ー1ー
音楽が聞こえる。
軽快なリズムの、ケルト音楽みたいだ
背中のほうから鳴っている。
また気を失っていたんだ、と気づくのに時間はかからなかった。見たことのない木製の天井は、色の濃い丸太を組み合わせたものだ。ビールみたいなにおいと、消毒液みたいなにおいが空間で混ざっている。
「気がついた?」顔を横に向けると、女性の顔がこちらを覗きこんでいる。「急に倒れちゃうから、びっくりしたよ」
彼女は——そう、ティクルだ。黒髪のストレートに、紫色の瞳。さっきはあわただしくてよく見れなかったけど、身長はわたしとおなじくらいか。服の上からわかるくらいスタイルがすごくいい。
「あの……」わたしは言った。
「ここはね、酒場と宿屋が一緒になった場所だよ」ティクルは金属製の洗面器の上で、濡れたタオルをぎゅっとしぼった。「はい、ちょっとは頭、冷えると思う」
おでこにひんやりとした心地。
のぼせた頭には、とても気持ちがいい。
「わたしたちの魔法はね。外傷や内臓損傷にはすぐに効くんだけど。精神的な問題には弱いんだ。あなたが倒れてから、何度か回復魔法をかけたんだけど。あんまり効果がなくて」
倒れる間際の記憶……。
そうだ、エルさまの顔面が近づいてきて……。
「ここは、どこ、ですか?」
「ガムドラ王国だよ。ニッドバッガ大陸でいちばん大きい国。——あなたは、どこからきたの?」
「わたし……」正直に答えるべきなのか。「わ——からないんです」
「うーん。おうちの人の名前とかは?」
「覚えて……、ない」
「そっか……」
ティクルは真剣な面持ちで、右を見た。そちらには十字格子の窓があった。オレンジ色の明かりが、ほのかに飛びこんできている。松明か、ランタンか。日本の夜とは、まったくちがった灯りだ。
ふと視線を上げると、天井の中央には鉱石のようなものが埋まっていた。室内の灯りはそれだ。ぼんやりと光るあれが、この国の照明なのだろうか。
「あなたの服、実は見たことがないんだ」ティクルはそう言って、丸椅子から立った。「わたしたち、いろんなところを旅したんだけど。この材質の、このかたちのものは、どこの国か、わからなくて」
彼女が歩いていった方向の壁際には、木製の物干しハンガーがあった。そこにわたしの服がかかっている。
だとしたら、いま着ているのは……? 布団を持ち上げてなかを見てみると、見慣れない肌着のようなものを着ていた。胸元にリボン結びの紐があり、下腹部までボタンがとまっているワンピースみたいなものだ。両足はそれぞれ袖が分かれている。全体的にゆったりしていて、楽だ。もとからベージュ色をしているのか、使いこんだ結果この色なのかは、わからない。
「ほら、砂まみれだったから、宿屋の人に洗濯をおねがいしたの。ここは気温が高くて、乾燥しやすい地域だから。あすの陽がのぼるころには乾いていると思うよ」
ティクルはわたしの服をひっぱって、シワを伸ばしてくれている。わたしは上体を起こした。
「あり、がとう……」
「あ、無理に起きなくていいよ? 大丈夫?」
「だ、い、じょうぶです……」
「ちょっと、お水もらってくるね」
「はい……」
ティクルは部屋から出ていった。ドアが開いたとき、ケルトっぽい音楽が一層大きくなった。下の階は宴会さわぎになっているみたい。
「お待たせ」
お盆に、金属製の冷水ポット、そして透明のグラスを持ってきてくれた。
「けっこう、暑いでしょう?」ティクルはグラスに水を注ぎながら、「この地域に来ると、脱水症状に気をつけなきゃならなくて。夢中で戦闘していると、すぐノドが乾いちゃうの——はい」
差し出されたグラスを、わたしは受け取った。
ひやりとした感触が、手のひらに心地いい。
「なにからなにまで、すいません」
「気にしないで。こういうお世話、好きだから」
両手でグラスを持って、ゆっくり水を飲んだ。カルキのにおいがない、キレイな水だった。頭がすっきりしてくる。
「それでさ」ティクルはすこし言いにくそうにして、「お財布も、なにも持ってなかったみたいだけど……。これから、どうする?」
「これから……」
とりあえず日本に帰りたい。
だが——どうやって?
