猫撫で声を聞き、一瞬で酔いが覚めた。
デザートって……こいつかよ。
「いや、食べるの意味が違うから」
「えっ、食べてくれないの? 約束、したのに……」
「うっ、いや、その……」
演技とは思えない涙目を浮かべるエロン。
普通の女なら蹴り飛ばしているだろうが、彼女はどこか違った。
純粋な好意というか、打算のない甘えというか。
「喜んでくれると思ったのに……」
「ま、待て。まずは理由を聞かせてくれ」
「顔、かっこいいから〜!」
なるほど、これがチョロインというやつか?
人間、顔より中身だと思うんだが。
「顔が良くても、中身が普通以下のクズかもしれないだろ? 早まった判断は良くないとーー」
「目を見たらわかるのー。お客さん、優しいのに、辛くて悲しそうな目をしてる〜」
「ッ……」
急にグイッと近づかれ、翡翠のようなタレ目が間近に映る。
こちらを見透かされたような気がして、俺は一瞬言葉を失った。
酔ったせいか、感情が表に出ていたのだろうか。
それとも……
「意外だな。そんなことを言われたのは、初めてだよ」
「ふ〜ん。お客さん、名前は〜?」
「……ハコヤだ」
「ハコヤ、ハコヤー! あはは、ハコヤ〜」
おもちゃをもらった子供のような顔で連呼するエロン。
とてもニコニコしており、その無邪気な様子は小動物を連想させる。
しかし、だからこそ、こんな少女には手を出したくない。
純粋な心を騙したかのような罪悪感が、一生付きまとうだろう。
「エロン、俺は帰るよ。じゃあな」
「待ってよー。私を食べる約束は〜?」
「い、いや……」
「大丈夫、初めてだからー」
余計ダメだ、絶対にダメだ、全然大丈夫じゃない。
エレナに無理やり『バーン』された時とは違い、今の俺には選択肢がある。
なら、道徳的にも正しい判断をするべきだ。
「すまない、俺はーー」
「だったら今じゃなくてもいいけど〜、いつかは食べるって約束して」
「いつか……?」
相手は引いてくれそうにない。
仕方ない、これで妥協するか。
「わかった。数年後、もし君が気持ちを変えなかった時は……君を食べるよ」
「うん!」
エロンは子犬のように顔を明るくする。
一年が何日かはわからないが、このゲームみたいな世界を作ったのが地球人なのか、
いろいろ地球と一致しているから大丈夫だろう。
少ししたら無能な俺に幻滅し、自然と離れていくと思うから。
「あ〜、また悲しそうな目してるー!」
「えっ?」
心を読まれたような気がして、ドキッとする。
でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「今日は一緒に寝るからね!」
「……は?」
一瞬思考が止まっていた俺を、エロンはいとも簡単に引っ張る。
そのまま木のベッドに寝かせられ、がっしりと抱きつかれてしまう。
「い、いや、いくらなんでも初対面の女の子と寝るなんて……!」
「おねが〜い。一人じゃ寂しいよ〜」
布団もマットレスもないベッドの上、隣にいる少女の体は植物のように冷たい。
俺は結局、彼女の甘えを無下にすることができなかった。
「すぅ……すゃ……」
「もう寝たのか」
腕に顔を埋められ、寝顔を見ることはできなかったが、
心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
ああ、なんでだろう。
その守るべき小さな体に、逆に守られているような気がして。
目から何かが流れ出す。
とうの昔に失ったはずなのに。
たった一日で癒せるものだったのか。
空いた手で目のふちを拭い、もう一度少女に目を向ける。
窓から差し込む淡い月明かりに照らされたピンクの髪が、
風情ある湖畔に一本の木が咲かせる、健気な夜桜のように見えた。
「……おやすみ、エロン」
すっかり陶酔してしまった俺は、体にしみるアルコールを思い出したのか、
心身が浄化されるような気分のまま、深い眠りにつく。
エロンの意味:
אֵילוֹןーー古代ヘブライ語で『オークの木』『木立』『力』
Αιλώμーーギリシャ語で『太陽』『輝く光』
Elonーー他の言語で『魂』『神は私を愛している』




