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荷牛車に駆けたティクルは、鞘入りの両刃剣を手に取って投げた。ラクトはそれを受け取ると、すぐに刃をあらわにして、エルさまの大盾に飛び乗った。
大盾がすばやく突き出される。
バネに飛ばされたようにラクトは跳ねた。
両刃剣の一撃を当てるため、振りかぶる。
魔物は翼を強くあおいだ。
風圧でラクトは地上に押し戻されるも、その身軽さで難なく受け身をとった。地上から相手をにらむ。
「あいつ、もしや——」
「——っ!」ティクルの怒りの顔、はじめてだ。「お姉ちゃん」
ちょうど雲が太陽を隠した。逆光で黒一色だったシルエットに色がもどる。あれはキマイラだ。その背にひとりの女性が乗っている。山羊の角を片手でつかんで、魔物の背に立っている。
ボロ布のローブを着て、麻のズボンは膝丈まで。足元は真珠のようなものをあしらったサンダル。顔には古代文字を並べたようなフェイスペイント。妹と似た黒髪だが、うねっていてパーマ味がある。あまり手入れをしていない髪のようにも見える。
名はソフィア・ルッケンプルツ。レディラⅠでは、闇堕ちした召喚士としてラクトたちに相対していた。何度か戦いを重ねて、ついには心折れたはずだ。
もうわたしには召喚獣が残っていない——
そのセリフを最後に、行方はわからなくなっていた。ティクルの故郷である氷の王国シラミスに突き出せば、極刑になるのは決まっていた。だから、ラクトたちは彼女を見逃した。
「ティクル」空からの強い語調だ。「一匹くらい召喚できるようになったか?」
「まだ人を困らせているの?」
「困らせる、だと。はっ。笑える。教えてやっているんだよ、人間の弱さを、痛みを——」
「もう十分だよ終わったはずだよ、どうしてまた——そんなお姉ちゃんを見なくちゃいけないの!」
ソフィアは片手に持った杖のさきを、ひたいの前に置いた。はばたくキマイラの上で上下にゆれながら、念をこめる。赤いほうき星のような光が杖にまとわりつく。キマイラの全眼が赤く光って、全身から黒いオーラがただよう。獅子の顔からは炎があふれ、山羊の角には紅い雷がまたたき、蛇はきょろきょろと首を動かして獲物を探す。
「石化の原因はあれだ」エルさまが言った。「あの蛇ににらまれれば、全身が石になる」
「スズ、エリニナ、退がってろ!」ラクトが言った。
わたしはエリニナを見た。彼女は両手で杖を握りしめて、震えている。恐怖のせいか動けずにいる。
「魔物……」
「だめだエリニナ、見るな!」エルさまは駆け寄って、彼女の視界を隠した。「スズ、こいつを頼む。建物の影に隠れるんだ」
「わ、わかった」
わたしはエリニナの手を引いて、その場から去ろうとする。
「どこ行くんだよ、こっちを見なよ」
ソフィアが言って、杖を振る。キマイラは獅子の口から火球を放った。わたしたちが逃げようとしていた道は、炎の壁にふさがれてしまう。顔が一気に熱くなった。
「そっちがその気なら、わたしだって」
ティクルは念をこめた。杖は青いほうき星をまとう。
「風よ、棍種の怪異を切り裂きたまえ——ガルーダ」
地面に魔法陣が出現した。そこに鳥のくちばしが見えたと思ったら、ロケット花火みたいな速度で、一匹の巨鳥が飛び出し、すがたを見せた。すらっとした胴の何倍も広い両翼を大きく広げて、咆哮をあげる。
「そうか、そうか、あんたも、あんたもできるようになったわけ! ティクル! 笑える!」ソフィアは目を剥いて言った。「でもそんな、初歩中の初歩だよ、風属性の小鳥なんてさぁ!」
放たれる火球。
ガルーダは避けて、飛んで、蛇の首もとに噛みつく。
山羊が声をあげる。
すぐに離れて、紅い稲妻を避ける。
逃すまいと蛇がにらみを効かせる。
ガルーダは翼で自分の視界を隠した。
キマイラは火球を放つ。
ガルーダは避けて、いったん距離をとる。
「避けるだけで精一杯みたいじゃないか」ソフィアは言った。
「妹には優しくしてくれないと、尊敬できないな!」ティクルがうなる。
キマイラの真上にきたガルーダは、胸の前に風を溜めはじめた。それを翼で抱えこんでから、ぱっと開いて強力な空砲を撃った。
