第90話 神託再現システム『しんた君1号』
それから数日後。
宿の一室は、すっかり即席の研究室のようになっていた。
机の上には紙束。
壁には簡単な相関図。
ナーチャンの整った筆跡でまとめられた資料が、きれいに分類されている。
その中心に、リシュンが持ち込んだ演算端末が置かれていた。
「思ったよりデータ集まったな」
リシュンが感心したように言う。
「布教者が使っていた資料、過去の神託記録、社会情勢のログ」
「ちゃんと体系化されてる」
「当然です」
ナーチャンが即答した。
「記録は分析の基本ですから」
「相変わらず優秀だなぁ」
「あなた方が雑なだけです」
リシュンは笑いながら椅子に腰掛ける。
「さて」
「じゃあやってみるか」
端末に文字列を入力していく。
アルノルトが横で確認する。
「最新の神託は?」
ちょうどそのタイミングで、扉がノックされた。
短く三回。
ナーチャンが扉を開ける。
そこに立っていたのは、いつもの目立たない旅装束の人物。
ハミータだった。
「入手しました」
短い報告。
差し出された紙には、直近の神託の全文が書かれている。
大聖堂で読み上げられたばかりのものだ。
リコが思わず身を乗り出した。
「もう手に入ったの?」
「配布用写本」
ハミータが簡潔に答える。
「内部流通」
「早いな」
ユージが感心する。
「正しさは共有される必要がありますので」
ナーチャンが淡々と補足した。
リシュンが紙を受け取る。
「よし」
「じゃあ、しんた君」
軽く端末を叩く。
「初仕事だ」
入力された条件。
社会状況。
直近の政策傾向。
民衆の関心。
演算が走る。
数秒。
静かな処理音だけが部屋に響く。
やがて画面に文章が表示された。
アルノルトが神託の写本と見比べる。
「……」
一瞬、沈黙。
ページをめくる音だけが小さく響く。
「すごい、ほぼ合ってるじゃん」
リシュンが思わず声を上げた。
アルノルトも小さく頷く。
「完全一致ではない」
「だが」
「論理構造、主題、結論」
「極めて高い一致率です」
ナーチャンが画面を覗き込む。
「表現の揺らぎはありますが」
「意味内容はほぼ同一ですね」
「もう少し微調整がいるが」
リシュンが腕を組む。
「これならあと少しってところだな」
ユージが画面を眺めた。
「これが神様の答えってやつか」
「ずいぶん理性的だな」
「少なくとも」
アルノルトが言う。
「完全な不可知ではない」
「判断基準は存在します」
リコが小さく呟いた。
「……本当に」
「再現できるのね」
その声には、驚きと、わずかな戸惑いが混じっていた。
ナーチャンが静かに続ける。
「神託が状況に対する応答であるなら」
「分析による近似は可能です」
「判断過程が人間の認知範囲にある限り」
リシュンが笑う。
「神様も案外ロジカルってことだ」
「あるいは」
アルノルトが言った。
「人間がロジカルすぎるのかもしれません」
ナーチャンが腕を組んだ。
「……あらためて見せられると」
「お二人の技術力は、ほぼ変態レベルですね」
「誰が変態だ!」
リシュンが即座に反応する。
「天才と言え!」
「同義では?」
ナーチャンが真顔で返す。
「違う!」
「社会的評価がまるで違う!」
ユージが小さく笑った。
「相変わらず、お前のネーミングセンスは壊滅的だな」
「まあ採用でいいけど」
「採用なんだ」
リシュンが少し嬉しそうに言った。
「神託再現システム」
ユージが改めて口にする。
「仮称“しんた君1号”」
「1号ってことは」
リコが言う。
「改良されるの?」
「いや、雰囲気だ」
「……」
微妙な沈黙。
リシュンが軽く咳払いする。
「だが、改良は重ねるぞ、もちろん」
「ならいいけど」
少しだけ空気が緩んだ。
「まあ、なんだ」
ユージが肩をすくめる。
「神はこいつにネーミングセンスの才能だけは与え忘れたんだ」
「気にするな」
「いいネーミングだと思うんだがなあ」
リシュンが不満そうに言う。
ナーチャンは完全に無視した。
「そんなことより」
「実用化にはあとどのくらいかかりますか?」
リシュンは少しだけ考えた。
「まあ」
「一週間ってとこだろう」
「三日でお願いします」
間髪入れない即答。
「相変わらず人使いの荒いねーちゃんだなあ」
「時間が無いのです」
ナーチャンは一切表情を変えない。
「天才なら出来るはずです」
軽い挑発。
だが、期待も込められている。
リシュンが頭を掻いた。
「はぁ……わかったよ」
「三日だな」
「任せとけ」
椅子から立ち上がる。
「アルノルト、行こうぜ」
「了解」
アルノルトも静かに頷いた。
二人は資料を抱えて部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
部屋に、わずかな静けさが戻った。
「……三日って」
ユージが苦笑する。
「本当に出来るのか?」
「出来ます」
ナーチャンは迷いなく答えた。
「彼らは天才ですから」
リコが小さく息を吐いた。
「頼もしいわね」
「まあ」
ユージが言う。
「変態だけどな」
神の言葉は。
絶対に触れられないものではない。
少なくとも。
人間の手が届く場所に。
その輪郭が見え始めていた。




