第190話 帰還報告~聖王国編②
「セシルは、どこにいるんだ?」
「今頃は、いつもの場所にいるはずなのだよ」
「いつもの場所?」
「行けば分かるのだよ」
「なんだよ、それ」
相変わらず。
妙に含みを持たせた言い方をする男である。
枢機卿に案内され。
ユージたちは大神殿の奥へと進んだ。
長い廊下を抜け。
いくつかの部屋を通り過ぎる。
やがて。
「ここなのだよ」
枢機卿が一つの扉を開けた。
「…………」
ユージは中を覗き込む。
そして。
「なんだ、これ?」
思わず声が出た。
広い部屋だった。
壁には巨大な地図。
その地図には、色とりどりの印が付けられている。
机の上には。
大量の書類。
書類。
書類。
そして。
また書類。
その真ん中で。
一人の少女が、紙の束と格闘していた。
「えーっと……こっちは雨量が増加。こっちは井戸の水位が低下……」
紙に何かを書き込む。
別の紙を手に取る。
「北部の小麦は……去年より少し収穫量が……」
さらに。
別の紙。
「河川水位……」
「セシル」
「はい!?」
びくっ。
少女が顔を上げた。
「枢機卿様、今ちょっと忙し――」
途中で。
止まった。
「よう」
ユージが片手を上げる。
「…………」
セシルは。
目を見開いたまま動かない。
「久しぶり」
「…………」
「元気だった?」
「…………」
「おーい」
「ユージ先生!」
勢いよく立ち上がった。
ガタン!
椅子が後ろへ倒れる。
「うおっ」
「本物ですか!?」
「たぶん」
「本当に本物ですか!?」
「偽物がいるの?」
「ユージ先生!」
セシルが駆け寄ってくる。
そのまま。
ユージの両手を握った。
「本当に帰ってきたんですね!」
「ああ」
「良かったぁ……」
顔いっぱいに笑みが広がる。
「みんな、すごく心配してたんですよ!」
「悪かったよ」
「私も、何か予兆がなかったのかって、ずっと調べたんです」
「俺が消える予兆?」
「はい!」
「そんなもんまで調べてたの?」
「でも、何も見つかりませんでした」
「いや」
ユージは首を振った。
「俺が消えた時の予兆は、間違いなくシュタインの爺さんの暴走だ」
「……それは予兆なんでしょうか?」
「少なくとも、あの爺さんが大人しくしてたら、俺は消えてない」
「それはそうですけど……」
セシルは困ったように首を傾げた。
「でも、それは予兆というより、原因なのでは?」
「…………」
言われてみれば、その通りである。
「セシル」
「はい?」
「成長したな」
「そこですか!?」
「でも、良かったです」
セシルはもう一度笑った。
「本当に」
「うん」
ユージも笑う。
「ただいま、セシル」
「はい!」
◇ ◇ ◇
「それにしても……」
ユージは部屋を見回した。
「すごいことになってんな」
「あっ」
セシルが少し恥ずかしそうに笑った。
「散らかってて、すみません」
「いや、そういう意味じゃなくて」
壁の地図を見る。
「これ、全部お前が調べてんの?」
「はい」
「一人で?」
「各地から報告してもらっています」
セシルは机の上の書類を手に取った。
「雨の量や、川の水位、作物の収穫量、病気の発生状況、それから事故や災害なんかもです」
「へえ」
「全部を見るのは大変ですけど」
セシルは嬉しそうに笑った。
「学校で教えていただいた予兆管理が、本当に役に立ってるんですよ」
「そっか」
ユージは素直に嬉しくなった。
自分が教えたことを。
ちゃんと覚えている。
それどころか。
実際の仕事に使っている。
「枢機卿から聞いたよ」
「何をですか?」
「お前、ずいぶん頑張ってるらしいじゃん」
「いえいえ」
セシルは慌てて両手を振った。
「そんなに頑張ってはいないんですよ」
「そうなの?」
「はい」
セシルは笑った。
「学校と実地研修で学んだことを生かして、気付いたことを、すべて神様に報告しているだけなんです」
「……神様に?」
「はい!」
「…………」
ユージは。
ちらりと枢機卿を見る。
枢機卿は。
にこにこしている。
「そうすると、何故か巫女さまが神託の言葉として、皆を導いてくれるのです」
「何故か、ねえ……」
「不思議ですよね!」
「うん」
ユージはもう一度。
枢機卿を見る。
やっぱり。
にこにこしている。
「だから、私はもっともっと世の中の状況を良く見極めて、どんどん神様に報告していかなきゃなんないんです」
「……そっか」
「はい!」
満面の笑みだった。
(こいつ、絶対分かってないな)
ユージは思った。
だが。
本人がやる気になっているのだから。
余計なことを言う必要もないだろう。
たぶん。
◇ ◇ ◇
「それで」
ユージは壁の地図へ近づいた。
「さっきの神託も、お前が気付いたの?」
「南部の大河ですか?」
「そう、それ」
「はい」
セシルの表情が変わった。
先ほどまでの笑顔が消える。
「最近、少し変なんです」
「変?」
「雨の降り方が」
セシルは地図の一点を指差した。
「この辺りでは、以前より雨の降らない日が増えています」
「雨が減ったってこと?」
「いえ」
セシルは首を振った。
「一年間に降る雨の量そのものは、それほど変わっていません」
「じゃあ、何が変なんだ?」
「降り方です」
「降り方?」
「はい」
セシルは別の紙を取り出した。
「雨が降らない日が長く続くようになったのに、一度降り始めると、ものすごくたくさん降るんです」
「へえ」
「だから、川の水位が急に上がることが増えました」
「それで堤防か」
「はい」
「なるほどね」
「別の地域では、逆のことも起きています」
「逆?」
「雨が少ないままなんです」
セシルは地図の別の場所を指差す。
「井戸の水位が下がったり、作物の育ちが悪くなったりしています」
「ふーん……」
ユージは地図を見る。
「昔から、そういう土地だったんじゃないの?」
「私も最初はそう思いました」
「違うの?」
「昔の記録も調べました」
セシルは机から分厚い記録を持ってきた。
「十年前。二十年前。残っているところは、もっと昔まで」
「そこまで調べたの?」
「はい」
「真面目だなあ」
「予兆管理ですから!」
胸を張る。
だが。
すぐに。
その表情が曇った。
「やっぱり、最近なんです」
「何が?」
「こういう変化が増えたのが」
「…………」
「だから、何か原因があると思うんです」
セシルは地図を見る。
「でも」
少し困ったように。
首を傾げた。
「それが、まだ分からないんです」
「天気なんて、そんなもんじゃないの?」
「そうなんでしょうか?」
「俺に聞くなよ」
「ユージ先生なら、何か知ってるかと思って」
「俺は天気の専門家じゃないよ」
「そうですよね」
「納得するの早いな」
セシルが笑った。
ユージも笑う。
だが。
壁に貼られた地図が、少し気になった。
雨。
川。
井戸。
作物。
昨日見た。
魔王国の山。
削られた斜面。
舞い上がる石炭の粉。
その前に見た。
王国の製鉄所。
空へ伸びる煙。
「…………」
「ユージ先生?」
「あ?」
「どうしました?」
「いや」
ユージは首を振った。
「なんでもない」
まだ。
それぞれが結びつく理由などない。
ただ。
なんとなく。
本当に、なんとなくだが。
この一年。
世界は少し変わった。
そんな気がした。




