第179話 さよならは、前触れもなく
ユージは、しばらくリシュンを見つめた。
その顔に、いつもの穏やかな笑みが浮かぶ。
「分かった」
リシュンが制御盤へ向き直る。
だが、その瞬間。
表示盤の全ての文字が赤く光った。
装置の奥から、地響きのような音が鳴る。
ブォォォン――!
倉庫全体が激しく揺れた。
「リシュン!」
アルノルトが叫ぶ。
「転送が始まります!」
「分かってる!」
リシュンは最後の停止装置へ手を伸ばす。
レバーを引く。
動かない。
両手で掴み、全身の力を込める。
「動け!」
レバーは僅かに軋んだだけだった。
「動けよ!」
焼けた皮膚が裂け、手から血が流れる。
それでも、リシュンは手を離さない。
「止まれ!」
ユージは、その姿を静かに見つめていた。
そして、皆の顔を一人ずつ見回した。
泣いているナーチャン。
拳を握り締めるタケシト。
必死に装置を調べるアルノルト。
涙を堪える神楽耶とハミータ。
床に膝をつき、項垂れるシュタイン。
最後まで装置を止めようとしているリシュン。
皆と出会ってから、どれほどの時間が過ぎただろう。
最初は、元の世界へ帰ることしか考えていなかった。
この世界の人間とは関係ない。
自分には何もできない。
面倒なことには関わりたくない。
そう思っていた。
だが、いつの間にか。
大勢の仲間ができた。
共に笑った。
共に酒を飲んだ。
共に馬鹿なことをした。
危険な目にも遭った。
何度も面倒事へ巻き込まれた。
それでも。
楽しかった。
ここはもう、見知らぬ異世界ではない。
ユージにとって、もう一つの故郷だった。
「皆、聞いてくれ」
ユージが声を上げる。
「黙れと言っただろ!」
リシュンが叫ぶ。
「悪い」
「だったら黙ってろ!」
「でも、言えるうちに言っておくよ」
リシュンの手が止まる。
「言うな」
その声が震える。
「そんなことを言うな」
ユージは静かに笑った。
「お前たちと一緒に馬鹿出来て、楽しかったよ」
「ユージさま!」
ナーチャンが叫ぶ。
「ありがとうな」
「嫌です!」
「そんなことを言わないでください!」
「ユージさん!」
タケシトが光の壁へ詰め寄る。
「戻ってきてください!」
「まだ行ってないぞ」
「それでもです!」
「お前たちなら、俺がいなくたって問題ないさ」
「問題あります!」
ナーチャンが泣きながら首を振る。
「ユージさまがいないなんて、絶対に嫌です!」
「俺たちだけで大丈夫なわけないだろ!」
タケシトも叫ぶ。
神楽耶が唇を噛む。
「勝手なことを言うでない!」
「おぬしがいなくなってよいはずがなかろう!」
アルノルトは拳を握ったまま、声を絞り出す。
「ユージさんが必要です」
「この国にも、私たちにも」
ハミータも涙を流しながら頷いた。
シュタインが床へ額を擦りつける。
「すまん、ユージ!」
「必ず迎えに行く!」
リシュンは俯いたまま、何も言わない。
両手から、血が滴り落ちている。
ユージは、皆へ向かって笑った。
「だから、そんな顔せずに頑張れ!」
装置の光が、倉庫全体を白く染め上げる。
ユージの姿が、光の中へ溶けていく。
最後に、片手を上げた。
「じゃあな!」
「ユージさま!」
「ユージさん!」
「ユージ殿!」
「リーダー!」
皆の声が重なった。
次の瞬間。
凄まじい光が倉庫を埋め尽くした。
轟音と共に、強烈な衝撃が走る。
床が揺れ、壁際に積まれていた資材が崩れ落ちた。
誰も目を開けていられなかった。
やがて。
光がゆっくりと弱まっていく。
高速で回転していた輪が、徐々に速度を落とす。
魔石の光が、一つ、また一つと消えていった。
倉庫の中に、静寂が戻る。
円形の台座の上には、誰もいなかった。
「ユージさま……?」
ナーチャンが呟く。
返事はない。
「ユージさま!」
光の壁が消えると同時に、ナーチャンが台座へ駆け上がった。
「ユージさま!」
台座の上。
装置の裏側。
倉庫の隅。
どこを見ても、ユージの姿はなかった。
「ユージさま……」
ナーチャンは台座の中央に座り込み、顔を覆った。
タケシトが、その隣へ立つ。
神楽耶はハミータに支えられながら、声を殺して泣いていた。
アルノルトは動かなくなった装置を見つめ、拳を握っている。
シュタインは床へ両膝をつき、項垂れていた。
リシュンだけが、操作盤の前に立っていた。
俯いたまま、表示された術式を確認している。
「リシュン」
タケシトが呼び掛ける。
「リーダーは、どこへ行ったんだ?」
「前回みたいに、ひょっこりその辺に転送されたりしないのか?」
リシュンは答えない。
何度も表示を確認する。
転送先の座標。
吸収された魔力量。
術式の展開状況。
転送の完了を示す記録。
どこにも異常はなかった。
装置は、リシュンが設計した通りに動いた。
安全装置が作動しなかったことを除けば。
