ー9ー
「——はい」
「あ、一也、お楽しみのところごめん」
「いいよ、どうしたの?」
「あのさ。わたしのエルさまに、初戦闘から死のセンコクがついてるんだけど。そっちはついてない?」
「序盤に死のセンコク……? そんなの見たことないよ」
「どこまで進んだ?」
「最初のボスは倒したよ」
「盗賊?」
「そうそれ。その状態異常、ずっとついてるの? なにしても消せない?」
「うん。65535からはじまる変なやつでさ。ステータスにも死のセンコクって、ちゃんと書いてあるの」
「それ、たぶんバグだよ」
「やっぱり?」
「でも、おかしいな。サイバーファミコンなら、65535でも不思議じゃないんだけど。性能が上がったプロステで、その数字出るかなぁ」
「もしかして、わたし、なにかに当選してる?」
「開発陣が、なにか仕掛けている可能性はあるかも。コールセンターには電話した?」
「うん、した。そしたら交換しますって」
「もしかしたら、なにか景品がもらえるかもよ」
「ええ、それならちょーラッキーじゃん」
「ほんとにバグだったとしても、お詫びの品とかあるかも」
「ちょっと期待しちゃう」
「とりあえず、メーカーの指示にしたがってみなよ。もしディスクが変わっても症状が消えなければ、本体の問題かも」
「そっちもありうるよね」
「一回、再起動してみたら?」
再起動……。その手があったか。
「わかった、そうしてみる」
「じゃ、また進捗あったら学校で教えて」
「うん。ごめん、忙しいところ」
「いいよ。じゃね」
「じゃね」
そっかそっか、とひとりごとをこぼしながら、わたしはいったんキッチンに向かった。気分を入れ替えたくて、インスタントコーヒーを飲むことにした。
エルさまのドット絵がプリントされたマグカップから、香ばしい香りが立ちのぼる。それを片手に自室へともどった。
街でメニューを開いた状態のまま、ゲームは止まっている。
「さてと、再起動しますか」
セーブしたことを確認してから、一度電源を落とした。Resetボタンを押せばいいのだろうけど、念のため、ちゃんとオフにする。
数秒待ってから、もう一度電源を入れた。
ゲーム機のイントロ。
レディラⅡのイントロ。
「発送はあしたでいいか」
タイトル画面になり、ロードゲームを選ぼうとする。
ニューゲーム
ロードゲーム
レディラ
「レディラ?」
なんだ、この選択肢。
レディラはいわずもがな、このゲームのタイトルの一部で。
舞台となる世界の名称でもある。
ここまでくると、このバグったディスクを楽しんでやろう、くらいの気持ちが湧いてきた。もしかしたら、クリア後に追加される項目がいま表示されているのかもしれないが。たったひとり特別な体験をしているのかも、と思ったら、それはそれで——。
「押してみるか」
カーソルを下にずらして。
レディラを選んだ。
停電か、と思ったが、まだ昼間、窓からの自然光でゲームをしていた。
なにもかもが見えなくなって。
なにもかもが聞こえなくなって。
自分が呼吸をしているのかもわからなくなった。
すごい音がする。
巨大な鉄球が、何度も地面を叩きつけるような。
近くで工事でもはじまったのか?
風が頬にあたる。
息を吸うと、砂がノドにからみついた。
「あ、あんた! んだなところで寝そべってら、死んじまうであ!」
男の声がする。
目を開けると、数人の靴がばたばたと走りまわっている。
「あああ! もうだめだであ!」ちがう男の声だ。
「まだあきらめんだってあ! せっかく採った原石、捨てていぐわげにいがねぇだら!」
「んだがって、死んだら元も子もねぇであ!」
「は、はえぐ! その娘っ子も荷台に乗せれぇ!」
轟音は止まない。振動もすごい。ダイナマイトでも爆発しているのか? ぼやっとしていると、躰に浮遊感を感じた。肩と足をふたりに持たれている。
「いそげぇ!」
右を向くと、腕を大きくまわして、こっちだと叫んでいる男がひとり。わたしはなにか、木の板に放り投げられた。背中から衝撃。
「みんな乗ったぞ! はえぐ、バッファランにむちうてぇ!」
「落ぢんなよぉ!」
鞭がなにかを叩く音、それから馬のようで牛のような鳴き声が聞こえた。がらがら、と車輪らしきものが回転する音と、それにともなう振動。軽トラックの荷台で感じるようなG。
躰を起こして、周囲を見た。
両サイドは肌色の岩場。
