ー10ー
胸に片手を当てながら、わたしはなにかを主張しようとした。
一緒に行かせて、とか。
役に立てるかもしれない、とか。
なにかできることがあると思う、とか。
けれど回復魔法二発で倒れるこの身が、なにを手伝えるというのか。言葉は喉奥にとどまり、なにも言いだせない。
「ここは別行動だよ」ティクルがはっきりと言った。「大丈夫、回復はわたしが担う。スズとエリニナは、ここにいて。きっと、ここのほうが安全だから」
「おれたちが帰ってくるまで、待っててくれ」と、ラクト。
「しかしここもどうなるかわからん」エルさまは周囲を見渡した。「村長のそばにいた屈強な男に、スズたちの護衛を頼めないか」
「あぁ、カリムなら、すぐに来られましょう」
村長が言ってから数秒もしないうちに、槍を片手に持った彼が叫びながら駆けてきた。村全体もざわざわと騒がしくなってきた。これだけの異変——だれしもが、いつもの日常から離脱せねばならない。
「村長!」
「おお、カリム、えらいごとになっだ」
「村民には、家から出ないように言いました」
「そんでええ。してカリム、この娘さんと、宿にいる娘さんを守っでくれるが?」
村長はわたしを指さしてから、そのまま手を流して宿をさした。
「英雄さまご一行の?」
「んだ。ラクトさんたちは、すぐにガムドラにもどる。この娘と、宿の娘はこの村におるであ」
精神的な疲労で倒れたエリニナが村に残るのはわかるけど、この娘はなんで? という顔のカリムさん。
「わ、わたしも回復の魔法が使えますから……!」
「おお、それは頼もしい」怪訝だったカリムさんの表情が晴れた。「英雄さま御一行の貴重な戦力を、この村に残してくださるなど、至極恐縮です」
「ガムドラの戦乱に、新人のスズを巻きこんだら危ねぇからさ。足手まと——」
ラクトがしゃべりだした時点で、なにかを察したティクルは杖を構えていたが——沈黙の呪文はすぐに唱えられた。
「ほんひゃ、ひっへふるふぁ!」(そんじゃ、行ってくるわ!)
「この村の人間、ひとりと残らず死ぬなよ」エルさまが牛車に飛び乗る。
「スズ、ごめんね」ティクルは軽いハグをしてくれた。「エリニナをまかせるかたちになってしまって」
「だ、大丈夫。みんな、ぜったいにケガとか、しないでね……!」
バッファランの牛車に乗って、村から飛び出したラクトたち三人を門前で見送ってから、わたしは宿に行った。カウンター前のロビーに入ったところで、 寝ぐせまみれのエリニナが階段を降りてくるのが見えた。
「スズ——?」目をこすりながら、彼女は言った。「なんかさわがしいけど、またなにか起きたの?」
「エリニナ大変だよ……!」わたしは駆けよって、「魔王が復活してしまったみたい」
「は!? なにそれ……。それじゃ、世界はまた魔物だらけになったの?」
彼女は胸の前で片手を震わせはじめた。さきほどの召喚獣との戦いでも気がつくところではあったが、やはり——魔物に対する強い恐怖心があるように見える。
「大丈夫?」
わたしは階段の下まで行って、手を伸ばした。あと三段の段数を降りるのに、エリニナは一五秒ほどの時間をかけた。それくらい躰がこわばっている。震える肩に、わたしはそっと手を添えた。そのままロビーの一角にあるテーブルまで歩幅を合わせて、ゆっくりと歩く。
「で……。いまはどうなっているのよ。お兄ちゃんは?」
エリニナは椅子に座りながら言った。対面にも椅子はあるが、わたしはあえて彼女のとなりで肩をさすることを選んだ。
「ラクトとティクルと一緒だよ。ガムドラがね、ゴブリンの軍勢におそわれているらしいの」
「うそでしょ」
どうかうそであってほしい、とわたしも心では思っている。けれど、ここはレディラの世界だ。魔王の復活も、モンスターの再出現も、おはなしの流れとしてはふつうのことなんだと冷静に考えればわかる。
「三人と行動するには、わたしは足手まといになってしまう。だから、この村に残ったんだよ」
「そう……、そうよね。パナトヒーラを二発しか使えないもの、当然よね……」
「う、うん」
ともすると外から新たな喧騒が聞こえはじめた。空が赤くなってからというもの、まったく落ちつかない。
「なんか、戦ってない?」エリニナが不安そうに宿の出口を見た。
「なんだろ」
いてぇ——!