長い沈黙の後。
リシュンは、掠れた声で答えた。
「転送は成功した」
ナーチャンが顔を上げる。
「本当ですか?」
「ああ」
「座標も間違ってない」
リシュンは、誰もいなくなった台座を見つめた。
「リーダーは、元いた世界へ帰った」
「無事なのですか?」
アルノルトが尋ねる。
リシュンは答えられなかった。
転送そのものは成功している。
だが、向こう側の様子を確かめる方法はない。
「分からない」
正直に答える。
「でも、転送途中で失敗した形跡はない」
「なら、ユージ殿は生きておるのじゃな?」
神楽耶が尋ねる。
「ああ」
リシュンは頷いた。
「リーダーは、あれくらいで死なない」
根拠などなかった。
だが、誰も否定しなかった。
やがて、シュタインが顔を上げた。
「リシュン」
「何だ」
「装置を直すぞ」
リシュンは、焼け焦げた回路を見る。
魔石のいくつかは砕け、導線も焼き切れている。
だが、前回とは違う。
装置は正常に作動した。
記録も残っている。
原因も分析できる。
「直すだけじゃダメだ」
リシュンが言う。
「リーダーの膨大な魔力に頼らない装置にしないと」
「そして今度は、双方向にする」
シュタインが目を見開く。
「こちらからリーダーの世界へ行ける」
「向こうからも、この世界へ戻ってこられる」
リシュンは血に濡れた手を握り締めた。
「そんな装置を作る」
しかし、それが如何に難しいことなのかを、皆は悟っていた。
沈黙が流れる。
その時、アルノルトが一歩前へ出た。
「私も全力でお手伝いします」
タケシトも頷く。
「俺もやる」
ナーチャンが涙を拭い、立ち上がる。
「私もです」
「絶対に、ユージさまを連れ戻します」
神楽耶が顔を上げた。
「国中の技術者を集めよう」
「必要な材料も、魔石も、全て用意する」
ハミータも静かに頷く。
シュタインは拳を胸へ当てた。
「わしの持つ知識も、全て使う」
リシュンは皆の顔を見回した。
そして、ユージの消えた台座へ目を向ける。
「待ってろ、リーダー」
小さく呟いた。
「今度は、俺たちがそっちへ行く」
その頃。
製鉄所の外では、突然の轟音と光に驚いた者たちが、倉庫を見つめていた。
ペーターは手にしていた杯を下ろし、珍しく笑みを消している。
その隣では、マイヤンが倉庫から溢れ出した魔力の残滓を感じ取り、険しい表情を浮かべていた。
アサダは何かを察したように目を伏せる。
サムは拳を固く握り締め、倉庫の入口を見つめている。
枢機卿もまた、言葉を発することなく、静かに祈りを捧げていた。
親方や職人たち。
兵士たち。
ユージア国に集った大勢の者たちが、ただ黙って倉庫を見つめていた。
つい先ほどまで、製鉄の成功を祝う歓声に包まれていた広場から、全ての音が消えていた。
失われていた製鉄技術が蘇り、ユージア国が新たな時代への一歩を踏み出した日。
同じその日に。
誰よりも多くの者を救いながら、最後まで自分は何もしていないと言い張った一人の男が、元の世界へ帰っていった。
だが。
彼が残したものは、決して消えない。
彼と出会った者たちがいる。
彼の言葉を受け継ぐ者たちがいる。
そして、彼を必ず迎えに行くと誓った仲間たちがいる。
ユージと仲間たちの物語は、まだ終わらない。
【第三部 完】
皆さま、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
これにて『枯れたおっさん、何もしないで異世界を救う』第三部、完結です。
第三部では「製鉄所建設」を軸に物語が進みましたが、私が本当に描きたかったのは、鉄そのものではありません。
知識を受け継ぎ、人を育て、その人たちがさらに次の世代へ技術をつないでいく――そんな「文明を築く」という営みでした。
ユージは決して万能ではありません。
知っていることを仲間に伝え、仲間が知恵を出し合い、それぞれの力で形にしていく。
そんな姿を書いているうちに、私自身も「主人公一人が世界を救う物語」ではなく、「みんなで未来を創る物語」になっていったように感じています。
ここまで読んでくださった皆さま、ブックマークや評価、感想をくださった皆さまには、心から感謝申し上げます。
皆さまの応援があったからこそ、ここまで書き続けることができました。
そして物語は、まだ終わりではありません。
高炉に火は入りました。
文明はようやく歩き始めたばかりです。
ユージたちの挑戦は、この先さらに大きな舞台へと続いていきます。
第四部では、新たな出会い、新たな試練、そしてこれまで育ててきた技術や人材が世界をどう変えていくのかを描いていく予定です。
少し準備期間をいただいた後、また皆さまとお会いできれば嬉しく思います。
これからも『枯れたおっさん、何もしないで異世界を救う』を、どうぞよろしくお願いいたします。




