第2話 記者会見、そして、世間の反応
フラッシュの眩しい光が、絶え間なく壇上に注がれていた。
ホテルの大宴会場を埋め尽くした報道陣の数は、この球団の歴史上でも過去最高だろう。それもそのはずだ。
IT大手による球団買収、弱冠30歳の女性オーナーの就任、そして何より——前代未聞の「45歳・現役最年長選手の監督就任」なのだから。
「それでは、新ユニフォームのお披露目と、新監督の発表です!」
司会の声とともに、背後のスクリーンが開き、新しいユニフォームに身を包んだ俺——上平健二が壇上へと歩み出た。
会場が一瞬、どよめく。
かつてチームの象徴だった爽やかな水色と白のユニフォームは影も形もなかった。
鮮やかなダークグリーンの地に、胸には力強い黄色のロゴ。肩と袖口には眩しいイエローのラインが走っている。
「……まるで昔のオークランド・アスレチックスだな」
前列に座るベテラン記者がつぶやいたのが聞こえた。まさにその通りだ。泥臭く、それでいてどこか異国情緒を感じさせるデザイン。メジャーの5年間を経験した俺にとっては、どこか懐かしく、胸が高鳴る配色だった。
そして、背中に踊る数字は『39』。
「上平監督、背番号は今までと変わらず『39』ですね。やはりファンへの“サンキュー”の意味合いが込められているのでしょうか?」
矢継ぎ早に飛んできた記者の質問に、俺はマイクを握り直し、苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、“サンキュー”が俺の代名詞のようになってるけど、最初は全然そんな格好いい意味じゃなかったんだよね」
会場から小さな笑いが漏れる。
「28年前、ドラフト5位で入団したとき、球団から渡された空き番号の中にたまたまあったのが『39』。選択肢なんてない、ただの“余り物”です」
俺は一旦言葉を切り、自分の胸にもある『39』の数字を指で撫でた。
「だけど、打たれても、抑えても、三振しても、打ち込まれて敗戦処理に回されても……俺の背中にはずっとこの数字がありました。メジャーに行った時も、日本に戻ってきた時も、奇跡的にこの番号が空いていて俺を待っていてくれた。今じゃ、この『39』以外を着てグラウンドに立つ自分なんて想像できません」
一呼吸置くと、フラッシュの光が一層激しくなった。俺はカメラのレンズをまっすぐ見据え、口角を上げた。
「だから今では、この番号を与えてくれた野球の神様と、27年間支えてくれたファンのみなさんに、心からこう言えますよ。サンキュー!ってね」
パシャパシャパシャッ!と、会場全体を覆うようなフラッシュの嵐。
その隣で、新オーナーの女性が満足そうに、だがどこか企みを含んだ笑みを浮かべて小さく頷いていた。
「……では、オーナーにお伺いします。なぜ上平『選手』に、この厳しいチームの指揮を委ねたのでしょうか?」
記者の矛先が隣のオーナーへと向かう。彼女はマイクを手に取ると、一切の迷いがない凛とした声で言い放った。
「勝利の美酒を知る監督は、世の中にたくさんいます。ですが……敗戦処理のマウンドに立ち、打ち込まれた翌日も冷めない肩を叩きながらグラウンドに出ていく痛みを、誰よりも知っているのは上平監督です。我がチームが泥を舐め、這い上がるために必要なのは、彼のその『39番の背中』なのです」
会見場が静まり返る。
俺は横目で彼女の横顔を見ながら、心の中でつぶやいた。
(おいおい、買いかぶりすぎだろ、オーナー……。だけど、腹はくくったよ)
緑と黄色の新しいユニフォーム。背中には28年分の汗と傷が染みついた『39』。
45歳、上平健二の、あまりにも無謀で、あまりにも熱いシーズンが始まる。
記者会見の熱狂が冷めやると、
待っていたのは容赦のない世間の「冷水」だった。
スマホを開けば、ネットニュースのコメント欄やSNSには過激な言葉が並んでいる。
指導者経験ゼロでいきなり監督? チームを崩壊させる気か
日米通算の数字は見栄えがいいけど、結局個人タイトルゼロの器用貧乏だろ
上平がメジャーに行ってる間にチームは2連覇した。あいつは“勝ち方”を知らない
客寄せパンダにするにも地味すぎる。話題性ならもっとメジャー級のスターを連れてこいよ
「なかなか辛辣に言われてるな……」
自宅のソファで思わず苦笑いを漏らすと、キッチンからコーヒーカップを手にした妻が歩いてきた。
「見なきゃいいのに。昔からネットの評判気にするタチでしょ」
「いや、まあな。でも……言ってることは全部正論だから言い返せねえよ」
俺は受け取ったカップから立ち上る湯気をじっと見つめた。
生え抜きとして長年チームに尽力してきたこと自体は、ファンも一定の評価をしてくれている。だが、監督となれば話は別だ。
俺にはコーチの経験すらない。
28年間、プレイヤーとしてしか野球を見てこなかった。
そして何より、世間の指摘で一番胸に突き刺さるのは「優勝経験のなさ」だ。
俺がメジャーに挑戦していたあの5年間、皮肉にもこのチームはリーグ2連覇を果たした。
俺が日本に戻ってきた時、チームは再び低迷期に入っていた。
つまり俺は、28年もプロにいて「チームが優勝する瞬間の歓喜」を一度も味わったことがないのだ。
主要タイトルなし。指導者歴なし。優勝経験なし。
「客寄せパンダ」として見ても、全国的な知名度を誇るスター選手に比べれば地味すぎる。
『否』の意見が大多数を占めるのは、当然すぎる結果だった。
「ねえ、健二さん」
妻が隣に腰掛け、静かに言った。
「あの若いオーナーさんは、なんて言ってたの?」
俺はあの会見の場、そして最初に呼び出されたホテルのラウンジでの彼女の言葉を思い返した。
『敗戦処理のマウンドに立ち、打ち込まれた翌日も冷めない肩を叩きながらグラウンドに出ていく痛みを、誰よりも知っているのは上平監督です』
世間は俺の「優勝経験のなさ」を叩く。
だが、あの若いオーナーだけは、俺が28年間で積み上げてきた「無数の敗北と、そこから立ち上がってきた泥臭さ」に価値を見出していた。
「……『敗戦処理の痛みを一番知っている』だってさ」
俺はコーヒーを一口飲み、フッと息を吐いた。
「最高の褒め言葉だろ。綺麗事だけじゃ勝てないってことは、俺が一番よく知ってる」
画面の中のバッシング記事を閉じ、俺は立ち上がった。
世間を見返すためじゃない。スターになれなかった俺だからこそ、この泥沼のチームで見せられる景色があるはずだ。
「さーて……まずは『コーチ経験のない新監督』として、秋季キャンプのメニューでも考えるか」
背番号『39』の新しい戦いは、逆風の嵐の中で静かに始まった。




