第161話 間違ってなかったんだ 前編
セシルは、タブレットを見つめたまま、なかなか口を開けずにいた。
「あの……。」
小さく呟いた声は、自分でも驚くほど頼りなかった。
自分は、聖王国の期待を背負って、この学校へやって来た。
送り出してくれた枢機卿も、
『しっかり学んで来るのですよ。』
そう優しく背中を押してくれた。
だからこそ。
失敗は許されない。
でも。
聞きたいことは山ほどあった。
昔から、何か疑問に思うと、納得するまで質問を続けてしまう。
その度に返ってくるのは、決まって困ったような表情だった。
『また始まった。』
『そんな細かいこと、どうでもいい。』
『面倒くさい子ね。』
だから、いつしか質問することが怖くなっていた。
ここでも、また同じだったら……。
そんな不安が、胸の中をぐるぐると巡っていた。
『セシルさん。』
優しい声が響く。
愛ちゃんだった。
『何か、疑問に思うことがありますか?』
セシルは一瞬戸惑う。
「えっ……。」
『もし疑問があれば、遠慮なく質問してください。』
『どんな小さなことでも構いません。』
『納得できるまで、一緒に考えましょう。』
セシルは思わず顔を上げた。
「本当に……。」
「何を聞いても、いいんですか?」
『もちろんです。』
『質問は、学びの第一歩ですから。』
その一言だけで、胸のつかえが少し軽くなった気がした。
◇
『では今日は、因果関係について学びましょう。』
「因果関係?」
聞き慣れない言葉に、セシルは首を傾げる。
『その前に、お聞きします。』
『聖王国では、神託についてどのように教わりましたか?』
「神様が、進むべき道を示してくださるものだと教わりました。」
『そうですね。』
愛ちゃんは穏やかに頷いた。
『実は私は。』
『神様は、少し説明を端折っておられるのではないかと思うのです。』
「端折る……ですか?」
『神様は、すべてを見通しておられます。』
『ですから、結果だけを皆さんに伝え、その過程を省略されることが多いように感じます。』
『もしかしたら、少し面倒くさがり屋さんなのかもしれませんね。』
セシルは思わず目を丸くした。
「そんなこと言ったら、神様怒っちゃいませんか?」
セシルは思わず辺りを見回した。
愛ちゃんは、くすりと笑う。
『大丈夫ですよ。』
『皆さんが真剣に学ぼうとしていることを、神様がお怒りになるとは思えません。』
『それに。』
『もし本当にそうなら――』
愛ちゃんは少し悪戯っぽく笑った。
『ユージさんは、とっくの昔に神様から何度も大目玉をもらっています。』
一瞬の静寂。
「ぷっ。」
セシルは思わず吹き出した。
「確かに……。」
ユージの顔を思い浮かべる。
神託を聞いても、
「何で?」
「どうして?」
「理由は?」
と、神様相手にも平気で聞き返していそうだ。
『ユージさんは、理由が分からないと納得できない方ですから。』
『神様も、きっと慣れておられるでしょう。』
セシルは声を上げて笑った。
『ですが。』
『物事には、必ず因果関係というものがあります。』
「因果関係……。」
『はい。』
『すべての結果には、必ず原因があります。』
『例えば、機械が故障したとしましょう。』
『老朽化でしょうか。』
『初期不良でしょうか。』
『設計に問題があったのでしょうか。』
『あるいは、整備不足だったのでしょうか。』
『原因を調べずに部品だけ交換しても、また同じ故障を繰り返すかもしれません。』
『それでは対症療法です。』
『根本的な解決には至りません。』
セシルは真剣な表情で頷いた。
『熟練の技術者は、機械と会話すると言います。』
『少し詩的な表現ですね。』
『ですが、その本質は違います。』
『毎日真剣に機械と向き合っていると。』
『ほんの少しの異音。』
『わずかな焦げた匂い。』
『微妙な振動。』
『軸のブレや回転速度の変化。』
『そうした小さな違和感に気付けるようになります。』
『そして、その違和感の原因を突き止めます。』
『大きな事故や故障になる前に対処する。』
『それこそが、「機械と会話する」という言葉の本当の意味なのです。』
セシルは食い入るように画面を見つめていた。
『これは、機械だけの話ではありません。』
『例えば。』
『最近、残業時間が増えてきた。』
『薬品の使用量が増えてきた。』
『生産性が少しずつ下がってきた。』
『日々、さまざまな変化が起こります。』
『ですが、それらをただ漫然と眺めていてはいけません。』
『なぜ、その変化が起きたのでしょう。』
『必ず、何らかの原因があります。』
『原因が分かれば、対策を立てることができます。』
『原因を放置すれば、やがて大きな事故や故障、あるいは生産停止につながるかもしれません。』
『だからこそ。』
『小さな違和感を見逃さず、その原因を追究する姿勢が大切なのです。』
そして愛ちゃんは、優しく微笑んだ。
『セシルさん。』
『あなたは、分からないことがあると、納得するまで質問を続けますね。』
『その探究心は、製鉄所を支える技術者や管理者にとって、何より大切な資質なのです。』
その言葉を聞いた瞬間。
セシルは、目の前を覆っていた霧が、すっと晴れていくような錯覚を覚えた。
(ここでは……。)
(私の行動が認められるんだ。)
いや。
認められるどころではない。
皆から「面倒くさい」と言われ続けた自分の性格を。
この学校では、「長所」だと言ってくれた。
(そっか……。)
(私、間違っていなかったんだ。)
気が付くと、頬を二筋の涙が伝っていた。
セシルは涙を拭うことも忘れ、おもむろに手を挙げる。
「愛ちゃん先生!」
「質問があります!」
「いえ、たくさんあります!」
愛ちゃんは満面の笑みで頷いた。
『はい!』
『何でも、いくつでもどうぞ!』
その笑顔を見た瞬間。
セシルは確信した。
(ここなら……。)
(私は、思う存分学べる。)




