第205話 何が起きている?
聖王国を襲った洪水。
その原因が、山脈の奥にできた氷河湖の決壊だったことは、ほぼ間違いない。
問題は。
なぜ、氷河がそれほどの勢いで融けているのか。
「なあ」
ユージは、空中に投影された山脈の姿を眺めながら言った。
「世界全体の気温って、昔と比べてどうなってるんだ?」
「世界全体?」
リシュンが首を傾げる。
「ああ。ここだけじゃなくて、王国も魔王国も、ネバランドも。全部だよ」
「そんなもの、調べたことないな」
「ですよね」
アルノルトも頷いた。
「各国に気象の記録はあるでしょうが、世界全体で比較した者はいないと思います」
「じゃあ、集めてみようぜ」
「簡単に言うなあ」
「お前らならできるだろ?」
「そういう時だけ信用するんだな、リーダーは」
「頼りにしてるって言え」
「同じことじゃないか?」
ユージは無視した。
◇
数日後。
各国から、ありったけの記録が集められた。
聖王国には、セシルたちが蓄積してきた気温や降水量、河川水位の記録がある。
王国には、農作物の栽培や河川管理のための記録が残されていた。
魔王国にも、鉱山や鉄道を運営するために各地の気象を記録した資料がある。
ネバランド帝国にも、航海や漁業のために残された海水温や気象の記録があった。
もちろん。
測り方も。
測った時間も。
場所も違う。
単純に数字を並べただけでは、比較にならない。
「観測地点の場所と時期。それから、周囲の環境から生じるノイズを取り除いて、と」
アルノルトが、集められた記録を次々と整理していく。
リシュンも、その横で数字を確認していた。
ユージは、しばらく二人の作業を眺めていたが。
「……おい」
「ん?」
「お前ら、いつ統計学なんて勉強したんだ?」
「統計学?」
リシュンが首を傾げる。
「何だそりゃ?」
「こんなの当然ですよ?」
アルノルトまで、不思議そうな顔をする。
「条件揃えなきゃ、数字の意味がないじゃないか」
「いや、まあそうなんだが……妙にこなれてるなって思って」
ユージは二人の顔を見比べた。
そして。
「いや、そいやそうだな。なにせお前ら天才だからな」
「そんなことより」
アルノルトがあっさりと流す。
「データがまとまりました」
「お、どうだった?」
「ああ」
リシュンの表情から笑みが消えた。
「かなりヤバいな」
「どういうこと?」
アルノルトが、整理された数字を見つめる。
「一言で言うと――」
一度、言葉を切った。
「とんでもない速度で、温暖化が進んでいるということです」
「……」
「この傾向が続くなら」
リシュンが投影された数字を睨む。
「こりゃ、百年持たないかもな」
「マジか……」
ユージの顔からも、笑みが消えた。
百年。
つい先日。
アルノルトが口にした数字だった。
だが。
どうやら、それすら楽観的だったらしい。
「ただし」
アルノルトが続ける。
「気温が上昇していることは確認できましたが、原因までは分かりません」
「……いや」
ユージが言った。
「たぶん、分かる」
「分かる?」
「ああ」
ユージは頭を掻いた。
「これさ、俺がいた世界でも起きてるんだよな」
「そうなのか?」
リシュンが身を乗り出した。
「ああ。石炭なんかを燃やすと、二酸化炭素ってのが増えるんだ」
「二酸化炭素?」
「それが温室効果っていってな。熱を逃げにくくするんだよ」
「なるほど。煙の成分ってことだな」
「まあ、煙そのものじゃねえんだけど……その辺は今はいい」
「よくないと思いますが」
アルノルトが真顔で突っ込む。
「細けえな、お前は!」
「科学者ですから」
「……まあいい」
ユージは話を戻した。
「あと、木を切ると、二酸化炭素を吸収してくれる量も減るんだ」
「なるほど」
アルノルトが頷く。
「排出量が増える一方で、吸収量が減少するわけですね」
「そういうこと」
ユージは両手をパン、パンと叩いた。
「往復ビンタってことだな」
「……その表現はどうかと思いますが」
「分かりやすいだろ?」
「まあ、意味は分かります」
リシュンが苦笑する。
「そりゃ不味いな」
「だろ?」
「他には?」
アルノルトに聞かれて。
ユージは腕を組んだ。
「う〜ん……」
記憶を探る。
「家畜のげっぷとかもダメだな」
「……げっぷ?」
リシュンが眉をひそめた。
「冗談はよしてくれ」
「いやいや、冗談じゃないんだよ」
「げっぷで世界が暖かくなるのか?」
「俺だって最初に聞いた時はそう思ったよ」
ユージは苦笑した。
「でもな。みんなが豊かになったら、肉を食うようになるだろ?」
「まあ、そうだな」
「そしたら家畜が増えるじゃないか」
「当然ですね」
「家畜は、大量の草を食べて、大量のげっぷをするんだ」
「……それで?」
「そのげっぷに、メタンってガスが含まれてる。なんとこれがバカにならない」
「メタン……」
アルノルトの目が変わった。
研究者の目だ。
「それにも、温室効果が?」
「ああ。確か、二酸化炭素よりずっと強かったはずだ」
「確か?」
「俺は産廃屋だぞ。気候学者じゃねえ」
「威張って言うことか?」
「うるせえ」
リシュンとアルノルトが顔を見合わせる。
三秒。
「調べてみるか」
「ええ」
「何を?」
ユージが聞く。
「二酸化炭素と、そのメタンってやつだよ」
リシュンが答える。
「リーダーのいた世界と同じことが、この世界でも起きてるのかどうか」
「大気中の濃度を測定して、地域ごとの差も確認する必要がありますね」
「昔の大気も調べられればいいんだけどな」
「氷河の氷を採取できれば、何か分かるかもしれません」
「なるほど」
二人の会話が、どんどん加速していく。
ユージは黙って眺めていた。
(始まったよ……)
だが。
今は止める理由もない。
むしろ。
徹底的に調べてもらった方がいい。
「とにかく」
ユージが二人の会話を遮った。
「今のままじゃヤバいってことだけは分かった」
「ああ」
「何とかしなきゃな」
「しかし」
アルノルトが尋ねる。
「何とかすると言っても、何かアイデアはあるのですか?」
「……すぐには思いつかねえな」
「何と無責任な!」
「いや、待て待て!」
ユージが慌てて手を振る。
「だいたい俺がいない間に、お前らが勝手にどんどん開発進めてくれちゃってたのが原因だろうが!」
「その開発を始めたのは、だいたいリーダーだけどな」
「うっ……」
「鉄道も」
「……」
「魔導機関も」
「分かった、分かった!」
ユージは頭を掻いた。
「でも、全部俺のせいにされても困るぞ」
「誰もそこまでは言っていませんよ」
アルノルトが冷静に返す。
「……まあでも」
ユージは、もう一度腕を組んだ。
「ちょっと考えなきゃならんな」
便利になった。
豊かになった。
腹いっぱい飯が食えるようになった。
遠くまで簡単に物を運べるようになった。
その全部を。
今さら、なかったことになんてできない。
「でも、痛みを伴う改革しか、手はないんだよな……」
ユージはため息をついた。
「参ったな」
そう言って。
遠くを見つめるユージだった。




