ー11ー
脳内の攻略本がぱらぱらと高速でページをめくる。ぴたっと止まり、開かれた一ページ。そこに描いてあるモンスターの名は——
「セイレーン……」
半裸の女性の上半身に、鳥の脚、腕は翼。顔は美人な女性そのものだが頭に生えている二本の角がその異形を物語る。
セイレーンは群れで行動する。自分より弱いモンスターを地上に落とし、それを餌にして獲物を釣る。獲物が現れたら、歌声を聴かせて魅了する。魅了された者は同族を攻撃し、セイレーンを守る。同士討ちで数が減ったところで、ようやく地上へ降下するが、相手は魅了されて、ぼやっと呆けた木偶の棒だ。その鍵爪で首筋をちょいとひっかけば、狩りは終了する。
彼女たちは、なるべく自らの手を汚さず、知恵と歌声を駆使する。その妖艶な歌声が去ったあとに残るのは、血のソースが滴る人骨と肉塊の無惨。
ただし歌声は、男性にしか効果がない。
「ら〜、ら〜」カリムさんがこちらの腕をつかんだ。
「ちょ、ちょっと」わたしは槍を落としてしまう。
「スズ!」エリニナが叫んだ。
「ら〜、ら〜、フフフハハハ」数メートル頭上でセイレーンが笑っている。
「首の骨を〜」
太い腕のなすがまま、わたしは首を羽交締めにされてしまった。息ができず、頭のなかに血が溜まって顔面が爆発しそうな感覚がする。
「や——」やばい、ほんとうに殺される。
「やめなさいよばか!」
頭のすぐうしろで、ごつんと鈍い音がした。拘束から解放された反動でうずくまり、両手をついて咳きこむわたしと、失神したようにぶっ倒れるカリムさん。そして槍を握るエリニナのすがた。彼女は槍の石突でカリムさんのこめかみを突いてくれた。
「しっかり!」そしてすぐわたしの肩に手を添えて、「パナ——」
回復の呪文のおかげで、体調はすぐによくなった。首にあった違和感と、肺がちぎれるような痛みが消えた。
「ごめん、ありがと」
しかしエリニナは魔物恐怖症。なぜ動けたのだろう。
「相手が人間だったから、いけたけど」ついさっきまで勇敢だった彼女が、いまや震えている。「どうしよ、上が、うえが見られない」
歌声に操られていたカリムさんを気絶させたくらいでは、この事態は収まらない。すると周囲の家々から、女性が次々と飛び出してきた。みんな叫んで、あわてて、なにかに恐怖している。
「セイレーンの歌声は男性にしか効かない」殺気を感じて、わたしはエリニナを見た。「エリニナ危ない!」
うしろに忍びよっていた村長が、どこから持ってきたかも知れない斧を振り下ろす。とっさに避けた彼女は、きゃっ、と悲鳴を漏らして尻もちをついてしまう。
「んだば、エサを献上せねば」
うつろな目をした村長が、まっしろな殺意をこちらにぶつけてくる。土に噛みついた斧の刃をむくりと持ちあげて、そのまま頭のうしろに投げるように大きく振りかぶる。彼の足はゾンビみたいにふらついたが、それでも攻撃はくる。
「エリニナ逃げて!」わたしは彼女をかばうため、あいだに入った。
「ちょっとあんた」
「おめぇはエサであ——」
斧が振り下ろされる——瞬間、口が勝手に動いた。
「ディム」
それはレディラの世界における防御魔法だ。物理攻撃を防ぐ結界を自分、あるいはパーティメンバーに付与できる魔法。斧の刃が結界に止められ、腕を弾かれた村長は余った勢いを体幹で支えきれず、地面に倒れた。
その拍子に背中を強く打って、がふっ、と心配になる声を漏らしたあと、よだれを片方の口角から垂らして失神してしまった。重い音とともに斧が地面に転がる。細い老体では武器を振りまわすことですら、かなりの負担だったはず。
しかし確信せねばならないことがあった。自分が唱えたと思っていたディムの声は、もうひとつの口からも放たれていたこと。実際に魔法を発現させたのは、わたしではない。
「ちょっと! 死ぬとこだったじゃない」
エリニナは開いた片手をこちらに向けながら言った。その手は緑色のオーラをまとって耀いている。
「全級魔法のディムくらい、使えないとこのさき死ぬわよ」
