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一秒と間をおかずに無色透明の返事が返ってきた。わたしは目を泳がせる。
「おはよう」
何時に来られても、おはよう、と言う常連のおばあちゃんが来店された。
「きょうは、こしあんにしよかな」
「ありがとうございます」
「あら、あなた、この寒い日に頬を赤くして、風邪でもひいてるの?」
「いえ、ちがいますよ」
「恋わずらいです」紗奈が横から言った。
「ちょっと!」
「あらぁ……」おばあちゃんは頬に手を当てて、「青春、いいねぇ」
「いえ、そんなそんな」
あとで覚えてなさいよ……! 圧がある視線を紗奈に送った。そのあとも妙な恥ずかしさに苛まれたせいか、きょうのバイトはいつもより長く感じた。
店じまいを済ませて、まだどこかにやついている紗奈と別れる時間になった。
「またね、おつかれ」
「おつかれ涼愛さま」
「やめろー」
「ま、良二はいいと思うよ? 彼氏にするならミッドフィルダー、旦那にするならディフェンス、ってうちサッカー大好きおやじが言ってたから」
「良二って、ポジションどこだっけ」
「小学生時代はフォワード、中学はミッドフィルダー、高校になってからディフェンス。だから、大学に入ったらキーパーになるんじゃない? っておにいが言ってた」
紗奈の兄はずっとサッカー部で、良二をよく知っている先輩だ。
「相手のゴール前からだんだん下がっていってるってこと?」
「そういうこと」
「良二っておもしろ」
「恋愛のほうも、だんだんと守備的になっていっているのかもねー、ほら、幼なじみと結婚してぇ、浮気もしないで一生を終えるとかぁ、かっこいいじゃん?」
ほれ、ほれ、と紗奈は肘で突いてきた。
「やめてー」
「若いっていいですなぁ」
「紗奈も同い年でしょ。てか、そっちはどうなのよ」
「わたしはぜったい年下。おにいがいるからってのもあるし、同級生はなんか、ぎりぎりアウトって感じ」
「じゃ、うちの弟とか、どう?」
「うわ、それはぜったい無理」
「えー、そこまで拒否る?」
「いや、ごめん、勇輝に魅力がないとかじゃなくて。あんたをお義姉さんと呼ぶ未来がまったく想像できないし、したくないのよ、わかるでしょ!?」
かなり迫真の顔で言うから本気でいやなのだろう。
「ぜったい友達でいたいもん、身内になるとか考えられん」
「それもそうだね」
「まぁ、とりあえず良二とは、末長くやっておくれよ」
「まだなにもはじまってないってば」
慣れた会話で笑いあったあと、それぞれの帰路につく——。わたしはいつもの道をすこし外れて、駅裏にある本屋さんへ寄った。
ほかの本には目もくれず、週刊誌のコーナーに直行する。プロステ発売間近! 大特集号! と表紙に書かれたファミ速の最新号を手に取った。この棚にはエッチなおねえさんが表紙をかざっている本もあるので、それが、ちょっとやだ。
ゲームなんてどうせ男子や不良が遊ぶものだろ、という空気が、街の端々に残っていたりする。女性がゲームをすることに対する偏見が、すぐにでもなくなってほしい、とねがうばかり。
しかしいまは平成。いろんなことが大きく変わっていってる。いずれ男女の差なんてものは、過去のものになる。もうひとつ年号が変わるころには、むしろ男の肩身が狭くなるかもしれない——と、テレビで頭のいい人が言っていた。
ともあれ、きょうのクエストは完了した。あとは家に帰るだけ。本屋さんから出て、外の寒気に身を当てたとき——手提げカバンから電子音が聞こえた。
「たぶん勇輝……」
ピンクのポケベルをかばんから出して、細長い画面を確認する——マズイタスケテ、と書いてあった。
お父さんが家に帰ってきて、ごはんをつくったけど、さいあくだ、ねえちゃんがつくってくれよ! ——という悲痛の叫びが、短いカタカナに凝縮されていた。
「炊事飯、帰宅しまーす」ひとりでぼそっと言った。
十五分だけ乗る電車では、雑誌を開くほどでもない。茶色の紙袋を胸の前に抱えながら電車を降りて、駅の駐輪場まで行く。
自転車のカゴに荷物を置いて、さて帰ろうかというタイミングで——耳がいたくなるほど冷たい風が吹きつけてきた。マフラーをぎゅっと握って、口元まで上げる。白い息をさえぎるように、毛糸の生地で顔の半分を隠した。
ふと——普段は気にもしない、忘れてさえいた父子家庭のつらさが、ほんのすこしだけ胸をしめつけてきた。
・…………………………・
【同刻】
キューブの会議室では、緊急の会議が行われていた。
「どうするんです? 社長」
第一開発部の荒井が言った。無難な短髪に、整った背筋。スーツの着方が、社長よりもキレイ。彼は不測の事態というものが大きらいだ。
「あと一週間ですよ。このタイミングで、この脅迫状。しかも、なぜか、週刊誌にもれている。よくて延期、さいあく発止めですよ」
