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「う、る、さい」
「いいの、きょうは」
「いつもじゃん」
「これを見ろ——」わたしは袋からパッケージを取り出して弟に見せつけた。「エルディス・ヴァンクロウズⅡだ!」
「……名前変わってんじゃん」
「あ——。レディラ・クエスティアⅡです」
「ゲームのキャラに惚れて、あほらしっ」
「う、る、さい」
「実際に会えるわけでもないのに。時間の無駄むだ」
「もう!」さすがにきょうは許せない。「大事な時間なんだから邪魔しないでよ!」
「おう……、こわ」
ふすまはおそるおそる閉じられた。
居間からは野球の歓声が聞こえてくる。
やってしまった、と思ったけど。
弟とはいえ、最近ずっと茶化しすぎだよ……。
「——ごめん」ふすま越しに謝った。
「おれもごめーん」
ふぅ、と息をついて、ひとまず落ちつく。
険悪な空気を吸ったままゲームを起動するのはいやだった。すぐに謝ってよかった。勇輝も、すこしはわるいと思ってくれたみたいだし……。
それでもふすま越しに弟の機嫌をうかがう。耳をすませて、物音のひとつひとつをとらえていく。ポテチのふくろに手を突っこむ音。その間隔。コップをテーブルに置く音の強さ。テレビの音量——。
うん、大丈夫。彼の精神は安定している。
安堵の心地を噛みながら、机にある小物入れの引き出しからイヤホンを取った。延長コードをテレビのジャックに挿す。これでゲームの音はすべてわたしの耳にしか届かない。
プロステの背面から、赤白黄のケーブルをテレビに繋ぐ。確保しておいた電源タップの口に、2ピンジャックを挿しこむ。ごりごりとしたかための挿し心地は、新品ならでは。
プロステの本体には三つのボタンがあった。PowerとReset、そしてOpen。ボタンを押すと、上面のカバーがゆっくりと持ち上がった。ディスクを読みこむのであろうレンズがあらわになる。
「これが次世代……」
CDパッケージのビニールを丁寧にはがす。
ケースを開ける。
厚めの説明書と、絵柄がプリントされたディスク。
音楽のCDをあつかうよりも、ずっと緊張してしまう。
黒い記録面に傷なんかついたら、また絶叫しなくてはならない。
「そっと、そっとだよ……」
本体にディスクを入れて、カバーを閉じる。
もうすぐだ。
待ちにまったレディラの世界へ——。
「電源ボタン……」
イヤホンを耳に入れてから、本体表面の左側にあるボタンを押す。重厚なサウンドを追うように、イントロが走りだす。
白背景に、メーカーのロゴ。
黒背景に、プロステのロゴ。
いったんの静寂のあとに、ハープの音色が——!
ああ、だめだ、もう泣きそう。
画面には空が映った。オープニング部分のCG映像が間に合ったと、プロデューサーの三好田氏が雑誌で語っていた。
白い鳥が飛んでいく。
次に映ったのは、グリフィンと、それに乗る主人公たち。
彼らは高度を急降下させて、海面ぎりぎりを飛行する。
何隻のも大型船を追い抜いて、ふたたび空へ。
山々を飛び越えて、平原にそびえたつ城へと滑空する。
シーンは切り替わって、戦闘が近いカメラで描かれる。
主人公のラクトが両刃剣でモンスターと戦う。
しかし、その背後に迫る大ぶりのハンマー!
強固な盾がその一撃を弾き——、
騎士の剣が三メートルのゴブリンを斬り裂く!
