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「——やああぁぁぁ!」
悲鳴をあげるしかない。テレビ画面がバグってしまった。スタッフクレジットがめちゃくちゃになり、わけのわからない文字が散らかっている。ぷー、と鳴る一定の電子音が部屋いっぱいに充満した。
「落ちついて、落ちついて……」
いったん、電源をオフにする。
数秒置いてから、オンにする。
サイバーファミコンの起動画面。
ゲームのイントロ……。
「ひとまず壊れてはない……」
気になるのはセーブデータだ。もし、クリアしたデータが保存されていたなら、つよくてニューゲームの文字が選択肢にあるはず。
ごくり、とノドを鳴らしてから、ムービースキップをする。
画面には——
ニューゲーム
つづきから
つよくてニューゲーム
「はぁ……。よかった……」
一九周目をクリアした事実は失われていなかった。
「ふぅ……。よし、準備じゅんび……」
まだ落ちつかない鼓動と、冷や汗まみれの安堵感を胸にクローゼットを開ける。バイト用のジーンズとパーカーに着替える。すがた鏡の前で気合いを入れてから、居間に行った。
「ねぇちゃん、なに叫んでんの」
弟の勇輝がソファに座って、あんぱんをかじっている。中学生の彼はいま、きのこみたいな髪型をしている。その長い髪はなんだ坊主にしろ、と教員に言われたらしく、ここ最近は反骨精神に磨きがかかっている。
「あんたには関係ないよー」
「ごき?」
「ちがう。だったらあんたを呼ぶ」
「なんでおれなん。父ちゃんでいいじゃん」
「きょうも仕事でしょ」
「帰ってくるまでほっとけばいいじゃん」
「むりだろ、それは」
「できるよ、ねぇちゃんなら」
会話するのもばからしいと思うのは、気の知れた姉弟なればこそか。この狭いアパートじゃ、お風呂上がりのすがたを見られるのもふつうだ。夏はとくに肌の露出がひどいけれど、こいつの頬が赤くなったためしは、ただの一度もない。
「あんたがエルさまみたいに守ってくれたらいいけど」
わたしは冷蔵庫から牛乳を出して、コップに注いだ。いちごマーガリンパンと一緒に、午後の活力を補給する。
「またレディラのはなしかよ。好きだねぇ」
「あんたはまた野球中継見てる。好きだねぇ」
「ゲームより野球のほうがおもしれぇもん」
「だったら髪型、気をつけな」
「ちっ……。うっせぇなぁ」
「おお、こわこわ」
頬に詰まった甘い生地を牛乳で流しこみ、洗面所ではみがきをしたら、ちょうど家を出る時間だ。テレビからは歓声が聞こえて、勇輝がよしっ、とガッツポーズしている。応援しているチームが得点を入れたようだ。
「それじゃ、行ってくるね」
「うい」
「酔っ払いみたいな返事をするな」
「うーい」
「お父さん帰ってきたら、適当にご飯食べてて」
「えー、ねぇちゃん来るまで待ってる。おやじがつくる飯さいあくなんだよ」
「わたし、きょうはちょっと遅くなるよ」
「なんで?」
「本屋さん」
「またゲームの雑誌かよ。ブラウン管にかじりついてたってテストの点数は上がんないよー」
「あんたみたいに、ベッドにエロ本隠してないだけ、いいでしょ」
「なっ、どうしてそれを……!」
「あ、ほんとに隠してたんだ」
「うわぁ、やられた」
「ししし……」
「その笑いかたやめろよ、オタク女」
「もう二十年もしたら、オタク女が最強の人権を得るであろう」
「さぁ、どうかね。ゲームしてるだけで金が稼げるような時代になったら、ねぇちゃんに車買ってやる」
「お、言ったな」
「ふん……」勇輝は目の前のローテーブルにある缶コーラを持って、口を開けた。ぷしゅ、といい音がする。「ぜってぇこねぇし、そんな時代」
わたしは玄関に行って、スニーカーを履いた。念のためドアスコープで外側を見てから、ドアを開ける。都会の乾いた風が全身にぶつかって、顔は一気に冷えた。
「さむ……」
ドアを閉めようとすると——
「ぎゃー! ねぇちゃん! ごき! でたぁっ!」
勇輝の悲鳴が聞こえた。しかし急がねばならないので、そっとドアを閉めた。どたどたと走りまわる音と、さらに重なる悲鳴がドア越しに聞こえていた。
商店街の景色はいつもどおりだ。自転車カゴにビニール袋を載せたお母さんが横切る。杖をついたおじいさんの横を歩く女子高生たちは、長い靴下をわざと短く、くしゃくしゃにして履いている。
