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「でね……。監視カメラの映像では、たしかにテスターは消えていたが事件性はない。本人は生きているし、外傷もないし。お財布も無事だって、新聞にはそうあった」
「でも、消えていたんだよね? 警察はほっとくの?」
「ようは、あれだよ。これ以上調べたって意味がない、ってことじゃない? 被害っていっても、テスターのひとりが精神を病んじゃったってだけだし。ゲームのしすぎでおかしくなったんだろ、っていう大人はたくさんいるし」
「うーん、まぁ、そっかぁ」
世の中にはもっと凶悪な事件が山ほどある。ゲームメーカー社内で起きた一瞬の行方不明にかまっていられるほど、警察はひまじゃない、ということか。
「ところがね」
「うん?」
「最近キューブに脅迫状が来たんだって、週刊誌が」
「え?」
一週間後にレディラ・クエスティアⅡの発売を控えているキューブだ。もし脅迫状が本当だったら、発売に影響はないだろうか。まさか延期してしまったり……。いや、そんな未来は考えたくない。
「脅迫状にはなんて書いてあったの?」
「出荷されるレディラのCDのうち、一枚が呪われている。それをプレイした人は異世界から帰ってこられない——週刊誌の内容だとそんな感じ。でも、もしゲームの世界に行けたら、それはそれで楽しそうじゃない? テーマパークみたいで」
楽しそう……。
果たして、ほんとうにそうだろうか。
日本の生活に慣れたわたしのような人が、急にファンタジーの世界に落とされて、生きていけるだろうか。剣を握ったこともないのに。
「——てか、呪いの一枚って、やっぱレディラⅡで確定なの?」
「キューブが発売するゲームって、直近だとそれだけじゃない? 脅迫状の犯人は、すでに呪いの一枚を混入させたような口ぶりらしいし」
それと言わずとも、
それしかない。
「もしかしたらこの世から消えちゃうかも、と考えながら、待ちこがれた新作を起動するのはいい気分じゃないな」
「大丈夫だよ、スズがくじ当たったの見たことないし。保育園から、きょうまで」
「そう……、だよね。当たるわけないか」
「ないない。てか、呪いの一枚だって愉快犯が言っているだけだよ。ないない」
呪いの一枚が存在していたとしても、それにぶつかるのは何万分の一の確率。あまり気にしなくていいか。
「いらっしゃいませ」近づく人影を見て、紗奈が言った。
「よっ」
近づいてきたのはクラスの男子。普段は学生服かジャージのすがたしか見ないから、私服は新鮮だった。黒のロングコートに、紺色のジーンズ。水色のセーターの首元には、赤いチェックシャツの襟が見えている。
「良二じゃん。どうしたの?」
「さっき、そっちの電気屋でプロステ予約してきた」
立てた親指で後方を指して、良二は言った。片手はコートのポケットだ。
「もう一週間しかないけど、予約できたの?」わたしは訊いた。
「すったもんだがありましたが、なんとか」
「ソフトはなににしたの?」
「おれはガッツレーサー」
「あぁ、3Dのレースゲームだ」
「涼愛、知ってんの?」
「ファミ速で書いてあったから」
「すげーよな、最新のポリゴン表現システムでコースも車もリアルに描写されててさ。あー、早くやりてぇ」
手でハンドルをまわすような仕草をぴたりと止めて、良二はこちらを見た。片肘を肩の高さまで上げて、まるで車窓からナンパするみたいな格好をする。
「おじょうさんたち、乗ってく?」
「いやだ」わたしは即答。「事故りそう」
「うちもむり」紗奈が言った。「てか、おまえ、まんじゅう買え」
「それが客に対する態度かよ」
良二は笑いながら、コートの胸ポケットに手をやった。ふたつ折の革財布を取り出して得意そうな顔をする。
「そんじゃ、こしあんとつぶあん、一個ずつ」
「ありがとうございまーす」紗奈は営業の声で返した。「お客さまぁ、本日は酒蒸しまんじゅうも、たいへんお得になっておりまぁす。よろしかったらいかがですかぁ?」
