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「はぁ……」
ため息だよ。
それしかねぇよ。
前作よりも繊細に描かれたエルさまのバストアップ一枚絵でごはん何杯食べられるか。
ちなみに主人公のラクトも、かなりのイケメンだ。パーマっぽいうねったグリーンのミディアムヘア。盗賊風の衣装のフードがかぶられることはほとんどない。パーカーにジャケットみたいな、ちょっと現代味のある風貌。脛が見える七部丈のパンツに、ブーツは大きめ。幼少期に両親を亡くし、物乞いの経験がある彼にも、女性ファンは多い。紗奈は断然こっち、と言っていた。
わたしはイヤホンを外し、おもむろに立ち上がった。向かうさきはデスク。そこにあるインスタントカメラを持って、テレビに近づく。いい感じにエルさまが写るよう手の位置を調節して、ぱしゃりと一枚。
「まじおもしれぇ」うしろの勇輝だ。
「こら、観察するな」
「キタギリスズメを動物園に寄贈したい」
「ずっとゲームだけしてていいなら、動物園暮らしもわるくないかもね」
——とは言ってみたが、こんなオタク味あふれるすがたを大衆に観察されつづけるのはさいあくだ。
たったひとりの部屋で、自分とゲームが一対一になるから楽しいのであって。だれかさんの野次が介入すると興が削がれる。そろそろ強めの拒否反応を示そうか……、と思った手前、玄関のチャイムが鳴った。
「お、きった、拓士だ」
勇輝は野球のバッグを手に、外出しようとする。
「よし……」
これは助かった。寒いなか、草野球に誘ってくれた弟の友人に感謝したい。
「暗くなるまでには帰ってくるんだよー?」
「ねえちゃんもね」
「わたしはずっと家にいるもん。きょうのために夕飯の食材も買っておいたし」
「うーい。せいぜい異世界を楽しんでねぇ。大好きなエルさまによろしくー」
「はいはい」
玄関から靴のつまさきを蹴る音がして、次に重いドアが開く音。男の友達同士がじゃれる声がして、ドアが閉まった。空気がしん、としずかになる。
ようやくだ。
ひとりの時間。
家族とはいえ、大切な存在とはいえ、せまい生活空間をともにするのは、なんだかんだストレスみたい。
「レディラⅢが出るころには、ひとり暮らししてたいな……」
ぼそりと言って、ふたたび画面に向かった。
街道を歩いてすぐ、戦闘になった。見慣れた配置の、それでいてドット絵が進化した戦闘画面が映る。やることは基本、前作とおなじだ。しかしグラフィックが繊細になっただけで、こうも新鮮か。
「はえ〜」
わたしはしばらく画面に見惚れた。案の定、ぼさっとしていると敵の盗賊一味が攻撃をしかけてきた。さっそくエリニナ嬢に一撃が入る。
「いったぁ! なんなのよ! 手加減しなさいよ!」
画面上に彼女のセリフが表示された。初の実戦かつ、初のダメージだからしゃべってくれたのだろう。——と思ったら、エリニナ嬢に状態異常がかかった。
「バーサクて」
たたかう以外使えなくなるやつだ。
「エリニナ、深呼吸だよ」ティクルが言った。「たとえ骨折したって、わたしたちの回復魔法なら、一秒で治せるんだから」
「わ、わかってるわよ、落ちついてみせるわ……」
短い会話のあと、エリニナのバーサクは回復した。前作はただ単に戦闘終了までたたかうだけだったが、今作では戦闘中に会話イベントが入る、と三好田氏が雑誌で言っていた。
ターンはエルさまにまわってきた。最初はかばう、くらいのスキルしか覚えていなかった。そりゃ、前作のセーブデータをステータスに反映させるわけにはいかない。隠しボスを数撃で屠るパーティのことは忘れるべきだ。
「ん?」わたしは異変に気づいた。「なんで、エルさまも状態異常?」
名前と体力、MPが書かれている欄に、よからぬ言葉がある。
「死の……、センコク?」
まさか、盗賊一味のどれかがエルさまに呪いをかけたのだろうか。いや、その線は考えられない。半裸でナイフを振りかざす一般野蛮人に、高位の闇魔法が放てるものか。呪術師らしい敵が混じっているわけでもない。
「なんで?」
呆気にとられながら、わたしはコマンドを選んだ。エルさまが一歩前に出て、剣を振る。敵がひとり消えた。すると——
「死まで65535」と画面上に表示された。
「なにこれ……」
これも製作陣が仕掛けたイベントだろうか。
そうでなければ、なにかのバグか?