そもそも帰れるのか?
「もし、ほんとうにどうしようもなかったら。しばらくわたしたちと行動する?」
「こうどう……、いっしょに……」ゴブリンみたいな返事をしてしまう。
「わたしと、ラクト、騎士はエルディスで、金髪ツインテールの娘は、その妹のエリニナね」
「それって、まんま主人公パ——」
「主人公、パ?」
「あ、えと、なんでもないです」
「まだ頭がぼーっとするよね、ごめんね、急に選択を迫ってしまって」
「あ、えと、こちらこそ、すいません……」
レディラⅡの主人公パーティに、わたしが加わる……?
そんなことが許されるのか?
だけど、ほかにどんな選択肢がある?
右も左もわからないどころじゃない。すこしでも信頼できる人たちについていくしかないのでは。
「ところでさ」
「は、い……?」
突然にティクルが急接近してきた。顔と顔が、くっつくんじゃないかってくらいの距離だ。いい香りがする。純粋な瞳に吸いこまれそう。
「見てもいい? 気になるんだ」
「あ、えと、なぅ、なにを?」
「こんなの、よくないって、わかってるんだけど」
心臓が暴れだした。
両耳が一気に熱くなる。
たしかに彼女は好きだけど。
そういう好きじゃない。
レディラⅠで回復といえばティクルだった。
何度もお世話になった。
彼女がパーティにいる安心感は、筆舌に尽くせない。
——てか、あんたラクトといい感じだったじゃないか!
恋の結末にたどりつくほどのストーリーではなかったけれど。
全ユーザーが思ったはずだ。
どうせ、このふたりくっつくんでしょ、って。
「あ、な、た、の……」
その色っぽいくちびるで、なにを言いだすの?
「き、お、く」
「——はい?」
ティクルは顔を離して、ベッド横に立てかけられた杖を手に取った。
「わたし、生き物の記憶を見る魔法が使えるの。魔物とのたたかいだと、これを使って、相手の弱みを知ることができるんだ」
レディラⅠでティクルが使っていた、ブレインサーチのことだ。あの魔法はボス戦で活躍してくれた。
「この魔法を、人間相手に使うことはほとんどないんだけど……。倫理的な観点において、ね」
てへへ、とかわいらしく笑っていても目は真剣そのものだ。ちょっとこわい。
「ごめんね」ティクルは神妙な面持ちで、「実は、なんのうたがいがないわけでもないんだ。ガムドラ王国につづく道端で、なんの装備もなく、見慣れない服装で倒れていた……」
「は、はい」
「もしも新手の魔物だったらって。考えちゃうところも、あるの」
たしかにそうだ。旅人らしい所持品をなにも持たず、手ぶらで道に倒れていた。何時間も荒野をさまよった形跡もない。脱水症状になっていたわけでもないし。空腹にあえいでいたわけでもない。
水分のない大地に、ぽんと現れた、いたって健康な人間。
世界を知りつくしたラクトたちが、見たこともない服装。
魔物とうたがわれてもしかたない。
じゃなきゃ異世界からの旅人か。
「わかりました」わたしは意を決して、目を閉じた。「この脳みそ、好きにほじくってください」
「それじゃ……」ティクルは杖を構えた。「いくよ」
杖のさきから、黄色の光が伸びる。ちぎられた蜘蛛糸のようなその光は、わたしのおでこに当たった。目の奥がむずむずしはじめる。
「四角くて、背の高い建物ばかり……」ティクルが言った。「あなたは——なにか行列に並んでいる」
それはプロステを買うときのやつだ。
「白い袋を手にして……、ホトニエの蒸気機関車みたいなものに乗った。それから家に帰って……。そこにいるのは、家族かな」
勇輝のことだ。ちょっと目頭が熱くなった。彼はもう、草野球を終えて家に帰っているのだろうか。
「けんかかな? あなたはなにか、邪魔されたくないみたい」
「はぅ……」やっぱり恥ずかしいな。
「袋から、箱。箱からは、石板みたいなのを取り出して……」
「やだ……、なんかこそばゆい」
「エルさま? って、あなた叫んでるけど」
「あ」
「——ラクト!? な、なんでわたしたちを知っているの!?」




