第88話 援軍来たる
翌日。
宿の部屋で、ユージたちは簡単な資料を机の上に並べていた。
聖王国の街の構造。
巫女の行動パターン。
確認できた警備動線。
そして、ハミータが持ち帰った断片的な情報。
ナーチャンが整理したメモは、いつものことながら無駄がない。
読みやすく、要点が絞られている。
「改めて見ると、なかなか厳重だな」
ユージが紙をめくりながら言った。
「はい」
ナーチャンが頷く。
「物理的な警備というより、構造的な制約です」
「巫女本人の行動範囲が極端に限定されているため、接触機会そのものが少ない」
「外から突破するより、中の前提を崩す方が合理的です」
「前提、ねえ」
ユージは椅子の背にもたれた。
「“神託は正しい”ってやつか」
「はい」
ナーチャンは即答した。
「少なくとも、民衆はその前提で行動しています」
「前提が崩れれば、判断基準も揺らぎます」
「なるほどな」
ユージは軽く息をつく。
「宗教そのものを否定する必要はないが」
「“唯一の答え”って顔されると厄介だな」
その時だった。
扉がノックされた。
軽い調子で二回。
そして、間を置かずにもう一回。
「開いてるぞ」
ユージが声をかける。
扉が開いた。
「よう、リーダー。久しぶりだな」
酒瓶を片手に、男がにやりと笑う。
軽い足取りで部屋に入ってきた。
「ご無沙汰しております」
その後ろから、落ち着いた声。
眼鏡を軽く押し上げながら、一礼する。
部屋に入ってきたのは、タスクフォースの技術担当。
リシュンとアルノルトだった。
「相変わらず唐突だな」
ユージが苦笑する。
「呼ばれたら来るのが専門家ってもんだろ」
リシュンは酒瓶を机に置いた。
「道中で珍しい蒸留酒見つけたんでな。差し入れだ」
「仕事前から飲む気か?」
「脳の回転を滑らかにする潤滑油だ」
「ただの飲みたい理由では?」
ナーチャンが冷静に指摘する。
「固いこと言うなよ、相変わらず真面目だなぁ」
リシュンは笑いながら肩をすくめた。
「真面目が私の取柄ですから」
ナーチャンが淡々と言い放つ。
「おー、怖い怖い。そんなんじゃユージに嫌われるぞ」
「なっ、何を言っているのです!やめてください!」
珍しく語気が強くなる。
耳までうっすら赤い。
「まあまあ二人とも、折角久しぶりに会えたんだから、ケンカはやめようぜ」
ユージが苦笑しながら仲裁に入る。
リシュンはニヤニヤしている。
完全に面白がっていた。
一方その頃。
アルノルトは既に机の上の資料に目を通している。
空気など最初から存在していないかのように。
「なるほど」
短い一言。
だが、その目は真剣だった。
「事情は聞いています」
「“神託”ですか」
その言葉に、リコの表情がわずかに引き締まる。
「解析できそうか?」
ユージが聞いた。
リシュンが椅子に腰を下ろし、資料を手に取る。
「過去の記録はどの程度残ってる?」
「文書として残っているものなら、それなりに」
ナーチャンが答える。
「演説内容、政策指針、社会的通達」
「断片的ではありますが、蓄積は可能です」
「十分だな」
リシュンが頷いた。
「こういうのはな」
「データが多いほど面白くなる」
「面白いかどうかで判断するな」
ユージが突っ込む。
「研究者なんてそんなもんだ」
悪びれた様子もない。
アルノルトが静かに補足する。
「神託が社会的意思決定に影響を与えているのであれば」
「一定の傾向が存在するはずです」
「完全な無作為で運用されているとは考えにくい」
「パターンがあるってことか」
「可能性は高い」
アルノルトは淡々と言った。
「判断とは、状況に対する応答です」
「状況が似ていれば、出力も似る」
リシュンが指を鳴らす。
「つまり」
「予測可能性がある」
「そこまで単純ですか?」
ナーチャンが確認する。
「単純ではない」
アルノルトは首を振る。
「だが、不可能でもない」
「過去の神託と、その時点の社会状況」
「それを対応付ければ、判断基準の輪郭は見えてくる」
ユージは腕を組んだ。
「つまり」
「“神の意思”ってやつが、ある程度読めるかもしれないってことか」
「少なくとも」
リシュンが笑う。
「人間が作った原稿ならな」
リコが小さく息をのんだ。
「……そんなことが出来るの?」
「やってみないと分からん」
リシュンは肩をすくめる。
「だが、仕組みがあるなら解析は可能だ」
「完全再現とまではいかなくても」
「近似くらいなら狙える」
アルノルトが補足する。
「必要なのは十分なデータです」
「過去の神託の内容」
「その時点の社会状況」
「可能であれば、政治判断の履歴」
ナーチャンはすでにメモを取っている。
「収集可能です」
「ユージア国に入ってきている布教者の記録もあります」
「それも参考になるでしょう」
「いいね」
リシュンが楽しそうに言った。
「久々に面白そうな案件だ」
「研究目的になってないか?」
「半分くらいはな」
否定しない。
ユージは苦笑した。
「まあいい」
「使えるものは何でも使う」
リコが不安そうに口を開く。
「でも、それで……」
「ヨーコを助けられるの?」
アルノルトは少しだけ考えてから答えた。
「直接ではありません」
「ですが」
「神託の絶対性を崩すことは可能かもしれません」
リシュンが続ける。
「“巫女にしか聞こえない神の声”」
「それと同じ内容を、別の方法で示せたらどうなると思う?」
ユージが小さく笑った。
「神様、量産可能説だな」
「言い方」
ナーチャンが訂正する。
「検証可能性の提示です」
「夢がないな」
「科学とはそういうものです」
リコはゆっくり頷いた。
まだ不安は残っている。
だが。
何も出来ないわけではない。
その感覚だけでも、大きかった。
「よし」
ユージが立ち上がる。
「方向性は見えたな」
「まずは情報集めだ」
「神託ってやつの癖を洗い出す」
リシュンが笑う。
「任せとけ」
「久しぶりに徹夜になりそうだ」
「酒飲んでから言うな」
「効率が上がる」
「下がるだろ」
軽口が交わされる。
重くなりかけていた空気が、少しだけ軽くなる。
やることは決まった。
あとは動くだけだ。
整いすぎた国の片隅で。
予定外の計算が、静かに走り始めていた。




