第1話 戦力外通告、そして、監督就任
プロ野球の監督と、そのまわりの選手たちの物語です。
上平健二45歳
日米通算28年のプロ生活の終わりは
あまりにあっけなく訪れた。
球団事務所の重いドアの向こうで
球団代表は申し訳なさそうに書類を伏せた。
「上平くん…長年、チームに貢献してくれたことには感謝しかない。……だが、来季の契約は結ばない方針が決まった」
日米通算で積み上げた記録は
打者として1,744安打・210本塁打
投手として133勝・105ホールド・98セーブ
所謂『二刀流』としてどんな場面でも重宝され、メジャーの5年間も含めてチームの穴を埋め続けてきた。
だが、殿堂入り確定の「大打者」でも「大投手」でもない。
どの記録もハイレベルだが、見方によっては「器用貧乏で突き抜けた数字がない」
「……分かりました。今までありがとうございました」
自宅へ戻り、妻に報告すると、彼女は深く頷いてくれた。
「お疲れ様。子どもたちも『お父さんとの時間が増える』って喜んでるわ」
テレビ局からは解説者のオファーも届いていたが、28年間走り続けた体に休みを与えたかった。
蓄えもある。
少し野球と距離を置き、家族との穏やかな時間を過ごす——はずだった。
戦力外通告からわずか数週間後、球界に激震が走る。
俺が所属していた球団が、新進気鋭のIT企業によって電撃買収されたのだ。
「球団、どうなっちゃうんだろうね」と妻とニュースを眺めていた矢先、俺のスマホが鳴った。
相手は球団のスタッフではなく、新しいオーナーの秘書だった。
指定された都内の高級ホテルのラウンジ。
そこに座っていたのは、仕立ての良いスーツを身に纏った、弱冠30歳ほどの若き女性——新オーナーだった。
「お忙しいところ申し訳ありません、上平健二さん」
彼女はまっすぐに主人公の目を見つめ、一切の無駄なく切り出した。
「単刀直入に申し上げます。我が球団の『選手兼任監督』を引き受けていただけないでしょうか」
思わずコーヒーを吹きそうになるのを、ベテランの意地で飲み込む。
「……冗談でしょう。私は戦力外になった身です。それに、監督どころかコーチの経験もありません」
「冗談でこんな場所にお呼びしません」
新オーナーはタブレットを操作し、俺の日米通算成績を画面に映し出した。
【上平健二 日米通算成績】
打者: 通算打率.278 / 1,744安打 / 210本塁打
投手: 防御率4.12 / 133勝 / 105ホールド / 98セーブ
「球界の評論家たちは、あなたのキャリアを『器用貧乏』『突き抜けたものがない』と評します。ですが、私はまったく違う見方をしています」
彼女はトントン、と画面の「105ホールド / 98セーブ」を指で叩いた。
「先発も、中継ぎも、抑えもやり、クリーンナップも下位打線も打ってきた。メジャーの厳しい環境も知っている。『野球におけるあらゆるシチュエーションと敗戦処理の痛みを、プレイヤーとして最も知っている人物』……それがあなたです」
新オーナーは身を乗り出し、鋭い眼差しで告げた。
「今の我が球団に必要なのは、名声ばかりのスター監督ではありません。泥にまみれ、チームのどんな穴でも埋めてきた『あなたの経験』です。ベンチで指揮を執り、いざとなれば代打でも敗戦処理のワンポイントでも、あなた自身がグラウンドに立ってください」
45歳。当たり前だが、来年には46歳になる。
身体のあちこちが痛み、現役引退を受け入れかけていたはずの胸の奥で、小さく鎮火していた「熱」が、ふたたび大きな音を立てて燃え上がるのを感じた。
「家族には……相談させてもらえますか」
「もちろんです。良い返事をお待ちしています、上平監督」
帰宅し、妻に全てを話すと、彼女は驚きつつもクスッと笑った。
「神様はあなたに『休め』とは言ってくれないみたいね」
翌朝、青空の下で主人公はグローブとバットを持ち出し、庭で軽く身体を動かした。
28年間の誇りと、泥臭い経験のすべてを詰め込んだ、前代未聞の「46歳・選手兼任監督」のシーズンが幕を開けようとしていた。




