第204話 知らないとは言えないよな
聖王国を襲った洪水発生から、数日が過ぎた。
救助活動は、今も続いている。
リシュンが持ち込んだ犬型ロボットは、倒壊した家屋や土砂の中を休むことなく走り回っていた。
人間が入り込めない場所にも潜り込み、生存者の捜索を続けている。
その一方で。
別の調査も始まっていた。
洪水は、なぜ起きたのか。
聖王国が長年蓄積してきた観測記録を前に、セシルは難しい顔をしていた。
「やはり、おかしいんです」
「何が?」
ユージが尋ねる。
「雨量です」
セシルは机の上に並べられた記録を指した。
「確かに、今年は雨の降り方が変わっています。短時間に大量の雨が降ることも増えました」
「うん」
「ですが、今回の河川の増水量は、それだけでは説明できません」
ユージは眉をひそめた。
「つまり?」
「どこかから、大量の水が一気に流れ込んだ可能性があります」
「どこかって……」
ユージが窓の外を見る。
その先には。
巨大な山脈がそびえていた。
◇
「やっぱり、ここだな」
リシュンが装置を操作する。
空中に、山脈の立体図が浮かび上がった。
聖王国が保有する地形図。
過去の測量記録。
そして。
ホワイトタイガーが撮影した、上流域の航空写真。
それらを重ね合わせたものだ。
その場にいたのは、ユージ、リシュン、アルノルト、セシル。
そして枢機卿。
「ここを見てください」
アルノルトが、山脈の一角を指した。
リシュンがその部分を拡大する。
白く表示された山々。
その谷間に。
青い水面があった。
「湖?」
ユージが首を傾げる。
「はい」
アルノルトが頷いた。
「かなり大きな湖です」
「こんなの前からあったのか?」
「ないよ」
今度はリシュンが答える。
「少なくとも、一年前の地形図にはない」
「一年?」
ユージが目を丸くした。
「一年で、こんなでかい湖ができたってのか?」
「そういうことになるな」
リシュンが、過去の測量図と航空写真を重ね合わせる。
すると。
湖の奥にある白い部分が、以前より明らかに小さくなっていることが分かった。
「こちらをご覧ください」
アルノルトが指し示す。
「以前の測量記録と比較すると、氷河の末端がかなり後退しています」
「氷河?」
「はい」
アルノルトは淡々と説明を続ける。
「氷が融けたことで、大量の水がこの谷に溜まったと考えられます」
セシルが投影図を見つめる。
「では、この湖の水が、一気に川へ流れ込んだということですか?」
「おそらくは」
アルノルトが頷いた。
「ただし、最初から湖だったわけではありません」
リシュンとアルノルトの目が合う。
三秒。
「土砂と氷か」
「ええ。おそらく」
リシュンが投影図の一部を拡大する。
「この辺りだな」
「そうですね。氷河が後退したあと、土砂や氷によって天然の堤が形成されたのでしょう」
「そこへ融けた水が溜まった」
「そして、何らかの理由で堤が決壊した」
二人が同時に黙る。
ユージが腕を組んだ。
「要するに」
全員がユージを見る。
「山の上に勝手にダムができて、それがぶっ壊れたってことか?」
アルノルトが少し考えた。
「……非常に大雑把ですが、その理解で間違いありません」
リシュンが笑う。
「相変わらずリーダーは、説明を雑にするのが上手いな」
「馬鹿野郎、デフォルメって言うんだ」
「ってか、褒めてねえだろ、それ」
セシルが小さく笑った。
枢機卿も口元を緩める。
だが。
ユージの表情は、すぐに真剣なものへ戻った。
(氷河湖決壊洪水……だったか)
日本にいた頃、テレビか何かで聞いたことがある。
氷河が融けて湖ができる。
それをせき止めていたものが崩れ、大量の水が一気に下流へ押し寄せる。
今回の洪水は。
おそらく、それだ。
「しかしお前ら」
ユージは投影された氷河を見つめた。
「氷河が融けるって、大変なことだぞ」
「そうですね」
アルノルトが答える。
少し考え。
頭の中で何かを計算するように、視線を動かした。
「これまでの観測結果から概算すると、この世界に存在する陸上の氷がすべて融けた場合、海水面は五十から六十メートル程度上昇する可能性があります」
「……は?」
ユージが固まった。
セシルも目を見開く。
「五十から六十メートル……ですか?」
「はい。現在の沿岸部の平野は、かなりの範囲が水没するでしょう」
アルノルトは淡々と続ける。
「現在利用されている農地の多くも、海に沈むと考えられます」
「お前それ、やっぱ大変じゃねえか!」
ユージが叫ぶ。
「まあ、いくら何でも短期間に全量融けるわけではありません」
「先にそれを言え!」
「しかし、このまま融解が続けば、百年後には現実になっているかもしれません」
「百年後には、さすがに俺たちは誰も生きてねえな」
「百年……」
枢機卿が呟いた。
「確かに、ずいぶん先の話に聞こえるのだよ」
その時だった。
「待てよー!」
「そっち行くなって!」
子供たちの声が聞こえた。
ユージが振り返る。
復旧作業の続く道を、数人の子供たちが走っていく。
泥だらけの服で。
笑いながら。
ユージは、その背中をしばらく見つめていた。
「だからって、知らないとは言えないよな」
枢機卿も、走り去っていく子供たちを見ていた。
「……そうなのだよ」
しばらく。
誰も何も言わなかった。
やがてユージは、もう一度投影図へ目を戻した。
白い山。
青い湖。
そして。
以前より明らかに小さくなった氷河。
「でもよ」
ユージが言った。
「なんで、こんなに氷が融けたんだ?」
暑くなったユージア国。
霞んだ王国の空。
大量の石炭を燃やす魔王国。
切り開かれていく森。
ユージの頭の中で、点が線を描いていく。
(まさか……全部繋がっているのか?)
嫌な予感がした。
できれば。
ただの考えすぎであってほしい。
だが、この世界は。
ユージのそんな願いを、簡単には聞き入れてくれなかった。




