第97話 無垢なる声
昨夜、スピンオフ短編第4弾を投稿しました。
今回は、リシュンが盛大に勘違いするお話です。
お時間あれば是非お付き合いください。
沈黙は、保たれていた。
完璧に。
訓練されたように。
誰もが、口を閉ざしている。
神託の最中に私語を発することは許されない。
それは、この国において絶対の規律だった。
ユージにゃんの吹き出しが、次の言葉を示す。
――人は、導きを求めるものです
ヨーコが続ける。
「人は、導きを求めるものです」
また一致。
また先行。
その差は、ほんの一拍。
だが、その一拍が。
決定的だった。
群衆は、見ている。
比較している。
そして――理解してしまっている。
だが。
誰も声を出さない。
出せない。
出してはいけないからだ。
その均衡を。
最初に崩したのは。
子供だった。
「……ママ」
小さな声。
母親が、わずかに顔を寄せる。
「なんであの猫ちゃんは」
指差しそうになる手を、途中で止めながら。
「おねえちゃんと同じことをしゃべってるの?」
一瞬。
空気が止まった。
誰もが、それを見ていた。
誰もが、疑問を感じていた。
だが――それを言葉にしたのは、無邪気な子供だった。
母親が、はっとしてその口を押さえる。
「しっ……!」
だが、遅かった。
その言葉は。
あまりにも正確に。
この場の“異常”を言い表してしまっていた。
周囲の視線が、一斉にそちらへ向く。
咎める視線。
戒める視線。
だが。
同時に。
同じ疑問を抱いた者たちの視線でもあった。
ユージにゃんが、次の言葉を出す。
――正しさは、与えられるものです
ヨーコが続ける。
「正しさは、与えられるものです」
また、同じ。
また、先に。
母親が、子供を抱き寄せる。
叱ろうとして。
言葉を失った。
叱る理由が。
分からなくなった。
規律は理解している。
だが。
その規律の前提が、今、揺らいでいる。
後方の男が、低く呟いた。
「……巫女は、神の声を聴いているはずだろ」
ほんのわずかな沈黙。
「なら、どうして……あれが、先に言うんだ?」
別の方向から声が重なる。
「偶然じゃないのか?」
「いや……そんなはずがない」
「ずっとだぞ……全部、先に出てる」
さらに別の声。
「……同じだ」
「言葉が、全部同じだ」
戸惑いが、広がる。
「じゃあ……」
言いかけて、口をつぐむ。
本能的に。
そこから先を言ってはいけないと理解している。
だが。
別の誰かが、それを引き継ぐ。
「……最初から、決まってるってことか?」
空気が、わずかに凍る。
誰もが、その意味を理解した。
だが、否定できない。
否定する根拠が、もう存在しない。
ユージにゃんが、次の言葉を出す。
――迷いは、選択を鈍らせます
ヨーコが続ける。
「迷いは、選択を鈍らせます」
また一致。
また先行。
囁きが、連鎖する。
だが、その囁きは。
すぐには収まらなかった。
むしろ。
抑えようとするほどに、形を変えて広がっていく。
誰かが口を閉ざす。
だが、その視線が隣へ移る。
言葉にならない疑問が、目で伝わる。
受け取った側も、また視線を動かす。
そして、次の誰かへ。
声にならない連鎖。
静寂の中で、確実に拡散していく“理解”。
ある者は、唇を強く結んだ。
ある者は、無意識に首を振った。
ある者は、ただ見上げたまま動かない。
だが。
その全員が、同じものを見ていた。
同じものを、比較していた。
そして。
同じ結論に、近づいていた。
――これは、偶然ではない。
その認識が。
ゆっくりと、しかし確実に共有されていく。
規律は、まだ残っている。
だがそれは、外側だけのものになりつつあった。
内側では。
すでに別の基準が、動き始めている。
ユージが、小さく息を吐く。
「来たな」
リシュンが笑う。
「最初の一人」
「ここからは早いぞ」
ナーチャンは視線を動かさない。
「臨界点に達しました」
アルノルトが数値を確認する。
「群衆反応、変化を検出」
壇上では。
ヨーコが神託を続けている。
乱れはない。
声も、姿勢も、表情も。
すべてが完璧だ。
だが。
広場の空気が、変わっていた。
ざわめきが、生まれ始める。
まだ小さい。
まだ抑えられている。
だが、確実に。
広がっている。
リコが、強く手を握る。
「……始まった」
ユージは、ゆっくりと頷いた。
「ああ」
「ここからが、本番だ」
壇上の巫女は、まだ気づかない。
だが。
民衆は、もう戻れない。
一度知ってしまった。
もう一つの答えを。
そして。
“正しさが一つではない”という事実を。
沈黙は、破られた。
ほんの、小さな声によって。




