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引き継ぎノートの勇者 ―異世界コンビニ五年目、世界のシフトを受け取れ―  作者: もしものべりすと


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第9章 フード革命と王女の客

王都の屋台で売られている揚げ物は、ほとんどがまずい。


透がその結論に達するのに三日かからなかった。


理由は単純だった。


誰も、油の温度を測っていなかった。


ギルドの仕事の合間透は王都を歩いて各地の屋台で食べ物を買い、味を確かめていた。彼の動機は、空腹を満たすためだけではなかった。彼の身体に染みついた前世の調理マニュアルがここでどこまで通用するかを、確かめたかった。


最初の屋台は、鶏肉の揚げ物を売っていた。透は一切れ買い、口に入れた。表面は焦げ、中は生だった。油は変色しており、酸化臭がした。彼は店主に礼を言って店を離れた。離れたあと、彼の身体は、ほとんど反射で、その屋台を「指導したい」と思った。


彼はその衝動を抑えた。指導するためには、自分の店を持たなければ説得力がない。前世のコンビニで、彼は何度か新人にフライヤーの使い方を教えた。新人が彼の話を聞いたのは彼が「先輩」という肩書を持っていたからだった。肩書のない人間は、何を言っても屋台の店主には届かない。


彼は宿屋を借りその厨房を昼間だけ使わせてもらえる契約を、宿の主人と結んだ。宿の主人は夜は宿屋を、昼は何もしていなかった。透が払う賃料は、彼にとってありがたい収入だった。


最初の準備は、油の管理から始まった。


透は鍛冶屋に頼んで、銅製の温度計を作ってもらった。鉄の棒の中に、温度に反応する蝋を仕込んだ簡易のものだった。これで油の温度がおおよそ百八十度前後に保たれているかを、目視で確認できた。


次に揚げ物用の鶏肉の下処理。


塩水に漬けて、肉の繊維を整える。前世の知識だった。彼の前世のコンビニのフライヤーマニュアルには、この工程は書かれていなかったが、彼は店長から「裏ワザ」として教わっていた。


そして衣の調合。


小麦粉塩香辛料を、彼の身体が覚えている比率で混ぜた。香辛料の種類はこの世界のものに合わせて変えたが、配合の論理は同じだった。


彼は宿の厨房で、最初の一切れを揚げた。


揚がった鶏は、ほぼ前世の「コンビニの揚げ立て」だった。


彼は一口食べて、長く目を閉じた。


それは前世の自分が深夜のコンビニで、客に向けて売っていた揚げ物の味だった。


彼の故郷の味だったと表現することすら、できた。


だが彼は前世でその味を「故郷の味」だと思ったことが一度もなかった。


ただの仕事の味だった。


今その味を彼は別の世界の宿の厨房で、舌の上に置いていた。


彼の喉が一瞬塞がった。


宿の主人にも、一切れ渡した。


主人は一口食べて、目を見開いた。


「あんたこれ王都の屋台のと、全然違う」


「同じ材料です。下処理と、油の管理を変えただけです」


「これ、売れるよ」


「売る予定です」


「いつから?」


「五日後に。看板を、お借りしてもよろしいですか」


「使え。使え。代わりに俺にも一切れずつ、毎日売ってくれ」


「お安いご用です」


五日後宿の前に、小さな看板が出た。


看板には、透の手書きで、「揚げ立ての鳥 銅貨二枚」とだけ書かれていた。値段は、屋台の鶏より、銅貨一枚高い。だが宿の前を通る人が一人二人と、興味を持って買った。最初の一人が一口食べて「うまい」と言った瞬間その隣にいた二人が並んだ。三人が並んだのを見て、また三人が並んだ。


彼は前世の癖で、列の整理を始めた。


「お並びの方こちらにお進みください。お会計はこの机で承ります。揚がるまで少々お待ちください。揚げ立てをお出しします」


彼の声は、店員の角度だった。だがその声を聞いた客は、誰も嫌な顔をしなかった。むしろ客の表情が緩んだ。透は気づいた。彼の声の角度は客に向けて発するときには、ある種の安心感を生む。前世の彼はその効果を自分のためではなく、客のためだけに使ってきた。だがそれでもそれは、彼の道具だった。