「いかがですかぁ?」わたしもそれっぽい声を出す。
「じゃ……、ひとつもらうか……」
「ありがとうございまーす!」紗奈はまだやめない。「常連さまに大人気の草まんじゅう、店長いちおしの豆まんじゅうなどもございますがぁ」
「そっちはいいや」
「ございますがぁ」紗奈の声と眼力が強くなった。
「わーったよ、そのガラスにあるやつ全部くれ」
良二が言うと、三人は硬い紐が切れたように笑った。
「三つで、一九〇円になります」
今度はまじめなトーンでわたしが言うと、良二は小銭を差し出した。
「ありがと」
ビニール袋にまんじゅうを入れて渡す。良二は受け取ったが、なにか言いたいことがあるような顔をして、すぐには去ろうとしない。
「あのさ……」
「なに?」
顔をそっぽに向けて、すこし口をとがらせている。
「こ——こん」
「こん?」わたしは首をかしげた。
「こん……、のまんじゅう、賞味期限ってどんくらい?」
「きょう中には食べてほしい、といつも言ってるよ。ナマモノだから」
「そ、そう、だよな……」
ふと右の耳がくすくすと笑う声をとらえた。
そちらを向くと、紗奈がにやにやしている。
「どうしたの? 紗奈」
「ううん、なーんでもない」
「あ、あのさ……」良二がまだなにか言いたそうだ。
「はい?」
「こん……、どさ。プロステで遊ぼうよ。ほら、ツーコン買っとくからさ……。ま、まだふたりで遊べそうなの、あんまりねーけど…… 」
「ふたり、ねぇ……」紗奈が言った。
「さ、紗奈も来いよ。一也も呼ぶし、みんなで遊ぼうぜ」
なんだ、ただの遊びの誘いじゃないか。ゲームがある家に男女であつまるのは、子供のころからよくあったことだ。めずらしくもない。サクッと言えばいいのに、なにをもじもじしているのだろう。
「いいよ? あ、でもわたし発売してから二週間は別の世界にいるから。そのあとでもいい?」
「お、おう、もちのろんよ。おれもガッツレーサー極めないとならねぇし」
「それじゃ、また学校で予定決めようよ、紗奈と一也も一緒に」
「お、おう……」
良二の顔がほんのすこし曇った。
「じゃあな、バイトがんばれよ」
「ありがと」
「じゃね」紗奈が手を振る。
コートのポケットに両手を突っこんで、良二は帰路を歩きはじめる。どこか寂しそうな背中だった。
「なんか、変じゃなかった? 良二」わたしは言った。
「あら、お気づきにならない? 涼愛さま」
「うーん……。あ、革の財布だ。あれ、お父さんからもらったって前に言ってた。現物を見せたのがはじめてだったから、ほめてほしかったのか」
「ちーがーう! わかってなーい」
「えー、それじゃなによー」
「ヒントをあげよう」
紗奈は、片手の人差し指を顔の横で立てた。
「涼愛、さ、ま」
「さ、ま……?」
ヒントはこれだけ、という顔だ。
「あんたがよく使ってるじゃない。さま」
「エルさま?」
「そのさま」
話していると次のお客が来たので、わたしたちはいったん対応をした。そのあいだずっと、さまについて考えていた。
「ありがとうございました」
お客が去ったタイミングで、どういう意味がなんとなくわかってきた。けれど、まさかあの良二が? という疑心ばかりが胸に満ちた。
「わかったよ、紗奈」
「お、きましたね、アタックチャーンス」
「良二は、好きなんだ」
「お! 気づきましたね!」
「紗奈のことが!」
とてつもなく凍った顔を突きつけられた。まわりの雑踏までもが無音になった気さえする。あきらかに不正解だという視線がいたい。
「スズってさ……」
「うん」
「どんかん?」
「うーん……、猫舌ではあるよ」
「だめだこりゃ。前途多難だわ」
——またお客がいらしたので、わたしたちは対応をする。そのあいだ、なにがどう鈍感なのかを考えた。
結果、ひとつの結論に辿りついた。
「ねぇ、紗奈」
「どした?」
「わかったよ」
「ほんとに?」
「良二はわたしが好きなんだ」
「はい正解」




