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ガムドラ王国にゴブリンの軍勢を差し向けて、束の間の遊びを堪能したゼルークは転移の魔法を使ってアミアラム大陸へ飛んだ。
眼下に見える創造神の祭壇は触れただけで指が凍るほどに冷えている。石造りのベッドに背を向けて、ゼルークは足元を見た。吹雪で視界はすこしわるいが、紫色の生き物が、ちいさな生き物が動いているとわかる。
「これが破界の使者——サタン」
ゼルークはそれを蹴った。
まだちいさな角。
まだ頼りない翼。
尾てい骨のから細く伸びる尻尾のさきは三角形。これがいずれ刃のように鋭い凶器になると、だれが信じるだろう。
グーにした手を胸の前で振るわせて、サタンは寒さを耐えている。蹴られたことすらも気づかないくらい、息をするだけでも精一杯だ。
「子育ての趣味はないが——まぁいい」
ゼルークは両手を広げた。
目の前に業火が激る。
それは吹雪をきらい、
仄暗さを裂いて、
足元の雪をも溶かしていく。
熱を浴びたサタンは、ゆっくりとした呼吸を取りもどしていく。
息をするだけでやっとだった口から、産声がひびき渡る。
「そうだ。産まれろ。新たな生を受け入れろ」
サタンはふわりと浮いて、業火のなかに身を置いた。
焼けるでもなく。
苦しむでもなく。
むしろ——よろこんでいる。
激る業火の真下、溶けた雪のなかには服があった。それは、荒井が着ていたワイシャツ、スーツパンツ、革靴にブランドものの靴下。
ワイシャツの胸ポケットには黒革の小型札入れがあった。そのなかには妻と息子、自分が笑って映る写真が一枚、ちいさく折り畳まれて入ったままだった。
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わたしが救界の使者であることは、ニオとラオ爺——当の本人であるわたしの三人だけの秘密にする運びとなった。
ダタンタ村には、ガムドラ王国からの軍兵が駐屯することになった。よほど強大な魔物に襲われないかぎりは、しばらく大丈夫だろう、と村長はひとまずの安心を得たようだった。
ともあれ、わたしたちはすぐにラクトたちとの合流を急がねばならなかった。詳しくは語られなかったが、兵士さんによると、英雄にしか成し得ない重大な仕事が発生したという。それが世界を救う使命であることは想像に容易かった。いよいよ、レディラⅡの本編が本格的に動きだしたの肌身に感じる。
「ばしっと捕まってるであ!」馭者席にいるダタンタの村人が叫んだ。「ガムドラまでぶっとばすがら!」
「しかし、見渡すほどに魔物ばかりですね……」
帽子を片手で押さえながら、ニオ周囲を警戒する。がたん、がたんとバッファランの荷牛車が揺れるたびに視界は振動するが、ニオの顔色はひとつも変わらない。緊張しているようにも見えるし、成熟した精神力によって冷静を保っているようにも見える。
「こりゃ三年前よりもひどいわぁな」ラオ爺は景色のずっと奥を指差した。「ほれ、あそこ。鉄巨人が歩いとる」
乾いた大地にはニッドバッカらしい砂漠が一面に広がり、赤岩や椰子の木みたいな植物——
「あの植物の名前って」
「ニッドバッガ椰子だぁよ」ラオ爺が答えた。
「そんなことも知らないの?」対面の席に座るエリニナ嬢の半目がこちらに刺さる。「てかなんでちょっとニヤついてるのよ」
「あ、いや——、そのままだぁ、と思って」
「変なの」
「いま見るところはぁそこじゃないよ、スズさん」
ふぉ、ふぉ、とラオ爺はいったん笑ったが、その顔はすぐ真顔になった。
「前回の旅では、終盤あたりで遭遇していた魔物じゃあて。さも当たり前の顔で道中に立っとる」
鉄巨人といえばラストダンジョンに出てきたモンスターだ。レベルにして70近くはある。そんなのが物語の序盤でふつうにフィールドを歩いている。わたしなんかがエンカウントしていい敵じゃない。
「だあ!」馭者席から悲鳴が。「いったん止めるであ!」
「ど、どうしたのよ!」エリニナ嬢が身を乗り出して前方を見た。「ちょっと——あれって」