「やああああ」
涙がとまらない。鼻水も垂れてきたので、手の甲まで隠れるセーターの袖先を人中に当てた。空いた片手は畳を何度も叩いてしまう。
「やだ、どうしようしあわせ」
エルさまのすがたが見えたときだけ、叫んでいた。エルさまのシーン以外、なにも覚えていない。いままで挿絵とドット絵でしか見たことがなかったエルさまを、まさかCGで堪能できるなんて。
——ひとしきり泣き喚いた。ゲームはタイトル画面になったけれど、わたしはまずティッシュを探さねばならなかった。
気づくと背後のふすまがすこし開いている。すきまから顔をのぞかせながら、勇輝がティッシュの箱を畳に滑らせてくれた。
「あでぃがど」
ひどい鼻声を返した。勇輝の顔はけらけらと笑っている。豪快に鼻をかんでから、画面に意識をもどす。レディラ・クエスティアⅡのロゴを上目に、ニューゲームを選択する。
一瞬だけ、画面にノイズが走った。電波がわるいときのテレビ放送みたいだったが、大丈夫だろうか。
「買ったばっかりで壊れるとか、ほんとにやめて……」
不安が、みぞおちを駆けぬける。——なにごともなかったようにゲームはスタートした。
森のフィールドを、少女がひとり歩いている。わたしは説明書を手にとって、該当する女性を探した。
「ミティだ……」
緑のコートに、えり付きのシャツ。胸には蝶結びの紐。膝が見えている短いズボンは、すこしバルーンみたいにふくらんでいる。茶色のショルダーバッグには、丸底フラスコ型のビンがぶらさがっている。
彼女は動物の骨骸のようなものに近づいて、ゴーグルを外した。
「新しい死骸」ぽろろろ、とテキストが音と一緒に流れる。「死後三〇分ってところ」
がさ、がさ——右の茂みが音を鳴らす。ぴき! と音がして、少女の頭にびっくりマークが表示された。
「犯人の登場」
セリフに応えるように、茂みからオオカミが飛び出してきた。ミティの躰にぶつかると、画面は黒のフラッシュを走らせて戦闘画面になった。
画面左に、オオカミのでかいドット絵。目が赤く光っている。鎌のような形状をした爪が、はっきりと描かれている。
「あの爪じゃ、ぜったい歩きづらいよ。だからストレス溜まっておそってきたんだよ」
うしろから勇輝の声がする。
なんだかんだ、最新のゲームが気になってるらしい。
もっと遮音性の高いイヤホンがほしいな、と思った。
聞こえないふりで通す。
効果音とともに、ターンがまわってきた。画面下にはミティという名前と、体力、そしてMPが表示された。今作で新たにパーティに加わる錬金術師の少女だ。画面右側にいる彼女は、手に槍を持っている。
「たたかう、火炎爆弾、氷結ビン、呼雷針……」
ミティが使えるスキルを読んだ。——ぼさっとしていると、オオカミのドット絵が点滅して、画面上に「かみつく」と表示された。コマンドを選んでいるあいだも戦闘は進んでいる。さいわいミティは攻撃を躱してくれた。
とりあえず効きそうだな、という理由で火炎爆弾を選んだ。炎のエフェクトがオオカミを焼く。けっこうなダメージ量だった。オオカミは一撃で崩れていく。
ファンファーレが鳴り、ミティのドット絵がばんざいを繰り返す。経験値も、入手アイテムもなにもなかった。イベント戦というやつだ。
シーンは森にもどった。たったいま倒したオオカミの骸は黒く焦げて、原型はほとんどない。
ミティはゴーグルをかけて、オオカミの骸を観察した。
「魔物……」
すると画面下から、ひとりの老人が歩いてきた。全身を丈長のポンチョで包んでいる。ショルダーバッグは黒だ。
「ふむ、ふむ」老人は言った。「これは、どういうわけか」
「ふむじい」ミティは振り返った。「どう思う」
「ふむ……」
老人はオオカミの骸に近づいた。
ゴーグルをかけて、しばらく観察する。
「こりゃ、よくないね」
「おおごと?」
「——に、なるかもね」
ゴーグルをはずしながら老人は答えた。
ゆっくりとした足どりで、来た道をもどっていく。
「魔物に効くもんを、錬金せんとな」
そう言って、老人はフェードアウトする。ミティは近くにある赤い木の実が生る低木まで歩き、その実を採った。カバンにしまう仕草をしてから、老人が消えたほうへ進む。
途中で振り返り、数メートルさきにある魔物の骸をいま一度見つめる。
「魔王に効くもんを、錬金せんとか」
そう言って、ミティもフェードアウト。ふたつの骸が転がる森は、ざわざわと風に揺れる。塵となった魔物の黒い骸は風にさらわれたが、動物の骨骸はそこに残っていた。
画面全体が上にずれていく。
木々の先端を越えて空が映った。
青空に、いくつか浮かぶ白雲。
晴れわたる空には、まるでふさわしくない真っ黒な穴が——ほんの一瞬だけ見えた。




