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【新装版】枯れたおっさん、何もしないで異世界を救う  作者: アズマユージ
第二部 聖王国編

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第99話 聖王国の光と影

 中央聖堂、奥。


 外から隔絶された執務室は、いつも通り静かだった。


 磨かれた机。


 整えられた書類。


 余計なもののない空間。


 だが、その静けさの中に、確かな緊張が混じっていた。


 大司教は、枢機卿の前で頭を垂れている。


 報告は済ませた。


 公開神託の場で起きた異常。


 巫女の背後に現れた不可解な投影。


 神託を先取りする言葉。


 民衆の動揺。


 そして、儀式の中止。


 すべてを伝え終えた後も、枢機卿はしばらく何も言わなかった。


 窓の外には、整然と灯る街の光が並んでいる。


 いつも通りの光。


 いつも通りの秩序。


 だが。


 その内側に、既に亀裂は入っている。


「……腐ったミカンと同様に」


 枢機卿が静かに口を開いた。


「不穏分子は、排除せねばならないのだよ」


 大司教の肩がわずかに動いた。


「しかし……どのように?」


 枢機卿は振り返らない。


 ただ、窓の外を見たまま言った。


「光あるところに、影あり――なのだよ」


 その言葉の意味を理解した瞬間、大司教の表情が強張った。


「まさか」


「聖王国の影とも言える、あの者たちを動かすと?」


「それは、国家転覆級の罪悪に対する最終手段では……」


「まさに」


 枢機卿が、そこで初めて振り返った。


「今が、その時なのだよ」


 声は荒げていない。


 だが、言葉には一切の揺らぎがなかった。


「今回の件以上に、我々聖王国を貶める出来事は、かつてなかったのだよ」


「そ、それほどのことですか」


 大司教が、思わず口にした。


 その瞬間。


 部屋の空気が、冷えた。


 枢機卿の目が、細くなる。


「まだ分からないのかね」


 静かな声だった。


 怒鳴られるよりも、ずっと重い声。


「民衆が神託を疑うということの意味が」


 大司教は言葉を失う。


「神託は、唯一でなければならない」


「比較されてはならない」


「再現されてはならない」


「それが前提なのだよ」


 枢機卿は、一歩だけ近づいた。


「その前提が揺らいだ時」


「人は、考え始める」


「考えれば、迷う」


「迷えば、従わなくなる」


 沈黙。


「君には、失望したのだよ」


 大司教の顔色が変わった。


「い、いえ。そのようなことはございません」


「即刻、手配いたします」


「結構」


 枢機卿は短く答えた。


「静かに処理しなさい」


「民衆に、これ以上の揺らぎを見せてはならない」


「は」


 大司教は深く頭を下げ、退室した。


 扉が閉まる。


 再び、部屋に静寂が戻る。


 枢機卿は窓の外を見る。


 正しい光。


 正しい秩序。


 正しい国。


 そのはずだった。


「……あってはならないことなのだよ」


 誰に聞かせるでもなく、呟く。


 声には、初めてわずかな苛立ちが混じっていた。


 かつて。


 聖王国の秘密を暴こうとした者たちがいた。


 商人。


 密偵。


 他国の使者。


 異端の学者。


 彼らは、聖王国の奥にある何かへ近づこうとした。


 だが。


 誰一人として、戻らなかった。


 処刑の記録はない。


 投獄の記録もない。


 ただ、消えた。


 理由は不明。


 証拠もない。


 残ったのは、噂だけだった。


 ――影が動いた。


 教会が聖王国の光であるならば。


 その裏側には、必ず影がある。


 光を保つために。


 影は、汚れを引き受ける。


 表に出ることはない。


 賛美されることもない。


 だが、確実に存在し、この国を守ってきた。


 これまでも。


 そして、これからも。


 その名は、シャドウ。


 聖王国の暗部。


 教義の外に置かれた、教会の手。


 そして。


 そのシャドウを率いる男がいる。


 ウルフ。


 名を知る者は少ない。


 だが、知る者は知っている。


 その名が意味するものを。


 排除。


 消失。


 痕跡なき終焉。


 その夜。


 聖王国の光の裏側で。


 影が、静かに動き出した。

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