「まずいねぇこれは」ラオ爺は杖を握りなおした。「ヤマタノオロチだ」
ヤマタノオロチって……、ボス級のモンスターじゃないか。ラストダンジョンに入る直前に戦う強敵だ。ゼルークが門番として召喚したのがやつだった。八つの龍頭はそれぞれの属性を持っている。物理も属性魔法も状態異常も、なんでもこなせる。
複数の敵とエンカウントしたのとおなじように、AからHまでのヤマタノオロチを選択して攻撃できた。攻略方法は、もっともやっかいなGの首をさきに倒すこと。
「あの緑の首」わたしは指を差した。「あれを最初に倒せば、あとは比較的楽です、と、思われます……」
「ふぉ、 よくご存知で」ラオ爺は荷車から降りた。「わしがあれを倒す、ニオ、スズさん、それと——だれでしたっけ」
罪滅ぼしがしたいからついていく、とダダをこねたカリムさんに全員の視線が集まる。
「カリムです」本人が答えた。
「だったね。三人は周囲の警戒をぉ」ラオ爺は杖の先端を帽子のつばに当てて持ち上げ、視界をすこし広くした。「こまかいモンスターはまかせます」
暗黙で、エリニナは後衛支援にまわる運びらしい。不服な顔——というよりは、申し訳なさそうな顔で彼女は杖をぎゅっと胸の前で握った。
「うしろを見て、スズさん!」ニオが叫んだ。「地面が盛りあがって……!」
ついさっき牛車が走ったばかりの道が、ネズミ腫れみたいに浮き上がって、高速でなにかが近づいてくる。
「きっとワームです。ここで使うなら——」
荷車から降りたニオは杖に念をこめる。深い青に浮かぶ星々のような粒子をまとって、それは先端に備えられた魔玉へと収縮していく。牛車の前後で、黒魔術の師弟が同時に術を唱える。
「ガルトロウラ」ラオ爺は風の最上級魔法を。
「タイトラ」ニオは土の中級魔法を。
振動と同時に、激しい風があたりを一蹴する。ヤマタノオロチは風の刃に当てられて、四本の首を一秒で失った。
ニオの前方の道がひび割れて、大きく揺さぶられて、たまらず土から飛び出したワームは全部で五匹いた。釣りで使う幼虫のエサを何倍にも巨大化させたみたいだ。攻略本の情報だと全長は三メートルほどだったはず。
ゲームのなかでも、ワームは土属性の魔法食らうと《じめんで のたうちまわっている!》というメッセージが画面に表示されて、一ターンだけ動けなくなっていた。
「こういうことだったのね……」
「なにぼやっと感心してんのよっ」エリニナが怒った。
「ご、ごめん、集中!」
輪っか状の口に沿うように敷き詰められた歯は三段の層になっていて、人体なら丸ごと呑める直径がある。たぶん、ぴょんぴょん跳ねて上から被さるように、一気に飲み込んでしまうか、獲物を長い胴体で締めつけて逃げられないようにしてから、頭からかじっていくのだろう。
ワームにとっての人間など、わたしたちが焼いたししゃもを頭から食べるのと変わらない。
「カリムさん!」ニオが叫んだ。「いまなら槍で!」
「まかせろ!」
名誉を挽回せんと、カリムさんは雄叫びとともに一気に飛び出した。水を失った魚みたいに跳ねるワームの頭に槍を突き立てる。コロロロロ、と独特な声をあげて、一匹のワームは息たえた。
「よし、いげる——いげっぞぉ!」
方言を言わないキャラだと思っていたが、テンションが上がるとカリムさんもニッドバッガ人らしい口調になる。
「おら、次、つぎもだあ! イモムシは弱え! スレェムの比じゃねぇぞぉ!」
いやむしろなんでこっちを倒せるんだよと言いたくなる場面ではあるが、まるで竜騎士がそこにいるようだった。走り、飛んで、ワームの頭に槍の刃を落とすカリムさん。
しかし残りのワームが体勢を立て直して、まるで水に飛び込むような速度で地中に潜ってしまう。
「あ、あんなに速ぐ、潜んのか——」
「まずいわよ!」エリニナが言った。「あと二匹、いつ来るかわかるの!?」
地に潜ったワームはカリムさんの周囲をぐるぐると旋回しはじめた。盛り上がった土が幾重もの輪を形成していく。その中心に囚われたカリムさんは、首を右往左往させて、目を忙しなく振りまわして、いつどこから飛び出してくるかもわからない敵におびえている。