「いまの声——エリニナ、ごめん、ちょっと待ってて」
それはまちがいなく、カリムさんの声だった。宿から飛び出して、周囲を見ると、トラブルの内容がすぐにわかった。たくましい左の腕をおさえて、槍を地に落としたカリムさんの前で、ぴょんぴょんと跳ねる丸い物体——
「こ、こいつ、つえぇ!」
うそだろ。
おい、うそだと言ってくれ。
「スライム……」
「ピャッひ! ピャッひ!」
横幅二メートル。
高さ一メートル四五センチ。
特技、ぶつかる。
HP50 MP0。
攻略本で仕入れたデータが、脳裏に浮かぶ。
いや、問題はあの青いスライムじゃねぇよ。
スライムに負けた、カリムさんだよ。
ぜったい勝てそうな筋肉をお持ちじゃないか。
「あの……、カリムさん?」
「気をつけろ、英雄一行の娘さん! あいつ、ただものじゃねぇ!」
「ピャッひ! ピャッひ〜!」
スライムは跳ねながら、近づいてくる。
なんだろ、ドット絵でしか見たことがない敵モンスターを実際に見ると、遊園地で遊んでいる感覚が湧いてくる。まだ相手がスライム一匹だから、そんなことを言っていられるのだけど。
「どんな攻撃を受けたんです?」
「体当たりだぁ! 目にもどまんねぇはえさで、ぶつがっでぎた!」
方言がだだ漏れになるくらい、やばい相手だということはわかる。だが、相手はあのスライムだ。初期モンスターの代名詞じゃないか。白魔術士のわたしにだって、物理で倒せるのではないか?
「カリムさん、その槍、お借りします」
「え、んだって!?」
杖よりは、こっちのほうが攻撃力があるだろう。
わたしは地面に転がった《石の槍》を手にとった。
けっこう重い。振れるだろうか。
「ピャ——、ひっ!」
スライムは威嚇姿勢になった。
なんだ、ちょっとかわいいぞ。
仲間になりたそうな顔をしてくれないだろうか。
「ビャ……、ひるるるるる!」
だめだ、こいつまじの顔でおそってくる!
落ちつけ、こちらは槍だ、リーチがある。
体当たりをまずは避けた。
小学生時代のドッジボール経験がここで活きた。
スライムは土に躰の底面を噛ませて、すぐに顔をこちらに向けた。
次だ。
次の体当たりに合わせて——
「たたかう!」
——ぶちゅ、という音。
手応えがあった。
分厚い鶏生肉にフォークを刺したような感覚が両手いっぱいに満ちる。
ぞわぞわぁ、と全身に鳥肌がはしる。
「ピヤっひいぃ!」
攻撃の瞬間、わたしは目をつむってしまっていた。おそるる心地で、片目だけ開ける——槍の先端に、スライムのひたいが刺さっている。つぶらな両目はバツの形になって、無邪気に開いていた口は、歪んだへの字に変わった。
てこの原理で、両手がぐっと重力に落とされる。
「ピャ……」
スライムが赤黒い煤となって消えていく。
両手にのしかかるのは、槍の重みだけになった。
「すげぇ」カリムさんが言った。
「大丈夫ですか!?」わたしは駆けよって、膝をつくマッチョに片手を添えた。
「なんでもねぇ、ちょっと体当たりを食らっちまっただけだ」
お腹をおさえながら、カリムさんは立ち上がった。すると宿屋のドアが勢いよく開いた。なかから出てきたのは血相を変えたエリニナだ。
「ねぇ、空、空を見て」
エリニナはわたしたちの頭上を指差している。
「え、なに?」
わたしは真上を見ようとした、と同時に歌声が聞こえた。オペラのコーラスを重ねたような声が、上空で回転している。
「ら〜、ら〜、ら〜ら〜」
共鳴するようにカリムさんが歌いだした。その目はぼんやりとうつろを見つめいている。