しょぼい人が唱えればしょぼい魔法となる。すごい人が唱えればすごい魔法となる。ディムの呼び名はそれだけだが、あつかう者次第では初級魔法にも、最上級魔法にもなりうる。それが全級魔法。
エリニナのディムは、斧の刃を止められた。わたしのは——うっすらと発生したかどうかすら怪しい。
「ごめん、ありがと……」
「礼よりも、この状況がさきよ」
狂気の殺人現場になろうとする村を、わたしたちふたりでどうすればいい。上空には十数匹のセイレーンがいまだに歌って飛びまわっている。周囲からは女性の悲鳴と物を蹴散らす音が止まない。家庭崩壊どころのさわぎじゃない。
考える時間はない。
しかし考えなくてはなにもできない。
ここに黒魔術士のひとりでもいてくれたら、どんなに頼もしいか。
空は曇りはじめた。ごろごろと雷鳴がうなりをあげる。黒にほど近い色の雲には紫の雷が血管のようにはしる。これ以上の災難でも起ころうというのか。もうやめてくれ、新米白魔術士ふたりにこの事態は重すぎる。
「雷神よ悪しき翼に戒めを——」
エコーがかかったような声が、どこからともなく響いた。
「ラムグランデ」
カメラのフラッシュが眼前で弾けたような光。空が引きちぎれるような音。ごろごろと低い轟音が余韻で大地をどこまでも撫でていく。さっきまで耳にぶつかっていた女性たちの悲鳴よりも、もっと甲高い悲鳴が聞こえた。それは真上から聞こえた。
黒と緑を混ぜたような羽がひらひらと落ちてくる。それをそっと広げた手のひらで受け止めるも、突然の出来事に唖然とするわたしの視界にふたりの人影が映る。
ひとりは老人だ。つばの広いとんがり帽子に、炎をモチーフにしたローブと杖。そのとなりにいるもうひとりは少年の背丈だ。とんがり帽子にローブ、杖の装備構成は老人とおなじだが、濃い紺色をベースにした全身のファッションは深海を見ているみたいだ。
「ご」わたしは言った。
「あ——」エリニナは、ふたりを知っている様子だ。
「獄炎の、獄炎シリーズのおおおおお!」
まちがいない、レディラⅠでラクトと共に旅をして、世界を救った伝説の黒魔術士。ラオ・タイフロンこと——
「ラオ爺!」
「え」エリニナがこっちを見た。「なんで知ってんのよ」
「あ」やば。「そっちにいた村人が彼を見て、そう言った気がして」
「ふーん」お嬢の懐疑的な視線がぶつけられる。「ま、たしかに、ここの村人はラオ爺くらい知っているけど」
「は、はは……」
ごまかすの下手だなぁ、わたし……。今回はセーフだったとしても、二度目はないぞ。知っているキャラに出会ったとしても、初見の反応をしないと。場合によっては、また変装モンスター疑惑が浮上する。
「あんたやっぱり魔王の刺客なんじゃないの」
ほら! 半目でこっちをにらむエリニナ嬢は鋭ぇよ! そのうたがいは外れてるけど!
「ちがうよ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」
帽子を片手で頭から外しながら、ラオ爺は言った。歩きながら、ゆっくりと頭を下げている。空からは、はらはらとセイレーンの残骸——緑灰色の羽が紙吹雪みたいに舞って落ちてくる。雷魔法一発で複数の敵を即全滅、さすがラオ爺だ。
「そのお方は、魔王の刺客なんかぁじゃない」
そう言ったラオ爺のとなりを歩く少年も帽子を脱いで、深々と頭を下げた。こちらまで歩いてくると、ふたりはわたしの顔をぎゅっと見つめてくる。
「先生」少年が言った。「まずは救助を」
「じゃぁの」
ああ、このゆったりとした口調を生で聞けるなんて。
ともすると、こちらの少年は——
「女性たち」ラオ爺が言った。「白魔術士と、白魔術士じゃぁよね?」
「は、はい」わたしは返事をした。
「あたしは新米白魔。こっちは、ド新米白魔」
エリニナが言った。ラオ爺は優しい顔でこくりとうなずいた。
「ニオ。もし動ける男がいたら集めなさい。おまえとその者らぁとで、村の外を警戒していなさい」
「わかりました、先生」
「それじゃ白魔術士のおふたり。ひと仕事、頼むよ」




