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そこでティクルのブレインサーチは中断された。疑心とおどろきにまみれた視線が容赦なく突き刺してくる。杖は構えられたままだ。わたしが魔物だと思われてしまえば、すぐに魔法で消されるだろう。回復役のティクルとはいえ、聖魔法の火力はあなどれない。
「あ、えと、それは——」
冷や汗にあえいでいると、ドアがノックされた。
「入るぞ」男の声。
「うん」ティクルは返す。
部屋に入ってきたのは、金髪の男。わたしの大好きな——
「エル。どうしよう。彼女、わたしたちを知っている」
いやあああああ! と叫びたいが、ここで叫んだら魔物確定だ。口をむすんで、あふれそうな声を胃袋に押しこんだ。
「どういうことだ」
エルさまがこちらに近づいてくる。鎧は着ていない。着心地のよさそうな半袖からは、逞しい上腕二頭筋が。インドのサルエルっぽいパンツで、足元はサンダルだ。こんなに綺麗な逆三角形の上半身は見たことがない。
「ねぇ、ほんとうのことを言って」ティクルはこっちを見すえた。「あなたはきっと、人間だよね。それはまちがいないと思う」
「確信は?」と、エルさま。
「ごめん、生まれたときをすこしだけ見ちゃった」
生まれたとき……。
お母さんのことが頭をよぎった。
母が亡くなってから、もう一〇年が経っている。
「——顔色がわるいが」エルさまが言った。
「あ、大丈夫です。ちょっと、家族を思い出しちゃって」
「——ティクル。やはりこいつは魔物じゃない」
エルさまが急に確信を見せてくる。
「うん。それは、わたしも同意だよ」ティクルは杖を下ろした。
「やつらだったら、もうボロが出ている。よだれのひとつでも垂らして、魔弾の一発くらい撃っているころだ。それに——」
エルさまは、ベッドサイドテーブルにある布切れを手に取った。わたしに近づいて、布で目を拭ってくれた。
イケメンすぎる。
なんだこの人。
魔物はこの人だよ。
興奮が加速する。
心臓がぶっとびそうだ。
殺されちまうよこっちが。
鼻血が出て、どっかの血管が切れちまう。
わたしは気づかぬうちに涙を流していた。
母のことを思い出したせいか。
勇輝を心配したせいか。
日本に帰りたくなったせいか。
興奮したせいか——。
理由はわからないけれど、とにかく泣いていた。エルさまは、布をまず自分の手元で確認してから、ティクルに見せた。
「無色透明だろ?」
「うん。魔物だったら、赤い涙を流すもの。まちがいなく、かならずね」
その後、わたしはふたりにゲームのことをどうにか説明した。伝わるのかどうか、まったく自信がなかった。話していると、脇に変な汗をかきまくった。
「テーブルトークのカードゲームなら、こっちにもあるよね? それみたいなことかな」ティクルが言った。
「おれは自分でコマを動かす小説のようなものだと思った」エルさまが腕組みをする。「すまん、自分でもなにを言っているのかわからん」
「問題は、なぜそのゲームというおもちゃのなかに、わたしたちがいたのか、だよね」
「しかも、物語の流れは前回の魔王討伐譚そのものだ」
「うーん……」ティクルは悩んで、「この世界が、つくりものなのかな? わたしたちがいまいる、この世界が……」
「だとしたらどうする」エルさまは微笑を浮かべる。「腹はへるし、眠くもなる。ケガをすれば痛いし、魔法で癒されれば気分はいい。クエストをこなせばギルドから金をもらえる。人を助ければ感謝される。これは、まちがいなくおれたちの現実だ。いまさら《つくりもの》だと言われたところで、ここを生きるよりしかたがない」
「——ちなみにそのゲーム? をつくった神とか、精霊はいるの?」
「あ、いえ、ゲームはすべて人がつくっています……。三好田という人が、中心になって——」
「なら、そのミヨシダが神なんだな?」エルさまが言った。
「そうだけど、そうじゃない、というか」
レディラファンにとっては神のような人ではある。言い得て妙だ。
「神じゃないなら、建国の父か」
「国王さまってことだね」ティクルは納得した様子。
「始祖神の可能性もあるな。ほら、大陸そのものを創造したといわれる神が文献にあるだろう」
「その線でいうと、古代の大精霊も捨てがたいよね。水、風、炎などの元素を生んだといわれている」
困った、理解を得ようとするほどにファンタジックな方向に解釈が進んでしまう。この世界にはテレビもゲーム機も、パソコンもない。画面に映る世界を旅する娯楽のことを理解してもらうこと自体に無理がある。
