第98話 権威の動揺
いつもお読みいただき、ありがとございます。
今日から大型連休ですね!
なお、おとといリリースした短編「天才リシュンは全てを理解する、はずだった」もよろしくお願いします。
異変は、すでに広がっていた。
だが。
壇上にいる大司教には、それが見えていなかった。
巫女のすぐ側。
儀式を支える位置。
そこから見えるのは、整然と並ぶ民衆と、完璧に神託を告げる巫女の姿だけだ。
――問題はない。
そう判断していた、その時だった。
「大司教様……!」
切迫した声。
入口側の警護にあたっていた司教の一人が、顔色を変えて駆け寄ってくる。
「何事だ」
「その……後方で……異常が……」
「異常?」
眉をひそめる。
だが、言葉が要領を得ない。
「はっきり言え」
司教は一瞬ためらい、そして絞り出すように言った。
「……巫女様の背後に、何かが……」
「何か、だと?」
「空間に……映像のようなものが……」
「映像?」
「しかも……」
そこで言葉が詰まる。
言っていいのか、分からない。
だが。
言わなければならない。
「神託と……同じ言葉を……」
大司教の表情が、固まった。
「……何を言っている?」
「し、しかも……先に、です」
一瞬の沈黙。
理解が、拒絶する。
だが。
報告の声は震えていない。
つまり――嘘ではない。
「……確認する」
短く言い放つ。
大司教は踵を返し、入口側へと歩き出した。
数歩。
視界が、変わる。
そして――
見えた。
巫女の背後。
空間に浮かぶ、不可解な存在。
白い猫。
丸い輪郭。
場違いなほどに軽い造形。
そして、その頭上に浮かぶ吹き出し。
――人は、迷いの中で選択を誤ります
その直後。
ヨーコが続ける。
「人は、迷いの中で選択を誤ります」
完全に一致。
そして。
明確に――先だった。
「……なっ……」
言葉が、出ない。
理解が追いつかない。
だが。
直感だけが叫んでいた。
これは、まずい。
致命的に。
まずい。
群衆のざわめきが、耳に入る。
もう抑えきれていない。
疑問が、声になっている。
比較が、成立している。
その瞬間。
大司教は決断した。
「――ミサを中止する!」
鋭い声が、広場に響く。
一瞬、すべてが止まる。
ヨーコの言葉が途切れる。
神託が、中断される。
そして――
ざわめきが、爆発した。
「中止……?」
「なぜだ……!」
「今のは何だ!?」
抑え込まれていた疑問が、一斉に噴き出す。
もう、戻らない。
大司教は、さらに声を張り上げた。
「全員、速やかに退去しなさい!」
「本日の神託はここまでとする!」
強制的な終了。
統制による遮断。
だが。
その命令は。
あまりにも遅かった。
人々は動き出す。
だが、その足取りは揃っていない。
ざわめきが、止まらない。
互いに言葉を交わし。
振り返り。
空間を見上げる。
もう一度、確認するように。
何を見たのかを。
何が起きたのかを。
大司教は、それを見ていた。
理解してしまった。
これは。
ただの“異常”ではない。
**崩壊の始まりだ。**
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中央聖堂、奥。
静かな執務室。
枢機卿は、報告を受けていた。
簡潔な内容。
だが、十分だった。
沈黙。
数秒。
そして。
「……あってはならないことなのだよ」
低い声。
抑えられた響き。
怒りではない。
だが。
明確な“否定”だった。
「神託は唯一でなければならない」
「比較されてはならない」
「再現されてはならない」
一つ一つ、確認するように言う。
「それが前提なのだよ」
わずかな間。
「その前提が崩れるということは」
言葉が、ほんの一瞬止まる。
「……構造の否定なのだよ」
目を細める。
冷静。
だが。
完全ではない。
わずかに。
苛立ちが混じる。
「……対処しなさい」
短い命令。
だが。
その“対処”の中身は、まだ存在しない。
初めてだった。
この男が。
即座に解を持たないのは。
窓の外には、整った光が並んでいる。
正しい秩序。
正しい世界。
だが。
その内側で。
確実に、何かが崩れ始めていた。




