第160話 力だけじゃない
カンッ!
木剣同士が激しくぶつかり合う。
「はあっ!」
リリスは鋭く踏み込み、一気に間合いを詰めた。
右、左。
流れるような連撃に、相手は防戦一方となる。
「速い……!」
「さすがロクローマル教官の弟子だ!」
見学していた近衛隊員たちから感嘆の声が漏れた。
しかし。
相手は不敵に笑った。
「剣の腕は、本物だ。」
ユージア国近衛隊訓練生、ライアン。
近衛隊入隊を目指し、日々厳しい鍛錬を積んでいる青年だった。
ライアンは木剣を受け流すと、一気に間合いを潰した。
「なっ!?」
木剣を絡め取り、そのまま体を密着させる。
次の瞬間。
ぐいっ。
リリスの体が宙に浮いた。
「しまっ──!」
ドサッ!
背中から地面へ叩きつけられる。
「そこまで!」
審判役の教官が右手を上げた。
「勝者、ライアン!」
周囲から拍手が起こる。
ライアンは木剣を収めると、苦笑しながら手を差し出した。
「悪かったな。」
「剣だけなら、俺が負けてたかもしれねぇ。」
「でも、組み合いになっちまえば、男が有利だからさ。」
リリスは悔しそうにその手を見つめた。
やがて、小さく息を吐いて手を取る。
「ありがとうございました。」
ライアンは照れくさそうに笑った。
「また胸を貸すよ。」
「次は俺が負けるかもしれねぇ。」
リリスは笑顔を作ろうとしたが、うまく笑えなかった。
◇
昼休み。
リリスは校舎裏の木陰に一人座り込んでいた。
「やっぱり……。」
ぽつりと呟く。
「力じゃ、男には敵わないんだ……。」
ロクローマル教官のような豪将。
誰よりも強く。
誰よりも前に立ち。
皆を勝利へ導く英雄。
そんな将になりたかった。
でも。
今日の演習ではっきりと思い知らされた。
剣の腕では互角に渡り合えても。
最後は、腕力の差で押し切られてしまう。
「やっぱり。」
「あたしには無理なのかな……。」
「こんなところにおったか。」
聞き慣れた声に振り向く。
神楽耶だった。
「神楽耶先生……。」
神楽耶はリリスの隣に腰を下ろす。
「そう落ち込むでない。」
「個人の戦闘力だけであれば、妾もユージ殿もタケシトには到底及ばぬ。」
リリスは思わず目を丸くした。
「えっ?」
「ユージさんも?」
「もちろんじゃ。」
「リシュンやアルノルトなどは、論外じゃな。」
思わず吹き出す。
神楽耶も楽しそうに笑った。
「じゃがの。」
「そんな皆が、それぞれの役割を果たしておるが故に、ユージア国は強いのじゃ。」
リリスは黙って耳を傾ける。
「おぬしには、おぬしにしかできぬことがあろうて。」
「それを探すのも、この学校の目的の一つじゃ。」
神楽耶は立ち上がり、校舎へ向かって歩き始めた。
「ささ。」
「午後の授業が始まるぞよ。」
リリスは空を見上げ、小さく息を吐く。
(あたしにしか、できないこと……。)
(本当に、そんなものがあるのかな。)
◇ ◇ ◇
午後の授業が始まった。
教室の照明がゆっくりと落とされる。
愛ちゃんの穏やかな声が響いた。
『本日のテーマは、兵站です。』
次の瞬間。
タブレットの上に光が集まり、教室の中央へ立体映像が浮かび上がる。
「わぁ……。」
山脈。
河川。
街道。
都市。
補給拠点。
そして、赤と青の駒が配置された巨大な砂盤。
まるで本物の戦場を見下ろいているかのようだった。
『なお、本日の教材は、ユージさんが元の世界で学ばれた歴史を基に再現したものです。』
『この世界とは歴史も地理も異なります。』
『ですが、人が集団で戦う以上、その本質は変わりません。』
『皆さんは、この歴史から「戦争とは何か」を学んでください。』
愛ちゃんが砂盤へ手をかざす。
赤い駒が、一斉に進軍を始めた。
『ある時代。』
『史上最強と呼ばれた名将は、六十万を超える大軍を率いて、大陸の奥深くへ侵攻しました。』
街が次々と占領される。
「すごい!」
「圧勝じゃない!」
しかし。
青い駒は決戦を避けるように後退を続ける。
街を捨て。
食料を運び去り。
倉庫へ火を放つ。
「逃げてるだけじゃん。」
リリスが首を傾げる。
やがて季節が変わる。
砂盤に雪が降り積もった。
すると。
赤い駒が、一つ、また一つと消えていく。
「えっ?」
「なんで!?」
『寒さ。』
『飢え。』
『疫病。』
『そして、長く伸び過ぎた補給線。』
『名将は敵軍に敗れたのではありません。』
『補給に敗れたのです。』
教室は静まり返った。
『続いて、二つ目の事例です。』
砂盤は大海原へ姿を変える。
東方の小さな島国。
そして、圧倒的な国力を誇る巨大国家。
『ある島国は、国力差を覆すため奇襲攻撃を選択しました。』
奇襲は成功する。
敵艦隊が次々と撃破される。