道はアスファルトではなく、土。
椰子の木みたいな植物が横切っていく。
バッファランといえば、ガムドラ王国でよく飼われている家畜の名前だ。進行方向から、ふんがふんがと荒い鼻息が聞こえる。
「もっとだぁ! もっと駆げろぉ!」
男が叫ぶと同時に鞭の音が重なっていく。スピードも順々速くなっていき、聞こえる鼻息も激しくなっていく。
「あ、あんた、どっからきたんだぁ?」
おなじ荷台に乗っている男たちのひとりが、おびえた顔で言った。荷台の縁につかまって、きょろきょろと警戒している。
見たことがない服だが、たぶん、工事関係の仕事をしている人だろう。タンクトップに、つやつやした素材のエプロン。袖幅の広い、固そうなズボンを着ている。黒肌の頬には、煤と土がついている。
「わ……、たしは、えっと」
「その服はホトニエのか?」いったんこちらを見て、男が言った。
「え……、しまむろで買いました」
「島の村で買ったぁ? そんじゃ、シラミスだな? んだでも、シラミスってそんな服だったけあ?」
話していると、ふたたび轟音がして、荷台がまるごとひっくり返った。わたしと男たちは地面に投げ出されてしまう。躰が転がり、全身が地面に殴られた。
頭の上で、笑い声がする。
「へあ、へあ、へあ」
倒れているこちらを覗きこむ、女。
頭に骨のかぶりもの、頬には赤いフェイスペイント。
毛皮の服は露出が多く、防寒の機能なんかないな——と、どこかで思ったことがある。
「女だ!」女が言った。
「オメェも女だろぉがよぉ!」
すぐそばで別の男が言った。声からして、さっきの工事関係者じゃない。
「どーすんの、こいつら」
「もらうもんはもらっちまえ。あとは、好きにシロォ」
頬にヒヤリとした感触。
ナイフだ。
ナイフが当たっている。
「おれは、こいつと遊ぼぉカナァ」
骨のかぶりものをした男がわたしを見ている。
動けない。
状況が理解できない。
ただただ、恐怖が全身を染めていく。
「や、やめろぉ!」工事の人が、骨の男に体当たりをした。
「ってぇ! ざけんな、石掘りがぁ!」
「む、娘っ子、逃げれぇあ!」
わたしを助けてくれた……? 工事の人は地面にうずくまり頭を抱えているが、骨の男が彼を蹴りつづけている。——今度は頭に激痛を感じた。髪をひっぱられて、わたしは無理やり上躰だけを起こされた。
「い——たい!」
「ふーん」骨の女がかがみこんで、わたし顔をまじまじと観察する。「見たことない顔のつくりだねぇ。よその国の女だ」
女は腰に手をやって、なにかを取った。またナイフだ。金属の刃に雑な波紋が走る。持ち手は動物の骨かなにかでつくられているみたいで、赤い布が巻きついている。こちらの髪をつかんだまま、女はナイフを首に当ててきた。
「ほら、泣いてみなよ」
「い、いや——」
「ちっ……、ラチがあかないね」
骨の女はナイフを腰にしまった。周囲から殴る音ばかりが聞こえる。何人かいた工事の人は、それを超える人数に暴行を受けているようだ。
「泣けって言ってんだよ!」骨の女の平手が頬を打った。視界が揺れる。息が詰まる。涙が勝手に溢れてくる。吐き気なんてもんじゃない。「——無色透明だ! なんにも持ってねぇ!」
女が言うと、周囲が大笑いに満ちた。レディラの世界では、ジョブに応じた色の涙を流すことがふつうだ。ここは——まさかほんとうに。
「うちの涙を見せてやろうか」
骨の女は、わたしを地面に放ってから自分の腕を噛んだ。じわり、じわり、とその目頭に涙が溜まっていく。
「どうだい、この金色の涙——きれいだろぉ?」
コンビニにいるちんぴらみたいにらしゃがんで、彼女は言った。金色といえば、盗賊派生の職種が流す涙。シーフ、アサシン、トラップマスター、そして主人公ラクトのジョブでもある、両刃剣を主武器としたブレードダンサー。
「涙自慢してるひまあったら、女の肌くらい見せてみろや」
骨の男が言う。
骨の女は、ナイフをわたしの胸に近づけてきた。
「大人しく身ぐるみ剥がせろ、ってさ。なーに女同士なんだ、胸のひとつやふたつ、見られたってかまやしないだろ?」
へあ、へあ、へあ。
笑い声ばかり。
ナイフがセーターに当たる。
「やめて——」
「ほう……」骨の女は勝ちほこった顔をする。「なら、やってみなよ。無色透明の涙でもって、うちらを殺してみなよ」
なにもできない。
なにもできないだろ、といわれている。