ふと——呪いの一枚が脳裏をよぎる。
「まさか……。くじ運ゼロのわたしが?」
そのあとも何度か戦闘を重ねたが、エルさまには死のセンコクがかかったままだった。宿屋に泊まったり、教会に行ったりもしたが、呪いを解除してくれそうな項目はない。
センコクの数字はたまに、ちょびっとずつ減っていく。どのタイミングで減るのか、あまり規則性はないように思えた。このペースだと、カウントがゼロになるのは、かなり後半のことだろう。
「うーん……」
気味がわるい。
いったんコントローラーを置いて、説明書を手に取った。お客さま相談センターと書かれた電話番号にかけてみることにした。居間に行って、食器棚の上に置かれた固定電話を使う。
数回のコールのあと、この会話は品質向上のために録音しているといった旨が自動再生された。
「こちらキューブ相談窓口です。ご用件をおうかがいします」
女性の規律正しい声が受話器から聞こえた。
「あ、あの、すいません……」
「はい」
「ゲームの序盤なんですけど。エルさ——キャラクターに死のセンコクがいきなりかかっていて」
「はい……」
「これって、ふつうのことですか?」
「申し訳ありません、お客さま。基本、ゲームの内容に関しては、お答えできないことになっておりまして。ただ、もしかしたらディスクなどに不良があることも考えられますので、一度、確認をさせていただきます」
「わかりました」
「このまま、お待ちください」
「はい……」
蛍の光のメロディが、受話器から流れている。コールセンターの保留音ほど感情を感じられない音楽はない。
「——お待たせしました」
「はい」
「もし、お客さまがよろしければ、ディスクの交換をさせていただきたく存じますが、いかがでしょうか?」
「交換……」
対処してくれるのは素直にうれしかった。とはいえ、返品しているあいだはレディラⅡをプレイできない、ということだ。
「それって、こちらがディスクを送って、届いてから、発送していただける……?」
「はい、あくまで交換ですので、まずは返品していただく必要がございます」
「わ……、かりました」
このまま気分がわるい状態でプレイをつづけるのも、どうかと思った。交換することを答えると、着払いでいいので、緩衝材入りの封筒で送ってほしいと伝えられた。
受話器を置くと、妙なため息が出た。
安堵なのか、落胆なのか。
ともあれ、いま遊んでいるディスクとはさよならだ。
ふすまが空きっぱなしの自室から、ゲームの音楽が繰り返し鳴っている。何ヶ月も心待ちにして、死ぬほど楽しみにしていた時間こそ、がっかりがつきまとってきたりするもの。
「うまくいかないからこそ、人生は、楽しいんだなぁ」
とある詩人のまねで、落ちた気分をごまかした。重くなった足を引きずるように、自室へともどろうとする。
ふと、おなじゲームを買っている一也のほうは大丈夫だろうか、と思った。振り返り、電話横のブックエンドに並べてある電話帳を手に取った。小学生時代からある電話帳は、ページが黄ばんでくたくた。
「一也んち……。これだ」
市内局番から番号を押して、電話をかける。
数コールもすると、女性が電話にでた。一也の母だろう。
「はい、甲本です」
「あ、あの、突然すいません。一也くんと小学校が一緒だった北霧涼愛と申します」
「あー! スズちゃん! やっと付き合ってくれたの?」
「はぅえ?」
「ほら、一也、スズちゃんと結婚するって子供のときよく言ってたから。運命の相手なのかなぁ、ってお母さんずっと妄想してたのよ」
「あ——いや、そんな、ただの友達です。きょうおなじゲームを買ってて、それで聞きたいことがあって」
「……」
なんだ、闇の底に音が落ちたような無言が返ってきた。
「そうなの。そっか、ごめんね、期待しちゃって。一也ね。ちょっと待っててね」
「あ、はい、すいません」
雑に受話器を置く音のあとに保留音が流れた。こっちのは、エリーゼのために。よく聞くやつだ。
お母さんにとって、一也の彼女とはどういう存在なのだろう。いままで彼に女性の気があったことはない。第三者から聞いたこともない。
わたしと結婚する——という小学生時代のそれは、劇の発表会でわたしと一也が夫婦役になっただけのこと。
ただやはり、彼の親としては、息子の恋愛事情を心配するのもしかたないのか。齢一七にしてキスの経験すらないはずの一也は、長男でひとりっ子だし——などと余計なことを考えていると、エリーゼのためにがとても感傷的に聞こえてきた。子孫繁栄を心配する宮廷王女が、勝手に浮かんでくる。
「わたしも生まれてこのかた、キスしてねぇじゃん」
自分にツッコミを入れたところで、保留音は止まった。