彼は揚げる手を止めなかった。


夕方には彼の用意した三十切れが、すべて売り切れた。


売り切れたあと彼は宿の厨房で残った油を濾し、明日のために保管した。彼の前世のフライヤーマニュアルには、油の濾し方も書かれていた。一日使った油は布で漉して温度を下げて保管すれば、三日は使える。四日目以降は、味が落ちる。


彼は前世のマニュアルを頭の中の引き継ぎノートとして、開き直していた。


二週目には、彼は中華まんに似たものを売り始めた。


小麦粉の生地に肉の餡を包み、蒸す。蒸し器は銅の桶を二段にして下の段で湯を沸かし、上の段に生地を並べる。簡易のスチーマーを彼は鍛冶屋に作ってもらった。


最初の一週間、彼は「乾かない、皮の白い、温かいまま」を維持するために、蒸し時間と、保温の時間を細かく分けた。前世のコンビニで彼が「中華まん担当」だった時期の知識が、ほぼそのまま使えた。


看板に「蒸し立ての饅頭 銅貨三枚」と追加した瞬間彼の店の前の行列は、一気に長くなった。


王都の屋台で、これまで「冷えてぱさついた饅頭」を当たり前のように食べていた人々は、「乾かない、温かい饅頭」が、自分たちが想像していなかった食べ物だったと知った。


透は毎朝その日の最初の客に必ず、頭を下げた。


最初の客は、いつも同じ、近所の老女だった。八十歳ほどで、夫を二年前に亡くし、毎朝彼の店の饅頭を一つだけ買って家に戻る人だった。彼女は最初の頃、銅貨を握ったまま列に並ぶのを躊躇していた。透が「お並びください」と声をかけて、初めて彼女は最後尾に立った。


それから彼女は毎朝来た。


ある朝彼女は透に皺だらけの紙を一枚、差し出した。


「これ亡くなった夫が生前書いてた饅頭の餡のレシピだよ。あんた、上手いから参考にしておくれ」


透はそれを丁寧に受け取った。紙には彼の知らない香辛料の名前と量が、震える字で書かれていた。彼はそれを翻訳し、試した。試して改良し、新しい餡を作った。


「老婦人の伝言・春の餡」という名前を付けて、看板に追加した。


老女が次に来た日彼女に最初の一個を、無料で渡した。


彼女は一口食べて、長く目を閉じた。


「あの人の味だ」


「はい」


「あんたこの味、どこで」


「お渡しいただいたレシピを私の故郷のやり方で、作りました」


「あの人の味が、続いてる」


彼女はそう言ってしばらく動かなかった。透は彼女の手を取らなかった。代わりに、彼女が落ち着くまで隣で待った。


それも、引き継ぎだった。


ギルドの仕事は朝早くと夕方の遅くに分けて、続けていた。


昼間は店夕方はギルド、夜は記帳と仕込み。透の生活は前世のコンビニのシフトと、似た形になっていった。だが決定的に違ったのは彼が今自分の名前で自分の判断で、店を回していることだった。前世の彼は本部の指示で本部のマニュアルで、本部の商品を売っていた。今の彼は自分のマニュアルで自分の選んだ材料で自分の値段で、売っていた。