ここは——
そういう世界。
「がふっ!」すこし離れたところで、男の声。
「んだよ! いいとこなのに!」歯を剥き出して、骨の女がそっちを見た。
わたしも頭を上げて、目でどうにか状況を追った。だれかが暴れている。剣に、剣がくっついた、長い武器。緑の髪が踊っている。
「ちょっと! しっかりしなさいよ!」若い女の声がする。「パナーク!」
淡い水色の光が、荷台のむこう側に見える。なにが起きているかはわからない。けれど——パナークはレディラにでてくる中級回復魔法だ。
「くそ……、だったらさきにぶっ殺してやる!」
左から怒鳴り声がした。そっちを向くと、骨の男が、工事の人にナイフを突き立てようとしている。
かちゃ、かちゃ、かちゃ——。
なにか、鎧のようなものが走る音。
瞬間、目に飛びこんだのは銀色の騎士。
その剣は、骨の男の胸を突き刺した。
「逃げろ!」
片足で刺した相手を蹴り押して、剣を抜きながら騎士が言う。工事の人はおびえながら、しりもちのまま退がり、ひえぇ、と言いながら、よろよろと立ち上がってどこかへ消えた。
「よくも殺したなぁ! うちの男だったのに!」
目の前にいた骨の女は、わたしへの興味を完全に失くした。ただ一点、狂気に満ちた目は騎士をにらんだ。
彼女は猿みたいに跳ねて、両手で持ったナイフを騎士に突き落とす。
金属がぶつかる音。
見ると、大盾がそれを防いでいた。
騎士はそのまま盾を振り切る。
弾かれた女は、そこに転がった。
「がうるぁあっ!」
それでも噛みつくのをやめない野犬のように、骨の女はさらに飛びかかる——と思ったが、こっちに走ってきた。
「せめてあんたを人質に——!」
「ディム!」
はじめて聞く女性の声だ。骨の女は、わたしにつかみかかろうとしていたけれど、結界のようなものがそれを拒んだ。
「なんだよ!」骨の女がいらだちを見せてすぐ——「がはっ」騎士の剣が彼女の胴を貫通した。
「大丈夫? 立てる?」
優しい声が近づいてきた。ストレートの黒髪で、北欧と日本のハーフみたいな目鼻立ちに、パープルの瞳。白を基調としたブラウス。手には杖を持って、花みたいな香りをまとう。
「わたし、ティクル。あなたは?」
「え、わ、わたしは……」
「ううん、いいよ。答えられないよね。びっくりしたもんね」
そう言ってティクルは、杖に念をこめはじめ——
「パナケイア」
唱えると、杖から水色の光がふわっと広がり、それはわたしの躰をすっぽりと包みこんでくれた。躰のどこもかしこもが楽になっていく。
「ちょっと、そんな軽症患者にパナケイアはいらないわよ。パナで十分よっ」
ピンクのショートドレス、金色のツインテール……。白のロングブーツは、膝元まで黒い紐が通っている。垢抜けたばかり、とも見えるとても若い女性が、こちらに来る。
「エリニナ、それはちがうよ」目を閉じながら、ティクルは言った。「見た目では大丈夫そうでも、内臓はどうかわからない。そのとき、できうる最善の治療をするべきだよ」
「そんなこと言ってるから、あんた、前回の冒険でさんざん息切らして、賢者の薬水を飲みまくっていたって。お兄ちゃんが言ってた」
ぎくっ、とティクルは表情を変えた。賢者の薬水といえば、MPを大幅に回復するアイテムだ。たしかに、レディラⅠでのティクルはMPをよく枯渇するキャラだった。
「それは、おれのパーティ防衛が弱かったせいだ」
いい声。
男らしくて。
頼もしくて。
すっきりしていて。
色っぽさもある。
「おれが、ティクルの負担を増やした。責められるべきは、パラディンだ——というニュアンスで言ったはずだ」
「もう、お兄ちゃん、すぐ甘い」
「ごめんね」ティクルは気まずい顔をする。「わたしも節約を覚えなきゃ」
ちゃ、ちゃ、と鎧の歩く音が近づいてくる。
白銀の剣を腰の鞘に収めて。
大盾を背中にやって。
彼はガントレットの手袋を片方だけ外した。
肌色の手が目の前にきた。
「起きられるか?」沖縄の海みたいな色をした瞳が、わたしを見つめる。
「は、はい……」わたしは手をつかんだ。
「おれはエルディス。おまえは?」
「——いやああああああああああああああ!」
頭にぐん、と血がのぼった。めまいがして意識が遠くなった。視界はぼやけて、視点は宙をぐりぐりと泳ぐ。こもっていく音のなかで、なにか、四人ほどの男女があわてふためく声がしていた。