「うーん」ティクルは天井を一度見上げてから、「わかんない、でいいんじゃない?」
「ひとまず、おまえが魔物ではないことがわかった。いまはそれで十分だ」
エルさまはそう言って、前髪をかき上げた——ひたいのすこし右側に赤黒のアザが見えた。そんな彼と、ティクルはふつうに話している。盗賊の親玉を倒したラクトは一階の酒場で酔い潰れている、などという会話をふたりは交わしている。アザを気にしている様子はない。
わずかな瞬間しか見えなかったが、アザは数字だった。見まちがっていなければ、エルさまのひたいに、ゆがんだ字体で65512と書かれていた。
「あ、あの……」わたしの声が、ふたりの会話を止めた。
「どうした?」
安堵した様子のエルさまがこっちを見る。金色の前髪で、数字は隠れてしまった。数字のことを言おうと思ったが——もしティクルにも、もといエルさまにも見えていなかったら、と考えてしまった。
ふたりに見えていないものが、見えている——。
それこそおかしい話だ。
「と、トイレって……」
「あ」ティクルは立ち上がって、「部屋を出てすぐのところだよ。案内するね」
廊下に出ると、下の階の酒場が手すり越しに見えた。ラクトがビールのグラスを片手に、客たちと盛り上がっている。鉱夫っぽい人や、衛兵らしき人、いろんなすがたがあったが、みな一丸となってなにかを歌っている。居酒屋【異世界】——そんな言葉がよぎった。
「ラクト、できあがっちゃってる」ティクルが言った。「こっちだよ」
トイレは見たこともないかたちと素材のものだったが、人間が座れる形状ではあった。個室の壁には、どうしたらここにつかまることになるんだよ、とつっこみたくなる手すりやハンドルがいくつかあった。
手洗いの洗面スペースには、幅広の鏡があった。わたしはいったん、顔を水で洗った。これまた見たことない形状の蛇口だったけれど、どうにか使えた。水道の文化はこちらにもあるみたい。
びしょびしょになった顔を鏡で見ると、冷えた頭がはっきりとうったえてくる言葉があった。
「わたしはいま、異世界にいる……」
しかし困った。この濡れた顔を拭くものがない。
「あ、あの——」ドアに声を投げた。
「大丈夫?」ティクルが返してくれる。
「顔を拭きたくて——」
がちゃ、と木製のドアが開いて、ティクルが顔をのぞかせる。
「あ、顔を洗ったんだ。ちょっと待って」
彼女は片手のひらを天井に向けた。そこになにか、風の玉らしきものが溜まっていく。
「ちょっと、びっくりするかも。目、つむってね」
目をつむると、顔面に風がぶつかった。髪の毛がぜんぶうしろに流れた感覚がある。わたしの髪はいまオールバックになっているはず。
「これでどう?」
わたしは顔を触って、「あ、乾きました。ありがとう」
「日常で使える程度には、こういう魔法も使えるんだ。といっても、ぜんぜん得意じゃないけど」
えへへ、と笑う彼女はやはりかわいい。レディラでいちばん人気の女性キャラクターだけある。画面や本でしか見たことないヒロインをいま、わたしは肉眼で見ている。髪からただよう花のような香りまで感じている。
ぼけっとしていると、わたしのお腹がぐぅ〜、と鳴いた。
「あ、そりゃそうだよね」ティクルはくすりと微笑んで、「酒場のマスターに、ご飯つくってもらうよ」
「い、いいのですか?」
「うん、大丈夫。それと……」
ティクルは片手を差し出した。握手の格好だ。
「こちらの世界へようこそ——で、いいよね」
「はぅ、はい——」
わたしは手を取った。とても細くてやわらかい手の内に、杖を握ることでできたのであろうタコがあった。やはり彼女は現実だ。たしかに、ここにいる。
「あ、そうだ」ティクルは思い出したように、「あなたの名前、聞いてなかった」
「わ、わたしは……」
ティクル・ルッケンプルツ、
ラクト・シビルハーツ、
エルディス・ヴァンクロウズ、とくれば……。
「スズメ・キタギリです」
翌朝、宿の前に集合したわたしはマシンガンを食らっていた。
「なんなのよ! せっかくわたしがパーティインしたばっかりなのに! このよくわからない国の、よくわからない顔の女が入ってくるわけ!?」
腰に手を当てて、いかにも怒ってますという雰囲気のエリニナが、正面からガンを飛ばしてくる。
「なーーーーーーーーーっっっっんの役にも立たないただの凡人を旅に同行させるってどういうこと!? ばかなの?」