最初の一週間彼はそれが何を意味するかが、分からなかった。


気づいたのは最初の月の終わりに、宿の主人と取り分の精算をしたときだった。


彼の手元に、銀貨の山が残った。


それは彼が前世で五年働いて貯めた額の、半分くらいだった。一ヶ月で。


彼はその山を、長く見つめた。


「自分の判断で自分の名前で、商売をするとこうなるのか」


それが、彼の最初の感慨だった。


その三週目フードを着た若い女性客が、列の最後尾に並んだ。


彼女の所作が、整いすぎていた。透はカウンター越しに彼女の歩き方の重心の位置を見て、すぐに気づいた。


リシェル・アストレアだった。


彼女は列の前でフードを軽く下ろし、透に微笑んだ。


「マジマ・トオル。やっと見つけたわ」


透は深く頭を下げた。


「殿下申し訳ございません。お訪ねする前に店を、と思いまして」


「謝らなくていいの。私、嬉しいわ。あなた、立派にやってる」


「いえ」


「あなたの揚げ物と饅頭をひとつずつ。お支払いは、私の侍従から」


彼女は視線で、後ろの侍従を指した。侍従が銀貨を一枚、出した。透は受け取り、釣りの銅貨を渡した。


「ご試食用におひとつずつ、新作も添えました」


彼は紙の包みに、自分が試作中の「揚げ饅頭」を一切れ入れた。


リシェルは紙の包みを受け取り、その場で揚げ立ての鳥を一口食べた。


彼女の動きが止まった。


「これ」


彼女は短く言った。


「これ私の父上に、食べさせたい」


「光栄です」


「あなたこれからも、ここで店を続けて。それと──」


彼女は侍従に何かを耳打ちした。侍従は頷き、透に向き直った。


「マジマ殿。明日、王宮から正式な御用達の話が伺います」


翌日、王宮の家令が来た。透の店は、その日のうちに「王宮御用達」となった。彼の作る揚げ立ての鳥と、蒸し立ての饅頭は、毎朝王宮に運ばれるようになった。


家令はその場で、「殿下が、特別に、あなたとお話ししたいと仰っている」と告げた。透は驚いて、家令の顔を見た。家令は微笑み、言った。


「殿下は毎朝あなたの揚げ物をご自身の朝食になさっている。陛下にもお出ししたいと、毎日仰っている」


「光栄です」


「殿下はこうもおっしゃった。『マジマ・トオルは私の命を二度救った人。彼の店の繁栄は、王家の責務として支えたい』」


透は深く頭を下げた。


だが頭を下げる瞬間彼の中で、奇妙な不安が湧いた。


彼の店は、王家の名前で支えられている。


それは光栄なことだった。同時に彼の前世の知識と彼の前世の仕事が、王家の名前に絡め取られていく感覚でもあった。彼は王家を信用していないわけではなかった。リシェルを信用していた。だが王家という大きな枠組みは、彼が理解できる範囲を超えていた。彼の前世のコンビニの本部と同じだった。本部の意向は、彼のレベルでは最後まで分からなかった。


その夜彼はまた三階の窓際の机に座った。


彼の前にはギルドの仕事の引き継ぎノートと店の仕入れ帳と、新しいレシピの試作メモが並んでいた。


だが自分のための白いノートは相変わらず、白いままだった。


彼は窓の外を見た。


王都の屋根が月の光の下で、銀色に光っていた。彼の前世のコンビニの蛍光灯ではない、生きた月の光だった。


気づいたら、彼の店の隣の通りで、三人の子どもたちが、彼の店の名前で「揚げ立ての鳥ごっこ」をして遊んでいた。子どもの一人が紙を丸めて鳥を作る真似をして、もう一人がそれを「銅貨二枚」と言って買う真似をしていた。


透はそれを見て、笑いそうになった。


笑った口の角度が、店員の角度ではなかった。


彼の頬が自分でも知らない場所から緩んだ。


緩んだ瞬間彼の中で何かが、わずかに動いた。


それは小さな動きだったが確実に、彼の身体の中で起きた動きだった。


彼は窓を閉め灯を吹き消し、寝床に入った。


その夜半彼は不思議な感覚に襲われた。


眠っているはずなのに誰かが、彼のすぐ隣にいる気配がした。


ベッドの脇のパイプ椅子に、誰かが座っているような気がした。


若い少女の気配。


微かに涙の匂いが、した。


彼は目を開けた。


誰もいなかった。


寝床は、いつもの三階の彼の部屋だった。


気のせいだ、と彼は判断した。


判断したあと、彼はもう一度目を閉じた。


だが眠りに落ちる直前彼の耳にまた声がした。


「お兄ちゃん今日ね、学校で職業体験があったよ」


「私、コンビニに行ったんだ」


「お兄ちゃんの仕事、見てみたかったの」


透は息を止めた。


コンビニ。


彼の前世の言葉が夢の中で、彼に届いた。


彼は飛び起きた。


寝床の脇には、誰もいなかった。窓は閉まっていた。月の光だけが、床に薄く差していた。


彼はその夜結局もう一度寝直すことができなかった。


翌朝彼の目の下には、長い隈ができていた。


彼はそれを忙しさのせいだと、また自分に言い聞かせた。


だがその朝店を開けながら彼は気づいた。


彼の前世のコンビニの言葉が、夢の中の声を連れてきたなら。


あの声の主は、彼の前世を知っている人間だった。


彼の前世を知っている人間は彼の周りに、ひとりしかいない。


彼の妹だった。


彼は手を止め、しばらく看板の文字を見た。


そしてまた揚げる手を動かし始めた。


動かしながら彼は心の中で、答えを保留した。


保留するという形で彼の身体はその問いを、もう一日先に押し出した。

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