やたらと距離のある会議用テーブルを囲む、二〇席の椅子。だがきょう埋まっているのは三席だ。かぎられた者だけに召集がかかった。
「プロステの発売には影響あるんですか?」
第二開発の東堂が言った。いつもは四角いメガネだが、きょうは気分で丸メガネにしている。スーツを着る趣味はない彼は、きょうもチェックシャツとジーンズだ。
「そっちは大丈夫だ。あくまで、うちに関わる問題と捉えてくれていい」
手元にある脅迫状のコピーを見ながら、社長はしずかに言った。
「あのテレビ特集も、立派な営業妨害ですよ」荒井は指でテーブルをとんとん叩いた。「このままでは、ワイバーンクエストのカロックスに市場をうばわれます」
「競争はしない」社長は言った。「今後、合併の可能性がある他社とは共存をはかる。前にも言っただろ」
「きのうの敵は、きょうの友」
東堂がなだめるように言うも、荒井はそれすら気に入らない様子。
——ドアからノックの音がした。
「入れ」荒井が声を投げる。
「遅れました」
若い男が部屋に入ってきた。レディラ・クエスティアの開発をになう、第三開発の責任者だ。髪の毛は茶色で、指にはアクセサリーをじゃらじゃらと何個もつけている。入社の面接に着たこともある紫のダブルスーツが、きょうも輝く。
「三好田ぁあああああああ! 何時だと思ってる! 五分だ、五分過ぎている!」
銀色の腕時計を指で叩きながら、荒井は怒鳴った。
「すいません餓狼がちょっと長引いて……」
「はぁ!?」
「すいません」三好田は小走りで席に向かう。
「まぁ、まぁ、いいじゃない」東堂がなだめる。「ぶっ壊れかけた企画を短時間で練りなおしてさ、レディラをつくってくれたんだから」
「それとこれとは別だ! だいたい、あんたは甘いんだよ! ホリソンから三好田を引き抜いて、そいつが結果を出したからっていい気になって、あんたの手柄じゃないんだぞ! だいたいなんだ、そのスーツ! 歌舞伎町のホストか!」
「やめろ」
ついに社長が声を張った。
「論点をまちがえるな」
「……失礼しました」荒井は気を収めた。
「なんか、ぼくもすいません」三好田は頭を下げた。
「三好田はいい。今後も頼む」
「やっぱ数字出してるからね」
東堂が言うと、荒井は舌打ちをした。
「開発のほうはどうだ?」社長は、三好田に目線を流した。
「とりあえず大丈夫です。レディラⅢは予定どおり、3Dを使ったポリゴンで開発を進めています。問題は……、やっぱりⅡの脅迫が現実にならないか。それだけですね」
ぺら、と手元の紙を整えて、社長は息をついた。切り抜きの紙を貼り並べてつくられた、一文字ずつ字体がばらばらの脅迫文。本物は警察が持っているから、ここにあるのはコピーだ。それを頭から読んでいく。
のろいのいちまいは
びにるにつつまれ
みせにならぶ
こんどきえるものは
いせかいから
けっしてかえらない
あのいちじかんは
ためしにすぎない
「それって……」三好田が口を開いた。「テスターのひとりが消えた一時間は、犯人にとっての練習みたいなもの、ってことですよね。で、今度消える人は、ぜったいに帰ってこない……」
「どうするんですか」荒井が言った。「レディラⅡをプレイ中のユーザーが行方不明になったとする。うちの商品は呪われている、ってことがいま以上に、決定的なかたちで世間に広まります。二度あったことは三度ある——そう思うのが人間ですよ」
まだ都市伝説程度にとどまっていることは、レディラⅡの予約状況からして想像がつく。ほんとうにやばいと世間に思われているなら、前作の三倍近い予約数をどうして確保できようか。
「あの一時間がほんとうなら、だよね」他人事みたいに東堂は言った。
「まだ信じてない、みたいなんですけどぉ」
三好田は冷静な口調を返す。
「ぼくら、その場にいたんでぇ……。いや、ほんとに探したんですよ。そりゃ焦りましたよ、ROM持ってかれたかもって。でもゲームはまだタイトル画面でしたし」
「ニューゲームを選んですらなかったの?」東堂が言った。
「はい。コントローラーには、ちょっと触ったはずなんですけどね」
消えたテスターは、ゆいいつゲームをプレイできなかった者でもある。
「そもそも、あのセキュリティまみれの部屋からどうやって出られるんだ、って話になるんですけどぉ。消えた一時間後には着席していて、でも彼すごくおびえていて……」
それからは警察沙汰になり、果てはテレビ特集だ。
「仮に、Ⅱの発売後に行方不明者が出たとしてさ。そこが自宅の一室であり、テレビにはレディラが映っていたら……。矛先はまちがいなく、うちだよね。世間の流れだと、そうなるね」
知らんけど、とでも加えたいような東堂の口調だ。
「社長、どうするんです?」荒井が言った。
「発売する。予定どおりに」
