第74話 異物が混ざることってあるよね
聖王国の夕暮れは、気味が悪いほどに静かだった。
日が傾いても、街の騒がしさは増えない。
仕事帰りの人々が酒場に流れ込む様子もなければ、
路上で酔っ払いが管を巻く姿もない。
ただ、それぞれが役割を終え、
静かに家へ戻っていくだけだ。
「ここまで来ると逆にすごいな」
宿の窓から通りを眺めながら、俺は呟いた。
「オフィス街の定時退社日でも、
もうちょっと人間味があるぞ」
「酔っぱらいもいない。
ポイ捨てもない。
産廃屋の出番がまったくないな、ここは」
「健全ですね」
ナーチャンが即答した。
「いや、健全すぎるだろ」
「なんというか、
社会の“遊び”の部分がない感じだ」
「肯定します」
「適度な逸脱は、
社会の柔軟性を保つ要素になります」
「だよな」
俺は窓枠にもたれた。
「ほどよく失敗して、
ほどよく間違える」
「その余地があるから、
人間社会って回るんだよ」
「ここには、その余裕がない」
その時だった。
扉が軽く三回ノックされた。
一定のリズム。
ナーチャンが扉を開ける。
そこには宿の給仕の姿をしたハミータが立っていた。
「お茶をお持ちしました」
声の調子も、
わずかに猫背な姿勢も、
完全に“よくいる給仕”だった。
部屋に入ると、
自然な動作で窓の外を確認する。
人の気配がないことを確かめると、
雰囲気が切り替わった。
「状況共有」
短い一言。
それだけで空気が引き締まる。
「巫女の行動パターン、把握した」
「早いな」
「さすがプロだ」
ハミータは淡々と続けた。
「ルーチンは単純」
「朝、祈り」
「昼、祈り」
「夜、祈り」
「合間に面会」
「すべて大司教経由」
「完全管理ですね」
ナーチャンが手帳に書き込む。
「巫女本人の裁量は?」
「ほぼゼロ」
即答だった。
「移動は常に同行者付き」
「接触相手は限定」
「外部情報、ほぼ遮断」
ハミータは机の上に簡単な図を描いた。
中心に巫女。
そこから一本だけ線が伸びる。
先には大司教。
「ハブだな」
「はい」
ナーチャンが頷く。
「情報も意思決定も、
すべてこの人物を経由しています」
「ここを通らないと、
巫女には何も届かない」
「本人の意思も外には出ない」
「分かりやすい構造だな」
俺は図を眺めた。
「広報通さないと発言できない役員みたいなもんか」
「例えとしては近いです」
ナーチャンが即答する。
こういう構造は嫌いじゃない。
問題点が見えれば、
対処の方向も見えてくる。
「大司教の動きは?」
「ほぼ固定」
「毎晩、巫女の部屋を訪問」
「滞在は一時間前後」
「長いな」
「何してるんだ?」
「紙を渡していた」
「紙?」
「文書」
「巫女は読む」
「暗記している様子」
ナーチャンのペンが止まった。
「……原稿ですね」
「たぶん」
部屋の空気が少し重くなる。
リコが俯いた。
拳が小さく握られている。
「……やっぱり」
小さな声だった。
だが迷いはなかった。
「完全にマニュアル運用だな」
俺は腕を組む。
「現場判断なし」
「本社指示どおり」
「ブランド統制ですね」
ナーチャンが言う。
「発言のブレを防ぐ目的でしょう」
「トップメッセージの統一」
「カリスマ維持」
「違うのは」
ナーチャンが少しだけ間を置いた。
「対象が、一人の人生だという点です」
リコが顔を上げる。
「巫女は……
あの子は、
どんな様子だった?」
ハミータは事実だけを答えた。
「従順」
「感情の起伏、少ない」
「指示待ちの姿勢」
「……そう」
リコはそれ以上言わなかった。
「接触タイミングは?」
ナーチャンが話を戻す。
「明日の夜」
「大司教が来る時間」
「その時が最も隙がある」
「入れ替われそうか?」
「可能」
「難易度は中」
「動線が単純」
「護衛も少ない」
「秩序を過信している」
ハミータは簡潔に言った。
この国では
内部からの異物
という発想が薄いのだろう。
「慢心というより、
コスト削減か」
「可能性はあります」
ナーチャンが頷く。
「秩序が強い社会ほど、
イレギュラーへの耐性は低下します」
「人は正しい行動をする前提」
「疑う必要がない」
「だから侵入も想定していない」
「よし」
俺は立ち上がった。
「明日は夜勤だな」
「夜勤という概念があるのですか」
「あなたに」
「あるだろ」
「環境改善は24時間営業だ」
「ブラック企業とか言うなよ」
「言っていません」
「ですが思いました」
ナーチャンは平然と言った。
少しだけ空気が緩む。
やることは決まった。
窓の外では街の灯りが一斉に点いた。
明るすぎず、
暗すぎず。
光量すら調整されているように見える。
整いすぎた国。
迷いのない社会。
保証された正しさ。
「……さて」
俺は軽く伸びをする。
「マニュアル通りに動く連中のところに、
ちょっとした“規格外のゴミ”を持ち込んでみるか」
どう転ぶかは分からない。
だが少なくとも
迷う余地くらいは作れるはずだ。
産廃屋としては
そのくらいの後始末がちょうどいい。