「すごい!」
「これなら勝てる!」
しかし。
戦線は少しずつ広がっていく。
一つの島。
また一つの島。
さらに遠くの島へ。
補給船は長い航路を往復し続けた。
やがて。
一隻。
また一隻と、その姿が消えていく。
『輸送船を失いました。』
『石油を失いました。』
『補給線を失いました。』
「つまりは、詰んだということ?」
『そうですね。』
『本来、この国に勝機があるとすれば。』
『奇襲によって短期間で敵中枢へ迫り、講和へ持ち込むことでした。』
『しかし、戦線を広げ過ぎました。』
『その結果、自ら補給能力の限界を超えてしまったのです。』
砂盤の上に、一隻の巨大な戦艦が現れる。
『そして最後には。』
『その国が世界に誇った巨大戦艦でさえ、帰還する燃料を積むことができず、片道分の燃料だけを積んで出撃することになります。』
リリスは思わず声を上げた。
「だって……。」
「片道分じゃ、帰れないじゃん!」
愛ちゃんは静かに頷いた。
『はい。』
『皆、それは当然分かっていました。』
『それでも出撃せざるを得なかったのです。』
『帰ることができないと分かっていながら、出撃せざるを得ない。』
『その兵士たちの気持ちを考えると、いたたまれませんね。』
教室が静まり返る。
誰一人、言葉を発しない。
愛ちゃんは砂盤へ視線を戻した。
『では、リリスさん。』
『もし、あなたが一万の軍を率い、敵が十万だったら、どう戦いますか。』
リリスは迷うことなく答えた。
「正面突破!」
愛ちゃんは優しく微笑んだ。
『とても勇ましいですね。』
『その一本気なところが、リリスさんの長所でもあり、弱さでもあります。』
リリスは少し照れくさそうに頭を掻いた。
『では、先ほどの二つの事例を思い出してください。』
『やはり戦争は、数が物を言います。』
『同じ条件で戦えば、大軍が有利です。』
『しかし、歴史を振り返ると、少数が大軍に勝利した例も数多く存在します。』
『さて。』
『どうすれば、そのような戦いが可能になるのでしょうか。』
『少し考えてみてください。』
教室が静まり返る。
リリスは砂盤を見つめた。
大軍。
長く伸びた補給線。
街道。
補給拠点。
輸送船。
そして、帰ることのできなかった巨大戦艦。
ふと、神楽耶の言葉が頭をよぎる。
――おぬしには、おぬしにしかできぬことがあろうて。
リリスは砂盤へ歩み寄った。
「……ここ。」
街道を指差す。
「もし、この道を使えなくしたら?」
『はい。』
愛ちゃんは静かに頷く。
リリスはさらに考える。
「こっちの食料庫を焼いたら?」
『その軍は補給能力を失います。』
「橋を落としたら?」
『進軍速度は大幅に低下します。』
「港を押さえたら?」
『海上からの補給は止まります。』
リリスはハッと顔を上げた。
「そうか!」
「兵隊を倒すんじゃない!」
「戦えなくすればいいんだ!」
愛ちゃんは穏やかに微笑んだ。
『その通りです。』
『兵士は食べなければ戦えません。』
『武器が届かなければ戦えません。』
『薬がなければ傷を癒やせません。』
『馬がいなければ進軍できません。』
『燃料がなければ船も動きません。』
『どれほど勇敢な兵士も。』
『どれほど優れた将軍も。』
『兵站なくして勝利はありません。』
リリスは食い入るように砂盤を見つめていた。
「戦争って……。」
「前で戦う人だけじゃないんだ。」
『はい。』
『戦争とは巨大な組織活動です。』
『前線だけでは勝てません。』
『前線を支える無数の人々がいて、初めて勝利があります。』
ロクローマルの姿が脳裏に浮かぶ。
戦場を駆ける豪将。
その後ろには、数え切れないほど多くの人々がいたはずだ。
「あたし……。」
「戦いには、力こそが一番大切なんだって思ってた。」
静かに目を閉じる。
そして、小さく笑った。
「ロクローマル教官みたいな豪将には、なれないかもしれない。」
ゆっくりと顔を上げる。
「でも。」
「仲間を支えることなら。」
「あたしにも、できるかもしれない。」
愛ちゃんは優しく頷いた。
『その考え方こそが、兵站の第一歩です。』
教室は静まり返っていた。
誰も言葉を発しない。
砂盤の上では、片道分の燃料だけを積んだ巨大戦艦が、静かに港を離れていく。
その姿を見つめながら、リリスは胸の中で固く誓った。
(仲間を……。)
(あんな目には、絶対に遭わせたくない。)
(そうだ!)
(あたしは一生懸命兵站を学ぼう!)
(そしていつの日かーー)
(これが、あたしにしかできないことなんだって、胸を張って言えるようになるんだ!)
その日、リリスは初めて知った。
戦いを支える者こそが、勝利を支える者なのだということを。