わたしも一七になった今年には、ルーズソックスを体験しようと思っていたけど、まだ踏み出せずにいる。あんなだらしないのはだめだ、と父が言ったのもあって。
おまんじゅう屋さんのバイト時間の大半が、行き交う人々を観察しているだけで終わってしまう。
たまにいらっしゃるお客さんの注文を受けて、頼まれたおまんじゅうを渡してレジにお金を入れるのが、仕事らしい瞬間だ。あとは品出しと、閉店後に洗い物と掃除をするくらい。
「ねぇ、このあいだのテレビ見た?」
一緒に店番をしている同級生の紗奈が、横で言った。
「なんの番組?」
「この世の不可思議まるっと調査団」
「あぁ、あの番組、あんまり好きじゃないのよね。なんかホラーな感じするし」
「先週のやつは涼愛も観てるかな、って思って。キューブが関係していたから」
「観てない。どんなはなし?」
「来週発売するゲームに、呪いの一枚があるらしい」
わざと声を低くして紗奈は言った。
「なにそれ、やだぁ」
「なんでも製品版をプレイ中だったテスターのひとりが、一時間だけすがたを消したんだって」
「トイレじゃなくて?」
「それがさ、情報漏洩を防止するために置いた監視カメラの映像だと、ほんとにぱっ、と消えて——ぱっ、ともどってるんだって」
「うーん」わたしは困った顔で、「ないよ、それは。てかなんで一時間だけなの?」
「わからない」
——と紗奈が言ったところで、きょう最初のお客さんが来た。常連のおばあちゃんだ。
「きょうは、さむいねぇ」おばあちゃんがかわいらしい笑顔で言った。
「いらっしゃいませ」わたしたちふたりは挨拶をした。
「いつもの、もらえる?」
「はい」
草まんじゅうが三つ。
黒豆まんじゅうが三つ。
おばあちゃんはいつも、この組み合わせを買ってくれる。
「ありがとね」おばあちゃんは財布から五百円玉を出した。
「こちらこそ」わたしは会計をする。「四六〇円になります」
「いつもどうもぉ!」
厨房から店主の小村さんが声を投げると、おばあちゃんはそちらに手を振った。
「四〇円のお返しです」
「はい、ありがとね」
「いつも、ありがとうございます」紗奈が言った。
「ふたりとも、三角巾とピンクのエプロン似合ってるよ」
「ちょっと、寒いですけど」
えへへ、とわたしたちは苦笑いをする。
「ありゃ、だめよぉ、女が躰を冷やしちゃ……。最近はうちの孫も靴下の履き方がだらしなくてねぇ。ちゃんと膝まで伸ばして履きな? って言ったのよ。そのうち枝かなにかにひっかけるわよってぇ。そしたらねぇ、足首があったかいからいいの、って」
「そうですかぁ、あはは……」
高齢の方にとって、ルーズソックスは理解に苦しむものだ。
「躰に気をつけてね。若いからって無理しちゃだめよ」
「ありがとうございます」
ふたりで頭を下げると、おばあちゃんも会釈を返した。
すこし丸まった背中が、まばらな人混みに溶けていく。
「——で、さっきの話だけど」
「呪いの一枚?」
「なんでもね、その消えた人が精神病んじゃって。病院でずっと言っているんだって。おれはゲームの世界にいた、テストに参加しただけなのに、異世界で何度も殺されかけた——!」
紗奈の話だと、警察がキューブに事情聴取をした事実は、新聞の片隅に載ったらしい。
その数日後、週刊誌記者が件のテスターに直撃取材をして、今度は雑誌の一面をかざった。それからのテレビ特集だ。たぶん、その番組が放送されている時間にも、わたしはエルさまのドット絵をうっとりした顔でながめていたはず。
「ぜんぜん知らなかった……。記者の人、病院まで行ったの?」
「そうらしいよ。本人が話したがっていたのもあって、取材には協力的だったって」
「——おうい、並べてぇ」
うしろから小村さんの呼ぶ声がした。店頭に並べるまんじゅうが蒸しあがった合図だ。厨房に入って、金属トレイをそれぞれに運んで、ガラスケースのなかに商品を並べていく。バイト初心者のころは、トングの力加減がわからなくて、よくまんじゅうを潰したものだ。
「冷えて乾いたやつは回収してねぇ。あとで持って帰っていいよぉ」
厨房から小村さんが言った。
「ありがとうございます!」紗奈が答えた。
「弟がよろこびます。いただきます」
ひと仕事をこなしたところで、紗奈はすぐ声色を変えた。話のつづきだ。