そのひとことが効いたのか、会議室内はそれぞれの呼吸が聞こえるだけになった。壁をはさんだ別室から、電話の呼び鈴がかすかに聞こえる。
「いいん……、ですか?」
三好田は顔をのぞきこんだ。開発責任者としては、やはり発売をしたいとねがっている。開発チームの苦労をもっとも理解しているのは彼だ。しかしリスクも承知している。
「テスター失踪事件がおおやけになってからの、脅迫状だ」社長は答えた。「愉快犯の可能性が高い。テスターが消えたときに使っていたディスクは、粉砕して破棄した。警察に押収されるかと思ったが、むしろ相手にすらされなかった」
たかがゲームで——と言われているみたいに。
「あれとおなじことが、どういう条件で発生する? その理屈を、この世のだれが知っている? いつどこであるかもわからない怪奇現象に、つきあってはいられない」
これが社長の結論だった。
「祈るように発売か……」東堂が言った。
「もし、ほんとうにプレイヤーが消えてしまったら、どうします?」三好田が言った。「怪奇現象の域は出ないでしょうから、刑法問題にはならないと思うんですけど」
風評被害は避けられない。あそこのゲームを買うと失踪するかもしれない、と認知されれば終わりだ。メーカーとしては死刑に等しい。
「そのときは、わたしが首をくくろう。キューブはなくなるか、吸収されるか。おまえたちは優秀だから、引く手は数多だろう」
だとしても、この会社でまだつくりたい作品はある——三好田は奥歯を噛んだ。出世欲のある荒井はなにかを決めた顔だ。
「おれはいま辞めます」
「おい」社長が言った。「早まるな」
「リスク管理ですよ」
荒井は席を立って、腕時計の位置を直した。
シルバーが蛍光灯に反射して、やたらとちらつく。
「実は別の会社から誘いを受けているんです。キューブに傷がついてから転職するより、いま動いたほうが役職の下がりも抑えられる。呪いのゲームメーカーから来た入社一年目よりは、そのほうがいい」
次の失踪が起こる前にキューブを辞めれば——こいつには先見の妙がある、と転職先で評価される可能性もある。さすがにそこまでは言わなかったが、腹づもりとしては十分だった。
肩で風を切るように、荒井はドアへ向かう。
その背中を呼び止める声は、ない。
「あすにでも、正式な辞表を出します。世話になりました」
こちらに振り返り、
深々と頭を下げて、
軍人みたいな踵の返しかたをして——荒井は退室した。
いったん飛びこんできた外の騒音は、ドアが閉じられるとすぐに遠くなった。
「ぼくはここにいますよ。レディラⅢの開発もはじまったばかりですし」
心は決まっている——そんな空気をにじませて、三好田は背もたれに体重をあずけた。
「いずれRPGはインターネットと強く結びつく、って社長がおっしゃったじゃないですか。その言葉についていきますよ」
「おれも残ります」東堂が言った。「カロックスと合併したら、面白いことになりそうですし。むこうにいる、堀田さんと仕事してみたいって思ってたんすよ」
ふたりの言葉を聞いて、社長は手に持っていた脅迫状のコピーを折りたたんだ。
「てか、荒井ってあんなだったっけ?」東堂は顔からメガネを外して、胸ポケットにあったクロスでレンズを拭きながら、「なんか性格変わったよね」
「以前はもっとぉ、なんか」三好田は腕を組んだ。「みんなですごいゲームつくるぞ、おれについてこい、って感じでぇ、頼もしい兄貴みたいな感じでしたけど。なんていうか、いまの荒井さん、悪に染まった魔道士みたいな雰囲気あって……。なんかあったんですかね」
「去る者のことはいい」社長は席を立った。「目の前の仕事を片付けるのみだ」
「ですね」東堂も立った。
「はい……」
このとき三好田は思っていた。《呪いの一枚》が存在するのなら、それを聖なる力でかき消してくれるような《希望の一枚》でもあればいいのに、と。
・…………………………・
いつもお世話になっているゲームショップには、二〇〇人ほどの行列ができていた。レディラ・クエスティアⅡの発売日であることはもとより——最新ハードの発売日であることが、肌に伝わってくる。
「当日購入分の整理券を配布しますー」
赤いエプロンをつけた店員が、メガホンを片手に大声を放つ。そのそばに並んでいるお客が耳をふさいだ。
「ご予約のお客さまは、右の列にお並びください。ハード、ソフトを当日購入されるお客さまは、左の列におねがいしますー。整理券がなくなったら、それ以降に並んでいるお客さまはご購入いただけません。後日入荷分のご予約のみの受付となりますー。ご了承くださーい」
わたしは胸をはって右の列に並んだ。得意気な顔だったと思う。でも、きょうはいいのだ。待ちに待った発売日。バイトもきょうのためにがんばった。
「へへへ……」
ああ、だめだ。変な笑みが。
「お、涼愛じゃん」聴き慣れた男の声が。
「へへ——へ?」




