第151話 魔王国の少女 リリス 後編
その日の夕暮れ。
ロクローマルは、一通の辞令を手に、小さな家の扉を叩いた。
コンコン。
「リリス。」
「ロクローマル隊長?」
扉を開けたリリスは目を丸くした。
その奥から母も顔を出す。
「隊長様……。」
ロクローマルが家を訪ねて来たのは、これが初めてだった。
ロクローマルは静かに一礼する。
「夜分に失礼します。」
「リリス。」
「辞令だ。」
羊皮紙を差し出す。
リリスは首を傾げながら受け取った。
「ユージア国……?」
「私がですか?」
「ああ。」
「ユージ殿からの要請だ。」
「優秀な若者を育成する計画が始まる。」
「その第一期生として、お前を派遣する。」
リリスは何度か瞬きをした。
「えっと……。」
「左遷ですか?」
ロクローマルは眉をひそめる。
「違う。」
「栄転だ。」
「栄転?」
「向こうで多くを学び。」
「必ず帰って来い。」
「それがお前への命令だ。」
リリスは嬉しそうに笑った。
「はい!」
◇
荷造りは、すぐに終わった。
荷物と呼べるものは多くない。
着替えが数枚。
父の形見の短剣。
そして。
母が作ってくれた、お守り。
母は荷物を確認しながら、小さく笑った。
「また怒られちゃったんでしょ?」
「うん。」
「今回は?」
リリスは照れくさそうに笑う。
「助けてあげた子。」
「涙を流して喜んでたよ。」
「『ありがとう』って。」
「何回も言ってくれた。」
「だから。」
「私も嬉しかった。」
母は苦笑した。
「本当に……。」
「お父さんそっくりね。」
二人は顔を見合わせて笑う。
だが。
母の笑顔は、少しだけ曇った。
「でも。」
「これ以上、母さんを心配させないで。」
リリスは困ったように頭を掻く。
「ごめん。」
「でも。」
「たぶん、またやっちゃう。」
「そう言うと思った。」
二人はまた笑った。
母はリリスをそっと抱き締める。
「元気でね。」
「うん!」
◇
翌朝。
第三訓練隊の仲間たちが、門の前に整列していた。
ロクローマルも腕を組んで立っている。
リリスが馬車へ向かおうとした、その時だった。
「リリス!」
一人の少年兵が人垣をかき分けて駆け寄って来た。
数日前。
実地訓練で命を救われた、あの少年だった。
彼はリリスの前まで来ると、深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
涙が止まらない。
「僕……。」
「僕、絶対に強くなります!」
「今度は。」
「今度はリリスを、僕が守ります!」
リリスは一瞬だけ目を丸くした。
そして。
いつものように笑う。
「そりゃあ楽しみだね!」
「その時は、よろしく頼むよ!」
少年は涙をぬぐい、大きく頷いた。
「はい!」
「約束します!」
見習いたちから自然と拍手が起こる。
その輪は、第三訓練隊全体へと広がっていった。
ロクローマルは腕を組んだまま、小さく目を閉じる。
(……見たか。)
(オーノウ。)
(お前の生き方は。)
(ちゃんと受け継がれているぞ。)
彼が後に、魔王軍にこの人ありと謳われる五大将軍の一人として名を馳せることになるのは――
また別のお話。
◇
「リリス。」
「はい!」
ロクローマルが静かに呼び止めた。
「胸を張れ。」
「気合いで頑張って来い!」
「他国の連中に負けるんじゃないぞ!」
「はい!」
リリスが歩き出す。
「リリス。」
もう一度。
ロクローマルが呼ぶ。
リリスは振り返った。
「忘れるな。」
「お前は。」
「俺の部下だ。」
一拍。
ロクローマルは、まっすぐリリスを見つめる。
「そして何より。」
「オーノウの娘だ。」
リリスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
父の名を。
ロクローマルが口にしたのは。
初めてだった。
「……はい!」
涙をぬぐいながら、精一杯の敬礼をする。
「行って参ります!」
ロクローマルもまた、静かに敬礼を返した。
馬車はゆっくりと走り出す。
その姿が見えなくなるまで。
ロクローマルは敬礼を崩さなかった。
こうして。
魔王国から選ばれた二人目の生徒、リリスは。
父から受け継いだ優しさと、師から受け継いだ強さを胸に。
ユージア国へと旅立った。
まだ誰も気付いていない。
その少女が、やがて世界を支える柱の一人となることを。




