第94話 沈黙の均衡
聖王国の朝は、静かだった。
人は多い。
だが、騒がしくはない。
広場へ向かう道には、すでに多くの人が歩いていた。
白や淡い色の服をまとい、落ち着いた足取りで同じ方向へ進んでいく。
誰も急がない。
誰も騒がない。
ただ、静かに流れていく。
大聖堂前の広場には、すでに長い列ができていた。
列は乱れることなく、一定の間隔を保って続いている。
最後尾には聖職者が立ち、穏やかな声で誘導していた。
割り込みも、文句もない。
ただ、正しく並ぶ。
それが正しい行動だからだ。
「……テーマパークの人気アトラクション待ちって感じだな」
ユージが小さく呟いた。
「列整理が完璧すぎて逆に怖い」
「肯定します」
ナーチャンが周囲を観察しながら答える。
「群衆制御としては理想的な状態です。
不満を抱かせない誘導設計。
心理的負荷を最小化する配置。
非常に洗練されています」
「並ぶのが楽しいわけじゃないのに、誰もイライラしてないんだよな」
ユージは腕を組んだ。
「むしろ、“ちゃんと並べてる自分”に満足してる感じだ」
「秩序への参加自体が、信仰行為の一部になっているのでしょう」
ナーチャンが淡々と言う。
少し離れた場所で、リコが大聖堂を見つめていた。
修道女の姿に変装しているため、表情は分かりにくい。
だが、わずかに肩に力が入っているのが見て取れた。
「……大丈夫か」
ユージが小声で聞いた。
「ええ」
リコは短く答えた。
「覚悟は、出来ているわ」
その声には、迷いも残っている。
だが、それでも進むと決めた者の響きがあった。
ナーチャンが周囲を確認する。
「配置は予定通りです。
ハミータさんは既に内部へ」
「相変わらず仕事が早いな」
「プロですから」
広場の空気が、ゆっくりと引き締まっていく。
期待。
敬意。
安心。
ここに来れば、正しい答えが示される。
そう信じている人々の空気だった。
「準備は大丈夫なのか?」
ユージがそう言って振り返ると、
なぜか、片手に串焼きを持ったリシュンがいた。
普通に食べていた。
しかも、わりと美味そうなやつだ。
「おい」
「その串焼き、どこで手に入れた?」
「俺の分もあるんだろうな?」
「ある訳ないだろ」
リシュンは平然と答える。
「あっちの屋台で売ってるから、食いたきゃ自分で買ってこい」
「なんでお前だけ買ってきてるんだよ」
「待ち時間が長かったからな」
「イベント前の軽食は基本だ」
「遠足じゃねえんだぞ」
ナーチャンが小さくため息をついた。
「お二人とも、緊張感がなさすぎます」
「もう少し真面目に取り組んでください」
「こういう時こそ平常心だろ」
リシュンが肩をすくめる。
「緊張してミスる方が問題だ」
「それに」
広場を見渡して言った。
「これ、宗教行事というより、もはやイベントだぞ」
整然と並ぶ人々。
無駄のない誘導。
完璧に整えられた空間。
「……まあ、分からんでもない」
ユージも周囲を見回した。
「演出はかなり凝ってるな」
「お前、ほんとロマンがないな」
リシュンが笑った。
「信仰ってのはな」
「だいたい演出から入るもんだ」
やがて、広場に静寂が訪れた。
衣擦れの音すら止まる。
中央の扉がゆっくりと開いた。
白い法衣の聖職者たちが整然と並ぶ。
統一された歩幅。
揃った所作。
まるで舞台の演者のようだ。
そして。
奥から、一人の少女が姿を現した。
白い衣。
迷いのない足取り。
感情を抑えた静かな表情。
神託の巫女。
ヨーコだった。
整いすぎた空間。
整いすぎた人々。
整いすぎた象徴。
その姿を見て。
リコの指先が、わずかに震えた。
ユージは、その様子を横目で見ながら、小さく呟いた。
「さて」
「段取り通りに行くことの方が珍しいってのが、現場の常識なんだがな」
ナーチャンが静かに返す。
「今回は予定通りに進んでいただかないと困ります」
「分かってるよ」
ユージは小さく笑った。
「奇跡の男としては、たまには期待に応えないとな」
神託の儀式が、始まろうとしていた。