「あれをすぐに避けられる躰とは思えん、ラクト!」エルさまが駆ける。
「まかせろ!」
空砲を食らったキマイラは、地面に落ちた。
立っていられないほどの振動が大地から伝わる。
「きゃっ」エリニナが転んでしまった。
「大丈夫!?」わたしは手を握った。
「うん……」
すぐにソフィアを見た。
獅子の顔面にエルさまが大盾を喰いこませている。口から溢れる炎が、ひまわりの花みたいに広がっているが、彼を焼く気配はない。
ラクトは蛇のほうへまわりこんでいた。目をつむったまま軽く飛んで、両刃剣を蛇の首に当てた。断面から黒い血が飛び散る。二本牙がするどく光る蛇頭は宙を舞う。
「数には、数を——」ソフィアは念じはじめる。「コカトリス」
「うそでしょ」ティクルが目を見開いた。「二重召喚!?」
キマイラの背後、ちょうどラクトがいるその目の前の地面に魔法陣が現れる。鶏のかたちをした巨体が、よちよちと階段を上がるように、躰を左右にゆらしながら、すがたを見せる。近くにいる敵を見つけるや、くちばしにむらさきの液体を溜めて吹きかけた。
「あぶねっ!」ラクトは身軽さにまかせて、それを避けていく。「毒かよ、くそ!」
「うらあっ!」エルさまが大盾で、獅子の頭をぶん殴った。巨体が脳震盪を食らったみたいによろめく。すかさず腰から剣を抜いて、たてがみの首もとに刃を突き立てる。悲鳴に似た咆哮——空気がぐらつく。
ガルーダが急降下して、キマイラに鉤爪を当てようとする。仲間の危機を察したコカトリスが毒を噴射して、それを邪魔した。巨鳥は急旋回を余儀なくされる。
ラクトがコカトリスの足を一本、二本——駆けながら裂いていく。支えを失った毒の巨鳥はだるまみたいに倒れた。その脳天に両刃剣が刺さる。
エルさまは大盾を捨てて、キマイラに登った。
ソフィアは騎士剣を杖で防ぐ。
力勝負なら負けるはずがない。
これで終わり——じゃない。
山羊の頭が、自分の躰に雷を落とした。
それによって、エルさまは鍔ぜりあいをやめねばならず——
キマイラは死んだが、ソフィアは地面に転がった。
ここで彼女がなにを唱えるのか、わたしは直感した。
土に汚れた頬、
砂を噛んだ口が動く——
「オーディン」
ソフィアの直下で魔法陣が出現し、彼女はたくましい銀色の腕に拾われて、見上げるほどの高さまで持ち上げられる。人型の召喚獣かと思いきや、鎧を着た馬がだんだんとすがたを現していく。
騎乗した巨人の召喚獣。こいつにどれだけ苦しめられたか。片手で振りまわす大剣——その攻撃力のせいで、ティクルは何杯の薬水を飲み干したことか。
大剣のきっさきを横に流すようにして、オーディンはそれぞれに刃先を向けていく。ラクトですら動けない。ガルーダも滞空したまま、手を出そうとしない。この威圧——本能に刃を当てられているのかと感じるほど。
「ごあいさつは、ここまで」
オーディンの肩上から、ソフィアは全員を、よもや村全体を見下すようにして、最後には妹に視線を固定した。
「あんたも呼べるようになったんなら、数を集めることだね。ガルーダ一匹で、もういちど世界を救おうだなんて、笑える」
うすら笑いを肩に乗せながら、オーディンはなにもない背後を切る。宇宙の色をした裂け目が空間に出現した。馬の鳴き声とともに、そこへ飛びこんで、ソフィアは召喚獣ごと消えてしまった。ゲームのなかでも、彼女が逃げるときはいつもこれだった。
最後の戦いに負けて、とぼとぼと歩いて去ったとき以外は——
戦いのあと、わたしたちは村長の家に集まった。赤土の壁に、肌色の木が梁をつくる天井と、灰色のテーブルは丈夫で、重そうな石づくり。壁には、オレンジに発光する鉱石と、動物の頭蓋が飾られている。
部屋の隅には、室内だというのに約三〇センチ幅の川が流れている。ちょろちょろと涼しげな音に囲まれて、南国の高級ホテルだといわれれば、うたがいようがない。
「づまり、石化の原因は召喚獣だったんであ……」
村長が言った。ココナッツミルクみたいな液体が入ったグラスに片手を添えて、神妙な顔をしている。
「ごめんなさい。あの人は、わたしの姉です。召喚士としての力をこんなことにしか使えない、残念な人……」
「んだら、彼女はシラミスの?」
問われたティクルは悲しい顔でうなずいた。




